結局、私は考えすぎるのが悪い、ようです。
ひとは嘘をつかない訳がない。都合が悪くなったら、ごまかさない訳がない。
はっきり断るのはかどが立つから、遠回しにものを言いなさい。
…等々、有形無形に親から教えられているようで。
おかげで、他人の何気ない言葉や動作から、勝手に推測しまくって、一人悩んだり泣いたりしている…という状況。
いや、今までは当たってた!と主張したいところですが、私のようには気を回しすぎない主人に尋ねてみると、「そんなの、結びつけて考えないよ」と一言…。
例えば、私の場合、
・約束のドタキャン→病気だけは仕方ない、と思うのですが、それ以外だと私と行きたくなかったんじゃ…と悩み始める→こんなに悩んでると知られたら嫌われる→でも考えは止められない→そもそも嫌われているからドタキャンになったんじゃ→また悩む→このまま疎遠になったらどうしよう→いや、もうなってるのかも…。何が悪かったんだろう。あれ?これ?それとも何か気付かないところでやらかしてる?
こんな感じで悩みまくるのです。
でも、主人に聞いたら、「ドタキャンは確かに面白くはないけど、ああそうなんだって思って終わり。疎遠になったら?ああ何だか疎遠になったな、と思って終わり。葉月のようには結びつけて考えないよ」…とのこと。
…目から鱗です。考えなくていいんですね。実家では、「考えろ」と言われていたのに…。次の時、失敗を繰り返さないために。
でも、結局、よくわからないままなら、悩んでもあんまり意味ないんですよね。対人関係を築くのが怖くなるだけで。
もし、疎遠になろうとしているのだったら、こちらから追いかけて行きようはないわけだし。
…がっちり、「見捨てられ不安」が入ってるなぁ…。
そういえば、すぐ、親に「出てけ」「捨てる」とか「もうどうでもいい、おまえなんかどうにでもなれ」とか、言われてたなぁ…。
6歳とか7歳の子供にそんなこと言われても、どこに出て行っていいか分からなくて、すごくショックだったり困ったりしていたなぁ…。
…基本的に、失敗は取り返しのつかないこと、失敗しないことがいいこと、だったしなぁ…。
失敗しないことがいいことだけど、失敗してもくよくよしないこと、に変わったのは、高校生くらいだったかも…。
今更何言ってるんだ、と思って流していたなぁ…。
自分の考え方自体が問題なんだ、とは思っても、どう考えるべきか、は分からなくて困っていたけど、それを示されて、何だか霧が晴れたような気分です。