宝塚の前に住んでいた私のマンションでの村山聖である。実はその後ろに写っているのが、震災で亡くなった船越隆文君である。私が偶然撮った写真だが、悲しくもあり、懐かしい一枚だ・・歳月を感じる。
弟子のことでいろいろあるたびに思うのが、今生きていることと、かって生きていたこと・・である。だからこそ、どうでもいいことに関わりたくないのと、日々大切なことに関わりあって生きていきたい気持ちが強い。
生きているのは仮の宿なのだ、心のどこかにかすかにそう思う気持ちがある。
弟子のことでいろいろあるたびに思うのが、今生きていることと、かって生きていたこと・・である。だからこそ、どうでもいいことに関わりたくないのと、日々大切なことに関わりあって生きていきたい気持ちが強い。
生きているのは仮の宿なのだ、心のどこかにかすかにそう思う気持ちがある。