一月に、複数の媒体で
「ローマ教皇フランシスコ1世は5日、ヴァチカンでの一般謁見で、親になることについて言及し、子どもを持つ代わりにペットを飼うことを選択する人は自分勝手に振る舞っていると示唆した。 フランシスコ1世は、「今日(中略)私たちはある種の身勝手さを目の当たりにしている」と群衆に語った。 「子どもを持つことを望まない人もいる」 「子どもを1人だけ持つ人もいる。1人でおしまいだ。ところが彼らは子どもの代わりに犬や猫を複数飼っている」 「おかしなことかもしれないが、これが現実だ」 そして、こうした行いは「父性や母性を否定するものであり、私たちを損ない、私たちの人間性を奪うもの」だと付け加えた。 フランシスコ1世は、生物学的な理由で子どもを持てない人は養子縁組を検討すべきだとし、人々に親になることを「恐れるな」と呼びかけた。 また、「人口統計学的な冬」(おそらく出生率が低下している国々を指しているとみられる)についても言及し、「人々が子どもを持ちたがらない、あるいは2人以上を望んでいないことがわかる」とした。 「文化的劣化」 フランシスコ1世は過去にも、子どもよりペットを選ぶ人たちに対して発言している。 2014年には、子どもの代わりにペットを飼う行為は「文化的劣化の現象の1つ」であり、ペットとの情動的関係は親子の「複雑な」関係より「たやすい」と述べた。 現在85歳のフランシスコ1世はこれまで、犬からヒョウにいたるまで様々な動物をなでている姿を写真に収められてきたが、個人的にペットを飼ってはいないと考えられている。 」
という記事を読みました。
端的に言うと、心外でした。そして悲しかったです。
私には子供がいません。何となく、そのうちに、と思っていたら、二度の病気にかかり、子供を持つという選択はなくなりました。
養子をとる、という選択は素晴らしいことだとは思いますが、私は自分たちの子が欲しいと思うことはあっても、他所様の子供を養育したいとは思いません。私には荷が重すぎる。
そして、ペットを飼うことは子供を持つことの代わりではありません。たとえ、「○○ママ」とかいう言葉を自称することがあったとしても、ごっこ遊びのようなものです。なぜなら、動物は必ず飼い主の私たちの年齢を越し、最初は子供のようであった(実際子猫だったり子うさぎだったり雛だったりしますが)子たちも、大人になり、飼い主の私の年齢を越して、いつのまにか「やれやれ、こいつはいつまでもしょうもないなぁ」みたいな感じを出すことすらあります。家族であり、友人でもあります。寄り添ってくれる存在です。飼い主がペットに寄り添っているようでありながら、実は寄り添われているものです。
信徒の立場で言うのはいけないことだとは思いますが、このお話はとても失望しました。
ペット好きの気持ちは、ペットを好まない人には分かってもらえないものだと知っています。その逆もまた然りです。
おそらく、教皇様はペットを好まれないのでしょう。
分からないなら分からないままでいいので、放っておいてほしいものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます