つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

献金の話、その2。

2006-04-22 03:52:35 | キリスト教(カトリック)
先日の聖書研究会でのことですが…。

長らく私が疑問としていた、使徒行録の5章、アナニアとサフィラの話。
実は私、人びとが自発的に献金していた、といっても、「全部献金しなければいけない」ということになっていたのかと思っていたんですね。
だから、アナニアが土地の代金をごまかしたのも、わからなくないなぁと思っていたんです。
献金額を自分で決めさせてよ、と。
なので、それをとがめられてアナニアとサフィラが死んだのが、何かいまいち納得いかなかったのでした。

が。
神父様に説明して頂いて、やっと判りました。
アナニアとサフィラは、全額献金しなかったことをとがめられたのでなく、ごまかしたことをとがめられていたんですね。
確かに全額他の人達は献金して、共有にしていたけれど、それは「しなければならない」からしていたのでなく、「自由意志で」していたことで、アナニアとサフィラは、献金額を自分で決めてよかったにもかかわらず、善き人のふりをしたいと思ったことが、とがめられたことだったのでした。

何となく、「皆と同じでなければ肩身が狭い」「プレッシャー」と思ってしまう自分の日本人気質に気づいてしまいました…。

と同時に、自分の中にこだわり?があると、聖書を読み違えてしまうということも。

前回の「献金の話。」で書いたように言われると、けっこうプレッシャーだったのですが(むっとはしていても)、これで気が楽になりました。

「福音」は「よいこと、よきおとずれ」と神父様がよくおっしゃいますが、本当にその通りですね。
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好みのロザリオでいいと思う。

2006-04-22 03:33:11 | キリスト教(カトリック)
実は、ロザリオを買いたくてネットで探した際に、某巨大掲示板に入ってしまって以来、そのスレッドを覗いているのですが…。

よく槍玉にあがるのが、高価なロザリオ。
とうとう最近は、「高価なロザリオはお祈りにはふさわしくない」という発言まで出て来てしまって、びっくり。
清貧でなければいけない、というんでしょうか?

いやまぁ、聖品に高額なお金をかけるなら、その分を寄付するとか、何かキリスト者っぽい活動(こういういい方は好きではないのですが)に使うとかした方がいい、ということなのかもしれませんが。
錆びたりすり切れたりするのを嫌な人だっていると思うし(私は実はここに入ります)、錆びたりすり切れたりしたものこそ味が出た、と好む方もいるでしょうし、人それぞれです。

「目からウロコ ロザリオの祈り再入門」の中にも、珠をしっかりと繰り、言葉を意識して唱えて、こころもからだも神の方へ向かって切り替わっていく、そのためのものだから、手に馴染むロザリオがいい、ということが書かれていて、珠の材質、形、大きさ、珠と珠の間隔など、好みにあったロザリオを選ぶことが、祈りを長く続けていくために大切なこと、とあります。
実はこれ、とても大事なことだと思います。私が以前使っていたロザリオは、珠が小粒でした。が、教会に通い出してから、主人にプレゼントしてもらったロザリオは、珠が大きくて間隔もわりとあいています。
で、目をつぶってお祈りすることの多い私としては、大粒の珠で、間隔が広めの方のロザリオの方がお祈りしやすいのです。
一度慣れると、他のが使いにくく思えてしまうくらい。

また、ネットの中には、未信者の方、特にニューエイジその他の方がロザリオを作っておられる場合もあるようで、ヒンズー教や仏教と一緒にされた形で作られたりすると、個人的にはあまりいい感じはしません(パーツ等からみて、あまりにも高価すぎると思えるものもあり、また、仏教やらインドやらの話とミックスされると、ロザリオって何だと思ってるのよ、とか思う気持ちもあります。同時に仏教やヒンズー教に対しても失礼だと思っています)。
でもきっと、イエズス様もマリア様も、祈る側がきちんと祈ってさえいれば、どんなロザリオでも気にはなさらないでしょうね…。
各自の使いやすいのを使え(なんなら指でも石でもいいよ)とかおっしゃるのではないかと…。

うぅ、イエズス様についていきます、と入門式でも宣言した私ですが、道はすっごく遠いです…(当たり前ではありますが)。
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