浦島太郎の心境ではないが、30年前に奈良に住んでいた頃のアパートに寄ってみた。もうないかなあと思っていたら、春風荘(しゅうんぷうそう)はあった。棋士になりたてのときのひとり住まいだったが、懐かしい。
当時初めに貰った給料は5千円だった。思わず頭を抱えてうなった(新聞棋戦は半分出場できないし、順位戦が中止の年だったせいもある)
それが理由でもないが、棋士になっても塾生継続を希望したのは私くらいかなあ?もちろん断られた。
過去を辿るのは老いの第一歩かもしれない。でも過去を顧みて、今とこれからの方向性を探るのも大切なことのように思う。
ジャーンジャーン、奈良競輪場の誘惑の鐘が鳴っている・・
当時初めに貰った給料は5千円だった。思わず頭を抱えてうなった(新聞棋戦は半分出場できないし、順位戦が中止の年だったせいもある)
それが理由でもないが、棋士になっても塾生継続を希望したのは私くらいかなあ?もちろん断られた。
過去を辿るのは老いの第一歩かもしれない。でも過去を顧みて、今とこれからの方向性を探るのも大切なことのように思う。
ジャーンジャーン、奈良競輪場の誘惑の鐘が鳴っている・・