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さすがに忘年会シーズンです。友人の少ない私でも、お誘いをうけたり、しばらく音信不通にしていた友人と呑んだり、と、結構胃腸にも負担がかかってしまってます。
まあ、ありがたいことです。
この時期はTVやら街角でやたらと第九をフューチャーしているのだが、もう日本の年末の風物詩ですね。わたしも大好きです。
先日、tvドラマで「のだめカンターヴィレ」の最終回でベートーベンの交響曲第7番を聞きつつ、ストーリーの盛り上がりも相まって、感動して号泣しつつ観ていたのですが、ベートーベンといえば、この時期やっぱ、第九でしょう!
と、CDを引っ繰り返してヘルベルト・フォン・カラヤン指揮によるものを聞く。
なんかね、いつ聴いても涙が出てくるのは何故なんでしょうね?
今日も偶然、NHKで第九にまつわる逸話などを特集してましたが、いやぁ・・・深い!
参考までに、どいつの詩人フリードリヒ・フォン・シラーの詩であり、その詩に感銘を受けたベートーベンがのちに第九として作品を仕上げた歌詞を添付しときますね。
『歓喜に寄す』
おお友よ、このような音ではない!
もっと快いもっと歓びに満ちたものを
歌い出そうではないか!
歓びよ、美しき神々の火花よ、
それは楽園から来た乙女なのだ、
天にもまがう汝の聖堂に踏み入るのだ!
世俗の習慣が強引に引き離したものを
汝の魔力は再び結びつけてくれる。
汝のやさしい翼のとどまるところ、
すべての人々は兄弟となる。
ひとりの友を真の友にするという、
難事を克服した者や、
やさしい心の女性を妻にした者は、
歓びの声をともに挙げるのだ。
そうだ、この世界の中で、
たとえ一つでも人の心を勝ち得た者は共に歓ぶのだ。
しかし、これらに失敗した人は、
涙しつつこの同盟から去らねばならない。
生きとし生ける者は
自然の乳房から歓びを飲む。
すべての善なる者も、悪なる者も、
自然が開いたバラの道をたどっていく。
その自然はひとしくわれらにくちづけとブドウの房と、
そして、死の試練を潜り抜けた一人の友を与えた。
情欲的快楽は虫けらに与えられたのだ、
そして神の御前には智の天使ケルビムが立ち給う。
天の広大な計画に従って、
神の様々な天体がめぐり行くように、
歩め、兄弟たちよ、汝らの道を、
凱旋の英雄のごとき歓びをもって。
抱擁を受けよ、もろびとよ。
全世界の接吻を受けよ!
兄弟よ、星の輝く天蓋の上に
愛する父がおわします。
地にひざまずいたか、もろびとよ。
造物主のいますことに気づいたか?世界よ?
星の輝く天蓋の上に、彼を求めよ!
そこに、必ずや彼はおわします。
ベートーベンはギリシア哲学なんかにも傾倒していたらしいのだけど、私にはギリシア哲学がどのようなものかわかりません。でも、この詩の中にある、「すべての人々は兄弟となる」とゆう一節に彼の中の理想の世界が垣間見える・・・。
すべての人々は等しく幸福である権利を持ち、等しく神の愛を受けているのである。
私たちは神の愛の下、お互いを理解し愛し合えるはずであるのだ。
ルードヴィッヒ・・・あんたは神そのものだよ・・・。