これ、ものすごく、初歩的だと思われますが、私にとっては切実な疑問でした。
今は日本人は総無宗教かな?昔は「とりあえず」仏教徒、と言っていたと思いますが。サリン事件以来、宗教というと「うさんくさいもの」の代名詞になってしまったような感じがします。
で。実家は神棚も仏壇も祀っていなかったので、「信心の仕方」がよく分かりません。
昔話とかだと、熱心に寺に参詣しているので「寺参りする」のが信心の形なのかな?念持仏、というのもありますが、あれと仏壇ってどう関係するんだろう?念持仏を持ったらどうするの?主人は私よりちょっとは詳しいので(お祖母さんがちゃんと仏壇のお勤めしていたようです)、とりあえず毎日のお勤め、定期的に参詣(月ごとなら「月参り」ですね)をする、ということなので、そのようにやっていました。
で。和尚様に聞いたり調べたりした結果、天台宗とか密教系だとこんな感じみたいです。
・毎日のお勤め
・お祀りしている仏様の真言を108回唱える(数珠一周分)
・念持仏→仏壇の流れであっているようです。でも一般人でも今みたいな仏壇をもつのは江戸時代、徳川の檀家制度ができてからのようです。
・定期的に信仰しているお寺にお参り
何となくですが。仏教って日本人に合うような気がします。
カトリックと比べると色々と費用がかさむのですが(檀家でなくても)、でもお寺さんって費用かかるんですよ。お供物ひとつとっても結構するし(お金の話で恐縮ですが、庶民の私だと臆してしまうような話も結構あります)、供養料とか高くても仕方ないのかなぁと思ったりします。お香とか、いいの使ったら値段は天井知らずです。…香木一グラム五万とか八万とかしますからね。
そして線香は煙をあげた方がいいらしいですが、あれでアレルギーっぽい症状が出る私は、基本的には匂い袋をお供えして、どうしてもの時だけ焚いてます。お香の空焚きにしたりもしています。
うーん、これでいいと思って普段やってるのですが、ほんとにこれでいいのかな。
葉月はやるとなると根を詰めてがっちりやるのですが、やり過ぎて飽きちゃう、というタイプなのです。なので、飽きないようにするためには、小出しに小出しにやっていかないとなりません。
ゆっくり、ゆっくり。
お薬師様とお大師様と一緒です。
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