最近は、心療内科も必要ないような気がしはじめています。もうそろそろ治療も終わってもいいのかな、みたいな。
カウンセリングを一年受けて、何となく分かってきたことは、
・カウンセリングは、自分でも意識せずに溜め込んだ感情を整理する作業・成長過程で入っている「すり込み」や、「枷」に気付く作業
である、ということ。
では、その先は?
親との関係が良くなかった。兄弟姉妹の関係も良くなかった。相手が存在しているなら、文句も言える。思いのたけをぶつけることもできる。相手が生きているなら、変えようもあるかもしれない、変わらないかもしれない。五分五分。…もっと傷つけられる方が多いかな。
でも、相手が死んでしまったら、もう変えようもない。文句も言えない。
…おそらく、ここで、「変えられない」ということを受け入れる、…諦める、ということが必要なんでしょうね。
私の兄弟は、私が兄弟よりも何かよくできるものを持つことを嫌いました。勉強、習い事、進学先、はては服や靴にいたるまで、すべて。
私が彼らより劣っていることを望んだのです。意識的ではないと思います。だからより腹立たしいのですが。
兄弟姉妹だからといって、仲がよい、というのは幻想です。仲良しの方が望ましいですが、そうはならないこともあるのです。
でも、ずっと、私は兄弟の方が優れているのは当然だと思いこんでいた。関係は薄いけど、嫌いではないと思っていた。
…そう、関係が薄いのです。私たち。
なのに、「自分は何があっても貴女の味方」と言われたとき、違和感を覚えました。反射的に思ったのは、「え、そうなの?」と疑問形。
関わり薄く生きてきたのに、その台詞?みたいな。
一緒に遊んだ覚えもない兄弟なのに?
…どうも私は、親もですが、兄弟との関係に滅茶苦茶問題を抱えているようで。
カウンセリングを通して、やっと、おかしな関係であることに気づけたようです。
あとは、こういう関係しか持てない私である、ということを受け入れること。…相手は自分をおかしいと思っていないのだから、言っても自分が傷つく結果になることが目に見えています。
…諦める…。難しい作業ですね。気付かない方が良かったのかな、と弱気もかすめますが、気付いた今の方が楽なので、これでよかったのだと言い聞かせています。
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