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長らくご無沙汰してますね。
もう毎度のことですけど・・・・。
今日はね、ちょっと思い出話を一つ・・・。
きっかけは、「今日の晩ご飯、昨日の残りのおでんだな。そうそう、漬け物もあったっけ・・・」って、晩ご飯の心配してたら、ふと、「漬け物」で思い出した・・・。
子供の頃、家族で食卓を囲んでる、なんてことは当たり前の時代。
うちは自営業だから、夕食時には、余程忙しくない限りは父親も一緒に食事ができる。
だいたい、7時くらいだったかな?晩ご飯ってのは・・・。
母親はたいそう料理上手な人で、家族6人分、それだけでもテーブルの上はいっぱいにみえるのに、きちんと毎食、おかずが3、4品ついてくる。
もちろん、そのなかに漬け物も入る訳だけど、だいたい、漬け物ってのは最後の締めみたいなかんじで、お茶碗2杯目くらいの最後に漬け物乗っけて、お茶をそそいで、お茶漬けにするのが、なんとも大人に見えた。
父親は酒を飲む人ではなかったけど、子供たちがわらわらと忙しく食事をするのに対し、ビール1杯を大事に飲んだりして、私たちよりゆっくりしたペースで食事を楽しむ。
だから、最後のお茶漬けは父が一番ゆっくり食事が出来る時間だった。
そんな父親を、食事が終わっても、彼が食べている姿を見るのが好きだった私は、いつまでも(好きなテレビ番組さえなければ)見ていた。
「○○(私の名)、こうやって食べると、うまいぞ!」
ある日、父は総私にいうと、漬け物のきゅうりを一片つまみあげ、おもむろに口に放り込むと、ばりばりと噛み砕いたかと思ったら、「わぁ~ん」と口の中のきゅうりをすべて茶碗の中に吐き出した。
「!!!」
衝撃である・・・・。茶碗の中にはまだご飯が残っているし、その上には口の中で租借され、くだけたキュウリがのっていた。
行儀が悪いっていうより、きたねーよ!
多分、あからさまに不快な顔をしたと思う。
そんな私をにこにこしながら、父は・・・『これで、お茶をいれる。』
と、ゆうゆうと茶漬けをかっ込み始めた。
唖然としながらも、まだ小学校低学年の私は興味しんしんだった。
「ママ、あたしもご飯、ちょっと」
たまらなかった。行儀悪いことをしているけれど、父親公認だ。なにより、人には言えない内緒の食べ方・・・みたいでわくわくした。
お新香をばりばり噛み砕いて、「わぁ~ん」と出す。
その上にお茶をかけて、ざくざくかき込んだ。
おいしかった。自分で吐き出した物だもの、気持ち悪さはもちろんない。
それどころか、いい味だしてた。 別に、科学的根拠はないんだろうけど。
ふと、そんな日常の一片を思い出した。
父が亡くなって、もう20年近くになるだろう。
親孝行なんて、出来なかった・・・。
父の最後は、きっと、寂しいもんだったと思う。
晩年の父は、物忘れがひどくなり、仕事に支障をきたすようになった。
それが、自分でも腹立たしかったんだろう、だんだんと粗暴になっていった。
妄想や幻聴で一時期は家族に危害を及ぼしそうになることも、しばしばだった。
結局、父母は離婚し、私は母方についていった。
年に1、2度、父から電話がかかった。
・・・・・それすらも、・・・嫌だった。
正確に言えば、怖かったのだ。
父が仕事場で脳溢血で亡くなったと聞いた時、正直、ほっとした。
その思いは5回忌をすぎても、同じだったと思う。
姉妹で父の話をすると、「成仏してないよね~」「う~ん・・・・」
私たちの中では、未だ父は心安らかに眠っていないようだった。
茶漬けの話に戻そう。
そういえば、あれって、離乳食みたいだな?
ひょっとして、ミキサーなんてシャレた物も無い時代だし、父親だって子育てに参加したときもあったかもしれない。
・・・・・・・・ふと、そんな考えが頭をよぎった。
いたずらな顔をして、「これ、食うか?」と、口の中の飴なんかを出そうとして、「きたな~い!!!」と避難した覚えが、おぼろげながらもある。
多分、私がものごごろつくまでは、そういうコミュニケーションもあったのかもしれない。
・・・・とても、動物的だけど・・・。
母親もこのごろは物忘れがひどく、もう昔のことなど、知る由もないのだが・・・。
末っ子の私は父にとっては、最後まで「ちびすけ」で、いつも泥だらけになって遊んでいた『ヨゴレ』だった。
「この、ヨゴレめ!」
この言葉を言う時の父は、いつも嬉しそうだった。
泥だらけで、一生懸命、野山を駆け巡って遊び回る子供の元気な姿が、ことのほか、嬉しかったにちがいない。
父が亡くなって、初めてなんではないだろうか?
父親の笑顔を思い出すのは・・・・・・。
父はもう、成仏しただろうか・・・・・・うん、きっと、したんだ。