母は90歳。 アルツハイマーを患い今、老人ホームでお世話になっています。
月に数回、夫と見舞っているのですが、夫の名前も正確に覚えていますし、私を見ると
「あぁ、久美さんがまた来てくれた!」と喜びます。
夫と「ほとんどの事は忘れているけど、私たちの事はかろうじて覚えているね」と
いつも話していたのです。
ところが
数日前、母の日のプレゼントを持って訪れ、話の流れで
「お母さん 子どもは何人いたの?」と聞きました。
「3人」と応えました(実際は二人ですが・・・)
「じゃあ、名前は?」と聞きますと、弟の名前はいうものの後は首をかしげるばかりです。
「私よ!」と自分を指さし言いました。
「アンタは久美さん!」と・・・
「そのくみさんが、お母さんの娘よ」と云いますと、
「エェ~~!」と絶句して私の顔をマジマジと見つめるばかりです。
この時。私はひとつの話を思い出しました。
昔、気功を習っているときに、
メンバーのおひとりに、80歳くらいの、とってもお洒落で素敵な紳士がいらっしゃいました。
ある時、この方が
「母は103歳でホームに預かってもらっているのです。
僕が行ってベットのそばで(お母さん キヨシです)と言うと、
顔をしかめて(キヨシは若くて男前、こんな汚いおじいさんと違います)と
手で向こうに行け~というしぐさをするのです」と苦笑いしながら話されました。
母も私の事を、自分の娘はこんな汚いお婆さんでない! と思ってるのでしょうか?
じゃあ、母のいう(くみさん)っていったい誰の事なのでしょうね^^
今日の絵手紙、また水切り絵ですが・・・
以前にこれと↑同じような構図と言葉で水切りシアップしたなぁ~と思いながらのアップです(^^ゞ
これは新作^^です。
月に数回、夫と見舞っているのですが、夫の名前も正確に覚えていますし、私を見ると
「あぁ、久美さんがまた来てくれた!」と喜びます。
夫と「ほとんどの事は忘れているけど、私たちの事はかろうじて覚えているね」と
いつも話していたのです。
ところが
数日前、母の日のプレゼントを持って訪れ、話の流れで
「お母さん 子どもは何人いたの?」と聞きました。
「3人」と応えました(実際は二人ですが・・・)
「じゃあ、名前は?」と聞きますと、弟の名前はいうものの後は首をかしげるばかりです。
「私よ!」と自分を指さし言いました。
「アンタは久美さん!」と・・・
「そのくみさんが、お母さんの娘よ」と云いますと、
「エェ~~!」と絶句して私の顔をマジマジと見つめるばかりです。
この時。私はひとつの話を思い出しました。
昔、気功を習っているときに、
メンバーのおひとりに、80歳くらいの、とってもお洒落で素敵な紳士がいらっしゃいました。
ある時、この方が
「母は103歳でホームに預かってもらっているのです。
僕が行ってベットのそばで(お母さん キヨシです)と言うと、
顔をしかめて(キヨシは若くて男前、こんな汚いおじいさんと違います)と
手で向こうに行け~というしぐさをするのです」と苦笑いしながら話されました。
母も私の事を、自分の娘はこんな汚いお婆さんでない! と思ってるのでしょうか?
じゃあ、母のいう(くみさん)っていったい誰の事なのでしょうね^^
今日の絵手紙、また水切り絵ですが・・・
以前にこれと↑同じような構図と言葉で水切りシアップしたなぁ~と思いながらのアップです(^^ゞ
これは新作^^です。
shizuoさんのお母様は、お若くで亡くなられたのですね。
さぞかし、残して逝かなければならないお子さんたちへの想いが深かったことと思います。
認知症の経過はいろいろあり
暴言は最初は父に、
そして父が入院したら、私に向けられました。
今はすっかり落ち着き、いつもニコニコして
感謝の言葉をよく口にしますが、
病気とは言え、逃げ出したくなるほど大変な時もありました。
“そよ風が嬉しい”ですよね~。
いつまでも、この嬉しさを味わっていたいです。
優しいカーネーションを拝見し、そう思います。
ご病気とはいえ…、Guuchanさん、なんとも寂しいですね~。
でも、こうして会う事もでき、お幸せです。
わたしの両親は、今のわたしの年齢より10年も若かった50代で。
残した幸せ、わたし達にと欲張りに^^。
爽やかなお天気が続いていますね。
やちゃんのお母様は若くで亡くなられたのですね。
さぞかし残していく子供たちに心が残ったでしょうね。
何がいいのか、悪いのか分かりませんが、
命だけは与えられたものですので、
今を大切に楽しみたいですね
父も痴呆が出ぬ間に亡くなりグーちゃんのような苦労がないので良かったのか?それも疑問ですわ~
両親との別れが早かったのでネ!
今は心身ともに健康で子供たちに迷惑をかけないよう子供孝行したいと願うばかりですよ
手に持ったカーネーションの水切り絵、新作のカーネーション素晴らしいですわ
何だかお久しぶりの感じです。
ホームにはいっいてるので、
食べ物は持ち込めないし、生のお花はスタッフの方々に
お世話をおかけするので、
母の日のプレゼントは毎年悩みます。
昨年はブリザードフラワーにしたら、
渡した瞬間は大喜びしたのですが、
「このお花どこに飾ろうか?」というと、
「随分前から、誰かが忘れて行ってる」と
誰かの忘れ物になってしまっていました^^
今年は部屋着を・・・
これも喜んだ次の瞬間
誰かが忘れていった洗濯物に。。。^^
話がちんぷんかんぷんの時があります。
今回実家に行ったときに、姉に代わっていつもの町医者に連れて行ったら、結構混んでいて、駄々をこねるこねる。
あらら、こんな気が短かったかな~、疲れたのかな~とびっくりしました。
年を取ったということなのかなとつくづく思いました。
週末の母の日、私もカーネーションをプレゼントしようと思っています。
カーネーションの絵手紙、良いですね~。
つぼの光の感じ、見事です、本当に本物のよう~。
どちらも長生きさったのですね。
いずれにしろ誰かのお世話にならないと生活できないって哀しいね~~
おぉ、嫌だ、いやだ!
なこちゃん元気な今を大切に楽しみましょう
医学が進んで長生きはできだしても、
認知症は増えるばかり・・・
さぁ~ どちらが幸せなのでしょうね。
最期まで足腰丈夫で、健康そのもの、
頭も憎らしくない程度にしっかりしてて^^。。。
そんな具合にはいきませんよね~
母は8年前に87歳で、姑は9年前に99歳で逝きましたが、
幸いにも頭はしっかりしていて、最期まで色んな話が出来ました。
でも、二人とも晩年は身体が不自由で車椅子の生活でした。
どちらが良いのか私には分かりませんが、身体が不自由なのも可哀想で見るのが辛かったですよ。
時代が進むに連れて、身体は丈夫なのに認知症が・・という人が増えているようですね。
もうすぐ母の日、色んな想い出が浮かんできます。
カーネーションが素適です。
複雑な気持になるお花ですね。
悲しいけど、、、、忘れられたけど
いつも笑顔で迎えてくれました。
童女に返って幸せだったのかも。
母も個室ですが、
外から持ち込んだ食べ物で体調をこわすといけないので食べ物は特に厳しいです。
三食栄養士さんの管理のもと作られてるし、
私なんかよりも健康的食事で、
頭以外は健康そのもの^^
私の方が危ないわ
私のほうは、個室でね。
年中ミカンが食べたい人。今は、時期が時期だからなるみ・晴海でしょ。私たちの口には、入りませんよ。
八朔なんかむぐのが、固いからって贅沢でしょ。
昔の写真、お宮参り抱いてる赤ちゃんが????
マリババの孫、今の姿は、わかるけど記憶に飛んでます。
離せば1日あっても足りません。
ちょっと寂しいね。guchan所と、似てます。
しっかり好奇心持ってボケないようにしないといけないね。ガンバロウネ!フャイト!
この映画、数年前 夫と映画館で観ました。
樹木希林さんの演技に引き込まれながらも、
大変な頃が思い出され怖い想いもしました。
私の願いは
「もう少し お母さん生きていてほしかった!」と云われるくらいでありたい。。。
じゃぁ、急がなければ駄目?^^
あなたはお父様の看病をよくなさいましたものね~
ブログを通してでも痛いくらい伝わりましたよ。
いつの頃からか、母の事を想う時
自分が重なり怖いことがあります。
「変になったら、どんな山奥くでも、汚い施設でも、
泣いて暴れててもいいから、施設に入れて~」とは
息子たちに云ってるのですが、
受け入れ側が少なく、これからは団塊の世代高齢化
どうなりますことやら~
そうなんですよ~
認知症の特徴のひとつに、自分の世話をしてくれる人には悪魔になり、それ以外の人には天使になる。。。っていわれてるのです。
ディーサービスに行くのを嫌がり、朝の着替えを手伝ってると、私に暴言を繰り返し、あたりのものを投げたりしてて、そこに(送りだしのヘルパーさん)が来られると、
きちんと座り、「この日を楽しみに毎日暮らしております。喜んで行かせていただきます」とニコニコ話すのです。
今だったら笑い話で人に言えますが、
その時は、私が母の事を大げさに人に言ってるようで
悲しくつらかったですよ。
まだ家で看ていたら、私が完全に心身ともに病んでいたでしょうね。
本来なら、まだ老人ホーム待機中でしたが、
私の体が危ない!とケアマネさんが動いてくださり
入所ができたのです。
過ぎてしまえば、大変だったことは忘れてしまいますが・・・
母の居る施設では、食べ物の持ち込みは絶対禁止、
生のお花はスタッフの方々にお世話をかけることになるし、最初の頃は何を持っていこうかと苦労しました。
昔の知り合いや、親せきの写真など寄せて簡単なアルバムにして持っていったりもしましたが、
何しろ思い出せないのですから・・・
こちらの徒労に終わりました(^^ゞ
何気なく観ていたら目が離せなくなり最後まで観てしまったの。
井上靖の何点かの短編を基にした映画
主演は、役所 広司とその母親役が樹木希林
この母親(だんだんと痴呆症におかされる)の動作
言葉、顔つきが亡き母の姿ソックリで、何だか懐かしく
思われたの。
皆さんのコメントを読ませて貰うと、やはり年代が近いせいで何方もお母さんの事ではいろいろな思いをされてるんだなぁ~と。
私の母はず~と自宅にいて1週間ぐらい入院したらあっという間に父の所に旅立ってしまったから
この時期母の日にはもうプレゼントも出来なくなってしまったわ。
ぐーちゃんが書かれてるように、娘の顔や名前が分らなくなったり急に凶暴になったりはしたけれど
行くと「まぁ~おきれいな方、東京からいらっしたの?」などど
どこの奥さま!?と思うようなことを言ってニコニコしてた母にもう一度会いたいな・・と思うこの頃です。
長くなりました
映画とぐーちゃんの記事があまりにもグッドタイミングだってので・・。
あ・・カーネーションの花びらの重なりぐらいが本当のお花みたいよ。
新作もgoodideaね
私の母は83歳で亡くなりましたが
家で兄嫁さんが見てくださっていました。
私達もこの先どんな余生を送るのかと
思うと不安になります。
guuchanの水切絵は本当に素敵よ♪
主人の母さんが 認知症になりました
96さいで逝きましたが
主人も兄も 勿論私の事なんて
全く覚えていませんでしたが
言葉使いが 上品でお茶も出してくれて
認知なんて 嘘!って感じでしたよ
色と言い 形といい カーネーションズバリ
カッコいいですね
私が体を壊して入院したので母のお世話ができなくなって施設に入りました
施設ではし食事すら食べなくなって施設から呼ばれてこういう状態です
と、見せられたのが一番ショックでした
それは押さえつけてスプーンを口に持っていき強引に食べさせる・・・本当にかわいそうな情景でした
まだ介護保険がない時です
母にも人格があるのにとすごく落ち込んだものでした
口から食べれなくなって入院をしてからは、認知症の症状がなくなり、普通に話すことができました
その時期が私にとって最高の思い出になりました
兄弟が5人いたのですが末っ子の私のところで良かったと思います
母との思い出のきっかけをありがとう
お見舞い状ありがとうございました
痛みが薄れてきています
マリババも母を施設に入ってます。月1回必ず沢山のプレゼンとさげていきますよ。
まだ80代後半だけど、認知が入ってます。同じですよ。
悲しいですね。
もうすぐ母の日ね。
素敵なカーネーションはいどうぞ!って手描かれたんだ。面白いね。最高のプレゼンとです。
水きり絵もいろいろ進化して、絵とコラボされ、花瓶がほんとに花が入ってるかのように立体感がありいいね。
お互いしっかり頭使って、ボケないようにやりましょうね。
自分の親だから余計に嫌なの~
姑さんは多発性脳こうそくでやはり、認知症状が出ていましたが、気持ちは楽でした。
義父母は武蔵野に住んでいましたので、
最初のうちは、夫婦で月一通い、
お掃除したり、常備菜作ったりでどうにか行けていましたが、神戸の私の両親が二人で暮らしていけなくなってきたときは、私が教室もすべて他の指導者に引継ぎやめて両親にかかりっきり~
夫は月一、仕事を終えて金曜日の夜の便で東京に飛び、日曜日神戸に帰ってくる生活でした。
夫の弟夫婦が最終的に世話をしてくれて、
乗りきれましたが、親を看るとはこうも大変なものかを痛感しましたよ。
それも定かでなくなり・・・
でも、不思議なことに(読み書きの能力)だけは残っているのです。
だから会話の補助でノートに書いて伝えるのです。
これも瞬間芸^^で、読んですぐは意味が分かり、
驚いたり、笑ったり・・・
これも数秒後は駄目ですけどね。
自分の親は特に自分もこうなるのでは?・・・
という想いがあるので嫌ですね
うちの義母はまだ軽いものですね。
これからのことを考えると・・・
ただ自分の親でない分
客観的に見ることができるだけましかなと思います。
自分の両親が早く亡くなったのは悲しかったですが
でもそのおかげ・・というと変ですが
今は主人の親だけを見たら良いので
それは助かります。
guuchanさんのように4人一度になんて
ホントにどんなにか大変だったでしょうね。
カーネーションの水切り絵
素敵ですねえ。
手や花瓶とうまく相まって
素敵です!!
生の花を贈ると、スタッフの方にお世話をおかけせねばならないので、
昨年はブリザードフラワーにしました。
贈った瞬間大喜び!
「アンタたちならこそ~~」と満面の笑顔。
数秒たち私が「この花どこに置こう?」と聞くと
「何か月も前からそこに置いてあるけど、誰の忘れ物やろ~」って^^
夫が「瞬間芸やな~」だって(*^_^*)
今年はホームウェアーにした処、
やはり瞬間芸で喜び^^
後はチラッとみて、(誰かが忘れていった洗濯物)になっていました^^
103歳で死ぬまで頭ははっきりしていましたが
母が惚け始めたのは早かったわ。
80台の終わりころからかしら?
同じように「お母さん!娘の芳子ちゃんよ!」といっても
「うそでしょ!!あんたを私が生んだって?そんな冗談言わないで」って言われました。
そうね~
見るたびにおばぁさんになって行ってるんだもの。
今では普通の会話もできないほど惚けてさみしいです。
お見舞いに行っても話は続かないし
顔見て安心できるだけです。
母に似てきた私
惚けることまで似てしまったらどうしょうと悩みます
赤もピンクもひだや、緑の茎葉っぱ盛り上がった感じでお母様に捧げるお気持ちが伝わりますよ。
本物は手に取れば、もっともっと重厚感あふれていることでしょう。。
だんだん母の年に近づき、顔もしわも声まで似てきたな~~とおもう今日この頃です。
お母様にプレゼント・・・と考えるだけでも、満ち足りた気分にさせてもらいました。
握手も出来るし暖かい息にも触れることができますね。
今まで沢山お辛いことも有ったね。
お母様も昭和の激動を生きてきてくださった・・。
そしてブログで繋がりが出来ました。
お母様のおかげね。
ご夫婦でお見舞いに行けてこれまた幸せ。
実の親子でもいろいろ有るのに・・。
今この年になって改めて両親を送ってくれた弟夫婦に感謝の毎日です。
お母様も、guuchanファミリーも穏やかな毎日が過ごせますように・。
母が施設にお世話になり、やっと私の心も落ち着きを戻しました。 本当に大変だった。。。
今は笑顔で話せるようになりましたよ。
やはり認知症になったら、プロにお任せしないと無理ですね。
四国遍路で知り合った方が、
「自分が延命を願い出たために、母が胃ろうで
8年間上を向いて眠ったまま・・・
母はこんな生き方を願っていたのかと思うといたたまれなくて・・・」と云われてたことが、重く心に残っています。
↑のみなさまのコメント読ませていただきました
さまざまに乗り越えて来られたり、大変な思いをされて来たんですね
私の母も92歳になり病院でお世話になっています
今ではもう何も分からなく、自分で体も動かせなく、ただ眠ってばかりです もちろん話はもう何年もしていません
guuさま、お話が出来て羨ましいわ
なんでもいいから話がしたいな....。
思い出せば、今の私と同じ頃の母はイキイキしていたなぁ~自分の趣味に生きていた。
ワタシ、まだまだ元気でいなくちゃ^^
赤いカーネーションとピンクのカーネーション、素敵です。手の感じに想いが伝わって来ました
私が入りたいくらい^^
健康管理、栄養管理されているので、
いたって元気、ストレスないでしょう~
どうしても親を見送らないといけないという責任がありますが、母の元気さを見るにつけ自信ないわ~
老々介護、言われて久しいですが、
近頃では認認介護ですって(@_@;)
つまり認知症が認知症を看る
父は少し認知症気味でしたが、
穏やかでしたので、そう大変でなかったのですが、
母は・・・
お医者さんがおっしゃるには、
女の人の方が、一般的に大変だとか^^
息子たちにこんな想いはさせたくないですよね。
ルミさんとなおちゃんと逢ってしゃべりましたよ~
楽しかった
きれいごとじゃあありませんよね。
私の血圧が200になり両手がしびれ、
タクシーを呼ぼうにも電話が掛けられないくらいでした。
私の状態を見て、ケアマネさんが母の入所を進めてくださいました。
今はあの頃を思うと感謝の日々です。
ここに至るまでが大変な日々でした。
アルツハイマーは完全に人間をかえてしまいますので・・・
泥棒呼ばわりは日常茶飯、
暴言、罵倒。。。地獄でした。
一時期は4人の親がかかってた時があり、
今から思うとどう過ごしてたのかと・・・^^
午前中はコーラスで、ゆずの(雨のちハレルヤ)を習ってるのですが、TVで流れてた後が難しくてね~^^
母も施設に入った時は、帰りたい! 帰りたい!とよく言うので「何処に?」と聞くと
若いころ住んでいた処でした。
でも今では「ここは何処?」と聞くと
「家」と応えます。
お見舞いに行かれた時は はっきりと誰と分らなくても
喜ばれる顔が浮かびます
実家の母も92歳 年下の父が面倒見ています
老老介護です やはり認知症ですが娘はわかります
週一ぐらいで会いにいくけど いつも
久しぶりだね~ と言われますヨ (笑)
時間が足りなっかったのでは・・・
お母様のお話・・・ほんとに頭の中ってどうなってるのかと時々思いますねぇ~
昔のことは、よく覚えていますのでそのことが頭の中に、残ってるのでしょうね。
父も、そのうち「さちこ???誰やったかいなぁ~~?」
なんていう様になるのでしょうね・・・
4年前、わが母が亡くなる前、同じで私に「お前はだれ?」。
そして、たまに正気に戻ったときには私と家内の名前を
大きく書かせられました。
ときには泥棒呼ばわりされたり、大声でののしられたり・・・。
思い出ださせられました。
でも、もう少し生きていてほしかったですよ。
身につまされる今回の記事!一気に読ませていただきました!
guuchanさん=娘の部分がちょっと欠落したのでしょうね・・・
お母様のお顔を見ながら話が出来るなんて、とても羨ましい~
背中を肩を手も足も、さすってあげられるんですもの\(^o^)/
かけがえのない母上様とのスキンシップが出来最高の
「母の日」のプレゼントが出来る、guuchanさんお幸せですね
素敵な水切り絵ですね
カーネーションを持っている手がお花をさらに引き立てて
優しさが伝わってきそうです・・・
寂しいですねぇ。
明日は我が身、他人事とは思えません。
1年毎に忘れ物が多くなっていくので、自分で大丈夫かなぁと問いかけています(笑)
水切り絵のカ―ネ-ション難しいですよねぇ。
とってもよくできていますねぇ。
新作の壺が立体感があって本物みたいよ!