今日はカウンセリングに行ってきました。
しばらくぶりだったので、このところの「気づき」を、いちどきに話してしまいました。
でも、「よくそこまで自分で気付きましたね」と褒められました♪
とはいっても、いっぱい泣いて、いっぱいしゃべって、主人に聞いて貰って、それでまとめ上げたのがそれなので、すぐ気付いた…というわけでもないんですが。
自分が神経質だったり、怒ると叫ぶような声になってしまったり、くよくよしたり、すぐ悪い方に考えたり…というのは、親と姉にしかけられたものでした。
そういえば、幼い頃は、のんびりでおっとり、と言われていた子でした。本を読むのも、絵を描くのも、動くのも大好きでした。
…おうちで本を読んでなさい。おうちで絵を描いてなさい。…そういえば、そうも言われましたね。外に遊びに出ていく娘を見ていたら、家事にならないから、というのが母の言葉でした。
親が自分の都合の良いように(例えば家事の邪魔にならないように、でも目の届くところにいさせるように)子供を動かしていたので、見事にその通りの子供になったのでした。
神経質、というのは、間違いを許さなかったから。失敗は、取り返しのつかないものだと言ってきかせたから。
怒ると叫ぶような声で怒鳴るのは、そもそも、怒鳴りながら私に年賀状を書かせたり勉強させたりしていたから。…そう、普通によく怒鳴る家でした。普通の家庭では怒鳴り声などしない、というのは、未だ信じきれないところです。
くよくよしたり、すぐ悪い方に考えたり、というのも、人の言葉の裏を読みなさい、という親の教えです。断ってくるというのは、あなたと疎遠にしたいから。あなたを嫌いになったから。どうしたらいいかという問いに、黙っていて、また向こうから声をかけてきたら付き合えばいいし、もし何もなかったら声をかけない方が良い、と言われました。
分かっています。親としては、子供がかわいいから、失敗させたくないと思って、あれこれ口うるさく言っていた、ということ。少なくとも、親にとっては、子供を可愛いと思うからやっている、と思えていたこと。
だから、傷なんです。
辛いよ、嫌だよ、悲しいよ。でもそう思うことはいけないこと。悪いこと。わたしが弱いからそう思う。親はこんなにわたしを思っているのに。
でも感じることは、親の愛ではない。もっと他の、なにか。
…ずっと、こんな風に思っていました。
だから、親が自分を愛しているか、という問いがあったら、分からない、と若い頃は答えたでしょう。実際、分からなかったし。
今となれば、食べさせて着せて学校に通わせて…それで精一杯だった、というのはよく分かります。
まだ、子供の心に気を遣うような時代でもなかったし。
実際、親は、私が弱いから、親に言われてすぐ泣く、と言っていました。
でも、親の言うとおりにひらがなが書けない(間違っているのではなく、字と字の間が均等でないとか字の大きさが等しくないから、とか)からと怒鳴られた子供が泣くのは、子供自身が弱いからでしょうか。
子供なら、親が怒鳴った、という事実だけで泣くのでは?
泣いた子供に、「ほらそうやってすぐ泣く」「泣くようなことじゃないでしょう」「弱いからそうなんだ」と言っていたのも親です。うちの場合、これは両親共にです。
だから、自分は弱い、駄目な子だ、すぐ泣いちゃうんだ、という思いこみが入ってしまった。
なんで気付かなかったんだろう。
親を信じていたから。親を正しいと思っていたから。です。
長い時間がかかったけど、やっと、気付きました。
今、私を苦しめているのは、親によってしかけられたもの。
本人達は「しつけ」だと思っていたこと。実際、躾の範疇のものもあります。
でも、そのやり方が下手だった。私にあっていなかった。
そのことを親が分かっていなかった。合わせられない私が悪い、と言っていた。
気付いたことで。
やっと、楽になれそうです。