私が四国遍路に初めて行ったのは、60歳を過ぎたころでした。
NHKのドキメンタリー(花遍路)のタイトル名に惹かれたことと、
菜の花畑の中を行くお遍路さんの美しさに感動して私も行きたい! という浅はかな志からです( ´艸`)
四国遍路第一日目徳島県でのことです。
一ヵ寺のお詣りを終えて、二ヵ寺に向かう道すがら、一人の女性が近づいてこられました。 50歳代かな?と見受けられる方です。
「お母さんはお元気になさっておられますか?」と。
私は「父は入所しましたが、母には三度三度の食事を運んでて、何とか行けていますが、そろそろ限界かな~って処です」と応えると、その方は話し始められました。
(7年前のことです。
入院している母のもとに、私たち兄姉たち3人が集められました。
母の延命に対する相談でした。
兄と姉は「母は十分頑張りましたから、もうこれ以上は・・・」と応え、私は「なんて酷い! どうしても生かせてほしい!」と泣きながら訴え私の意見が通りました。
あれから7年。
母は意識のないまま、天井を向いて眠り続けています。
兄と姉との付き合いも切れてしまいました。
母の姿を見るたびに
(母はこんな姿でも生きていたかっただろうか)と・・・
自分で自分をせめて辛くて・・・
これだけのことを言って彼女は、お詣りの人波にかき消されるかのように姿が見えなくなりました。
この四国をきっけけに、四国遍路2周、西国観音霊場、西国阿弥陀巡礼、
大和花の寺巡り等々 7~8年数々のお寺をめぐりました。
不思議なことに、彼女との出会いは、あの日のあの時だけ。
このことを思っていたら、数年前友人が悩んでいた時のことが思い出されました。
彼女のお母さんは、癌の末期で、苦しい治療と戦っておられました。
一人っ子だった彼女は「治療はもう十分です。すべてやめてください」と医師に頼み、たくさんの管は抜かれ、ひととき元気をとりも出されたかのようでしたが、まもなく逝かれたそうです。
(これでよかった!)と自分に言い聞かせている処、
お通夜の席で、少しアルコールの入っていた伯父さんが
「結局 Aちゃんがお母さんを殺したということやな」と心ない一言を・・・
心に突き刺さったこの言葉が辛くて、日々お墓参りをして謝り続けているということでした。
全く違う立場で悩み続けている彼女たち。
そのころ、私は(エンディングノート)に取り掛かっていた処でした。
ルーズリーフノートの1枚に、(私たちは延命を望みません。 でも、
その時代、医療状況がどう変わるか分かりませんので、あなたたちの一番やりやすい方法で願います)と書き連名で署名したのを加えました。
この二人の彼女たちから、親の命の有無を子供たちにゆだねてはいけないと
痛感しました。
自分たちの意思をはっきり伝えておくことが大切だと・・・
なんだか重い話になりごめんなさい。
先日習った(花籠)をポストカードに作りました。
背景のシャボン玉の色を変えると雰囲気が少し変わりました。
(大きさがまちまちで・・・(/ω\)
皆さんからの絵手紙、お楽しみくださいね。