JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

お江戸の教え

2007年02月26日 | s-u

昨晩は深夜1時までいつものバーで飲み惚けてしまいました。
だってね、我が家に酒が一滴も無かったんですよ、そんな事って許されます。しかも、料理を自分でしておきながらですよ、鯵のなめろうですよ、飯なんか食っちゃらんないでしょ・・・・・・・・・・!?
「なに?それでうちに飲みに来たの?????バカじゃないの」
ママの第一声でございました。
私にしてみれば、常連のM君とママと三人でまったくくだらないことをダベリながらバーボンをあおる、これぞ最良の気分転換なのでありまして、まぁ二人にとっては迷惑な話かもしれませんけどね。

M君というのはじつに無口でおとなしいお人、こちらが話しかけなければ黙って黙々と酒を飲むといったタイプの青年です。
私は、ほら嫌なオヤジでしょ、だからこういった青年をほっとけないわけですよ、
「一期一会、袖すり合うも多生の縁じゃないの」
てなノリで、ズルズルと我がフィールドに誘い出すのでありました。(笑)
最近では手慣れた様子で私のバカにお付き合いしてくれるM君、とても良い青年です。

そもそも『袖すり合うも、多生の縁』とは、人がどんなに増えようと、見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるのも前世からの縁、そう考えてお互いに譲り合い思いやれば、穏やかに気分良く過ごせます。といった意味ですから、ここではちと間違った使い方ということになるのかもしれません。
そうそう、恥ずかしい話ですが、私は『袖すり合うも、多生の縁』の『多生』、これをいい年になるまで『多少』だと思いこんでいたという、使い方どころか漢字まで間違えていたのでありました。(大笑)

『袖すり合うも、多生の縁』も江戸の教えでありますが、最近、テレビCMでも出てくる『江戸しぐさ』、あの「こぶし腰浮かせ」ってやつです。私はこれにとても興味がありましてね。人口密集地であったお江戸で、少しでも住みやすいように決めていったルールでありますから、現代にもおおいに通じる教訓なのであります。
「お心肥」「うかつあやまり」「傘かしげ」「肩引き」「あとひきしぐさ」「束の間つきあい」以前話した「三脱の教え」なんてぇのもそうです。
興味のある方はこんな本がありますので読んでみて下さい。

さて、今日の一枚は、今、久しぶりに聴いているアルバムにしてみました。
たしかディスク大賞かなんか取ったアルバムだったと思います。
マッコイ・タイナーが初来日したのは、1972年、アルバム「SAHARA」でまさに再出発した年でありました。ある意味、コルトレーンの呪縛から解放された年?ともかくそんな想いも込め、来日時にコルトレーンに捧げるこのアルバムを録音したのかもしれません。
マッコイのピアノはソロであっても、彼の奥底に流れる『精神性』といったものがにじみ出るように思います。私的にはソロ・ピアノの中では好きな一枚です。
ただし、私がソロ・ピアノのアルバムを聴くとき、ほとんどがそうなのですが、全曲を続けて聴き通すのがダメなんです。どうしても飽きが来てしまう。
このアルバムもCDが出ているのかどうかは定かでありませんが、レコードで片面を聴くのが、時間的にも内容的にもよろしいんじゃないかと私は思っています。

ECHOES OF A FRIEND / McCOY TYNER
1972年11月11日録音
McCOY TYNER(p)
1.NAIMA
2.PROMISE
3.MY FAVORITE THINGS
4.THE DISCOVERY
5.FOLKS