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体調不良(メンタルクリニック事情)

2011-10-13 21:53:21 | 正義考
精神科の診療は、昔と比較すると抵抗がなくなっている
…と言う話は聞かれるので、そう自分に言い聞かせると確かに抵抗はない。

話を聞いて薬を出す。答えや治る方法を聞いても、実は曖昧な返答しかできない。
というと誤解でしょうが、即答はできない。
しかし、考えてみると当然である。

血糖値や血圧のように数値が出てこない。患者の自覚症状、あるいはその訴える程度や様子から患者の心理状態を推測する。
客観的数値で説明できない分、難しい技術である。
かなりの数と種類の臨床データ蓄積があって可能かもしれないが、成功と失敗のデータ蓄積があるだろうことを想像すると、ストレスフルな役割と言わざるを得ない。

さて、
うつ病や不安神経症などには、抗不安薬が処方されるのかもしれない。
かなりの効用を示すことは様々な情報で確認できるし、実際に体験してみても効いた。

しかし、虫歯に鎮痛剤よろしく、根治ではない。
薬が切れると症状が現れるので継続して飲むことになる。
高血圧の降圧剤も糖尿病のインシュリンも継続投与だ。

どうすれば根治するんだろう

カウンセリングは医療ではないらしく、医業とは別の業種で提携してサービスを提供することになるらしい。個別の契約で行われる。

週一とか隔週で3カ月とか6カ月とかの契約をすすめられる。
まてよ?
今日にでも治してほしいと思っている患者と、長期契約をしたい業者と
利益相反になる可能性がありはしまいか…
治った、と患者が思っても、まだ安心できないから継続した方がいいと言うかもしれない、ということを想像してしまうのである。

しかし、利用者は多い。待合室は女性が多い気がする。
思春期の女性など、男性が想像したこともない女性の一面を見る思いである。
男が若いころ、女性の精神的悩みがこれほどとは思っていなかった。
女性の生理の一部という気もする。
守られなければならない存在であるように感じる。

メンタルクリニックの必然性は、利用状況で説明できるはずだが、知る人は少ない気がする。
待合室の景色だけからの感想である。

体調不良(精神科診察)

2011-10-13 16:49:44 | 正義考
一応、不安の内容を説明するが、そもそも原因不明の感覚であって、
気分の落ち込み…かどうか不明、
自殺願望などはあるのかないのか不明、
そもそも願望とは何かというように言葉の定義すら不明である。
適当に死の恐怖や自傷故意の衝動に対する不安とか、
自分で自分を説明するための言葉が自分の症状を作っていく


言葉を駆使して気持ちを表現しようとするが、書物の用語にあてはまるような気がするだけで
それが正しいかどうかも不明

で、一応診察予約して
(電話で症状を聞いて医者に承諾を得るらしい)

診察室
電話で説明したことを繰り返す。
哲学的な用語や宗教的な死生観なども加えて

医者は聞いているだけで、1時間ほど経過
抗不安薬と睡眠薬を処方される。

初めての体験なので、抗不安薬や睡眠薬を飲むことに抵抗はない。
むしろ今は緊急避難的に期待の方が強い
副作用も少ないと説明されている。


…これが、効いた。
飲むと30分程度で気持ちの暗雲が消えた。
夜は睡眠薬、これも同じく

何度か診察を受けるが、病名を知らされることはなかった。
不思議に聞くこともしなかったことに、後で気がついた。
聞いたのは
ーうつ病ではないですよね
ーもちろん、うつ病は全然違う
これだけ…

いろいろ心理療法士の検査を受けさせられたりしたが

口頭で性格などに少し触れる程度で
検査結果は知らされない

2か月以上経過後にカウンセリング治療をすすめられ
違う診療所への「転院」を手配された。

紹介された診療所は別組織でカウンセリング併設診療所
不安障害…病名

一度だけ試しにカウンセリングを受けてみた。
中長期のカウンセリング契約を勧められるが…

原因追究して治療3カ月になろうかというとき
薬の依存症を自分で作り出している懸念に不安が強くなる。

薬をやめた。

手帳のカレンダーに投薬を記録していたが、今度は断薬記録をつけ始めた。
10日間ぐらい、苦しい思いがあったが
なんとか、薬断ちに成功した。

結局、当初の不安心理は薬断ちの闘いの過程で、薄れたかのように…
薬依存から抜けられたという気持ちとともに消えていた。



体調不良(精神科という医療)

2011-10-13 09:04:29 | 正義考
驚いた。
死への恐怖を今まで考えたことがなかったわけではない、自分自身の死についても考えていたつもりだった。しかし、それが不安や恐怖であることはなかった。ところが、ある日突然、死に関する情報が全て恐怖の対象となった。
そういう驚きである。

自分でも不思議な気持ちである。
今まで不安や恐怖という言葉は当然知っているが、それは言葉の意味を知っていただけで、不安や恐怖という実際の心理がいかなるものなのかということを知らなかったのではなかろうかと思う。

人は誰でも、現実生活の中で家族などの葬儀で死を考えるはずである。あるいは書物だけでなく、毎日の事件報道やドラマ、映画などで、情報として死について考えているはずだ。驚いたり不安になったり、恐怖で叫んだり、喪失感で涙を流したり…それは、他人の死についての悲しみである。

死は毎日繰り返される情報の一つである。言ってみれば、死は身近なものなのである。人だけではない。動植物のすべて、死の情報にあふれた環境で人々は生きている。

にもかかわらず、
多くの人は不安や恐怖で眠れない、ということはないのである。あるとすれば、一部の人の一時期にその心理が強く現れるだけなのかもしれない。

統計ではなく想像だが、肉体的ハンディキャップがある人や原因不明の病気で苦しむ人、社会的に虐げられた状況、孤独、いじめ、経済的事情による生活苦、そうした様々なストレスを原因として強い厭世感を抱き、一部の人は自傷や自殺の衝動で実際に行動するか、その衝動の可能性に恐怖する。自分自身の死が現実的に感じられるようになるという不安と恐怖である。

逃れることができない状況、閉所恐怖症の人が狭い場所に閉じ込められた時の気持ち、衝動的に、何かをするような予感、逃れられない、消えない不安と恐怖とそれを消し去ることができないことに不安と恐怖が波状で襲ってくる。

心拍数や体温の変化が自覚できる。肌のかゆみ、関節痛、筋肉痛などわずかな感覚が、際限なく拡大し、そのまま治らないかもしれないという自分自身で作りだすような不安…

…これは…異常だ
ということで、精神科?心療内科?メンタルクリニック?
いろんな看板があるけど…
電話した。