つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

最近の状況。

2011-12-12 10:13:26 | キリスト教(カトリック)
気が付いたら、このカテゴリは2009年以来、更新なしでした。

簡単にまとめますと、2008年の復活祭で、私に洗礼を授けて下さった神父様が、私の所属教会から移動になり。
その後一年の空白を経て、2009年の復活祭で新たに移動してらした神父様は、私の神父様と反対の立場の方で、ご本人だけなら悪い方ではないのですが、私の神父様にとても反感をお持ちなのです。
…個人的に、嫉妬だろうなぁと憶測しておりますが…。

申し訳ないことながら、神様への愛についても、私の神父様に比べてまったくといっていいほど感じられず、ミサが苦痛になったので、ここしばらくは教会から離れていました。

どうも周りの方々と話をすると、外国人の神父様と合う方、日本人でなければ駄目とおっしゃる方、さまざまですが、私は外国人の神父様との方が自分の気持ちにぴったりくるようです。

その後、私の神父様がまた福岡に戻ってこられて、以前より遠くはなりましたが、たまに顔を出せる距離ですので、ちょこまかとお邪魔しておりました。

で。
私の病気発覚。

そのころは、教会から離れておりましたので、もともと好きだった神社仏閣でお祈りしていました。
同時に、私の神父様にお話して、それから少しずつ、また神様にお祈りするようにもなっていきました。
このころは、本当に少しだけでしたが…。

手術のころは、お祈りしても何もなかったです。
ただ口祷を唱えているだけ。
でも、こういう時は実は神様がすごくすごく近くにいらっしゃる時なので、気にせずに、自分ができるだけの力でお祈りしておしまい。

しかし、お祈りが少なくなっているのは気がかりでした。

FECとドセタキセルの投与の間に、お友達から勧められて、ゆるしの秘蹟と病者の塗油を受けました。
そのおかげか、抗がん剤はかなり軽く済み、9月にしばらくぶりにミサに参加。

とても嬉しかったです。

以来、曲がりなりにも「教会の祈り」と念祷をするようになりました。
…というか、私の場合、念祷はお恵みです。
今まで知らず知らずにやっていたようでもありますが、今回のきっかけは、まさにお恵みです。

放射線治療中は、アビラの聖テレサ(ずっと「聖テレジア」と呼んでいましたが、あれはラテン語読みで、スペインでは「テレサ」というようです)の著作を読んでいました。
以前買って一度読んだものの、わかるようでわからず、そのままだったものです。

今はずっとよく判ります。
もちろんまだまだ判らないところも多いのですが、これは、実際に祈り続けて、初めて判るものでしょうし、判らなくても、それは私の力の及ばないところでしょうから、それはそれでよしということでしょう。

洗礼は2006年に授かりましたが、今までしていたのは「信心」で、「信仰」は今年の9月に頂いたもの、という気がしています。
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