2008年8月8日、村山聖九段の命日に一門でお墓参りに行った時の写真だ。なかなか揃っていくのは大変だが、このときはバスを借り切って日帰りで催した。このときから四年経つのだが、なかなか思うようには弟子の活躍もままならない‥悔しい思いの方が多いのが現状だが、村山君がいたらどう言うだろうか・・ときどき勝手に会話をするのだが「冴えないですね‥でもまあしょうがないですよ。みんな精一杯やっているし‥」だろうか、それとも「みんな何をやっているのですかね。もっと結果を出さないと‥冴えないです」だろうか?
私は弟子には意外に甘くて(弟子に対してだけでなくて甘いのだが)それを見透かされていたのかもしれない。「弟子全員やめさせてください」と真面目な顔で言われて困ったときがある。今思うとそれも私が困っているのを知ってのフォローだったようだ。あれこれ文句を言いながらも弟弟子を可愛がっていたのだ‥
私が逃げ出せないのは、今も村山聖の姿が浮かんできて、睨まれそうだからでもある?あらゆるところを見られているかと思うと、手抜きはしても逃げ出せないのである‥自分と向き合うしかないのである。
私は弟子には意外に甘くて(弟子に対してだけでなくて甘いのだが)それを見透かされていたのかもしれない。「弟子全員やめさせてください」と真面目な顔で言われて困ったときがある。今思うとそれも私が困っているのを知ってのフォローだったようだ。あれこれ文句を言いながらも弟弟子を可愛がっていたのだ‥
私が逃げ出せないのは、今も村山聖の姿が浮かんできて、睨まれそうだからでもある?あらゆるところを見られているかと思うと、手抜きはしても逃げ出せないのである‥自分と向き合うしかないのである。