上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ライブ2014:ホロコーストを逃れたユダヤ人難民居住区「舟山路界隈」-虹口区

2014年03月24日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.今でも当時の建物が残っていますが、数万人いたユダヤ人たちは戦後全て上海を去りました。

2.霍山路と舟山路角の「霍山公園」にはユダヤ人難民の記念碑があります。


公園は1917年の創建ですが、場所は当時隔離区の中にあり、集会所と墓地でした。

3.中国語ではユダヤ人を「猶太人:youtairen」と言います。


1930年代と40年代の初期には数万人のユダヤ人たちが暮らしていました。

4.ユダヤ難民居住区の記念碑


「第二次世界大戦中、数万人のユダヤ人がファシストの迫害をのがれ上海へ到来しましたが、
中国侵略日本当局はユダヤ人難民たちを無国籍を理由に、隔離区を設置し彼らの行動を制限しました。」

5.公園正面に建つレンガ造り4階建ての建物。



6.舟山路にも当時の建物が残っています。



7.上海の石庫門住宅とは明らかに違う外観です。



8.舟山路と長陽路の角に記念館があります。


当時、三国同盟を結んでいたドイツから「崇明島」に収容所を作るように要求があったそうです。

9.長陽路に地下鉄12号線の一部が開通し、この辺りも再開発が進んだようです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:浦東のイスラム寺院

2014年03月10日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.上海で見たイスラム寺院の内では「上海浦東清真寺」が一番大きくて立派です。

元、明代に上海地区にイスラム教徒が流入し最初に「松江清真寺」が建てられましたが、明代に青浦県、清代に七宝鎮に建てられました。
1843年上海開港後、各地からのイスラム教徒の流入が増え1852年に上海城内に「草鞋湾清真寺」が建てられました。
(実は「草鞋湾街」はhaichaoluが今住んでいるマンションの場所です。)

1949年には上海のイスラム寺院は19か所あり、1950年に2か所新築されましたが、文革中には対外的宗教活動も中止、寺は倉庫や工場として使われていました。
文革終了後統廃合され次の7か所が現在宗教活動を行っているようです。
(1)小桃園清真寺、(2)福佑路清真寺、(3)濾西清真寺、(4)松江清真寺、(5)景星路清真寺:楊浦区、(6)浦東清真寺 (7)小桃園清真女学。

2.地下鉄6号線「源深体育中心駅」4番出口を出るとすぐに道教寺院が見えますが、昨年往訪しました。



3.4番出口からそのまま北へ1ブロック歩くとイスラム寺院が見えてきます。



4.今はちょうど改装中で、内部には何もないそうです。



5.壁の造りなどがイスラム風ですね。



6.礼拝堂の前室でしょうか。



7.この小父さんが上海のイスラム寺院の場所を色々話してくれました。


最初、上海語でしたが、「分からない」と言うときれいな標準語で話してくれました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:豫園商城の骨董品店

2014年03月08日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.中国語で「銅芸工場問屋」とありますが、最後の「批発」は問屋の意味です。

2.もちろん「本物」かどうかは不明。



3.値段も怖くて聞けません。




この手の買物は中国人の方に値段交渉してもらった方が無難だと思いますが、決してその場で「日本語」を使ってはいけません。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS



上海ライブ2014:旧上海城内のイスラム寺院

2014年03月05日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.地下鉄出口に近く、通りの建物はほとんど再建されているようで、古い建物はありません。

2.通りの南側にありました。



3.黄浦区の保護単位になっています。


2000年頃まで「南市区」があったのですね。

4.「清真寺」の漢字表記が右からなので、だいぶ古い建物のようです。



5.中の方に尋ねましたが「参観」はだめでした。


寺の由緒書きなども表示はありません。5個のイスラム時計がありました。

松江イスラム寺院で見た地図にある黄浦区のイスラム寺院は残り2つありますが、どれも確認できませんでした。

6.浙江中路のイスラム商店


旧英国租界内に位置します。租界時代には警察官にインド人を多数雇用したそうですが、イスラム教徒もいたのでしょうか。

7.南側のイスラムレストランの屋根にはドームが見えます。


寺院が奥にあるかは確認できませんでした。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:豫園商城近くの尼寺「沈香閣」

2014年03月03日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.旧校場路から西に短い通りがあります。

2.小さな寺ですが明代の創建で歴史も古く由緒正しいようです。


全国重点文物保護単位に指定されている国宝級の寺院です。

3.入り口を入ってすぐ天王殿があります。



4.龍華寺の四天王よりは小ぶりですが、のお顔立ちもも素朴な感じがしますね。



5.蛇を持つ「西方広目天王?」も龍華寺の「赤色」とは顔色が異なりますね。



6.大雄宝殿。


文革後、一時寺院は住宅に転用されていたそうです。

7.建物は歴史あるせいか威厳が感じられます。


1989年頃より仏教協会や区政府の資金で修復が再建されました。

8.熱心な信者の方も多いそうです。


江南最大の比丘尼道場だそうです。

9.ご本尊様。


残念ながら明代の観音像は文革中に破壊されました。

10.古い土産物屋が残る通りですが、これより西側は老西門まで再開発の取り壊しがほとんど終わったようです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

上海ライブ2014:解放前夜の「周公館」-思南路

2014年03月01日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.蔦のからまる「周公館」は1920年代の建築で1979年に修復し記念館として一般公開しています。

2.表札や住所表示もレトロですね。



3.入口は階段を少し上がります。1階はガレージになっていたようです。



4.館内は撮影禁止になっています。


こういった場所ではカメラはバッグにしまった方が賢明です。

5.屋根裏とガレージも入れると4層になっています。


室内は当時のままにベッドなどが置いてあり、護衛や男女秘書官も含め大勢の党員が宿泊できるようになっていました。

6.庭に回ってみましょう。


1959年に上海市文物保護単位に指定されています。

7.隣の同形の建物が「展示館」になっており、庭には周恩来の銅像が立っています。


当時の国民党との闘争の歴史が写真やパネルで展示してあります。

8.当時、周恩来が車に乗って出かけると、必ず国民党の車が尾行していたそうです。


毎日のように放映されている共産党と国民党の闘争TVドラマがかなりリアルに感じられるようになりました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4 IS



上海ライブ2014:フランス別荘のビフォーアフター「思南公館」(2)

2014年02月26日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.「思南路・復興路の南西側再開発の第二期工事」
一期工事では49棟の歴史的建築の修築と9棟の新築が終わりホテル、商店、マンションとして利用されています。

2.思南路から「思南公館酒店」の敷地内に入ってみました。


一階部分はガレージとして使われていたのでしょうか。

3.同じ形の建物が並んでいます。



4.庭の古木も大切に保存されていますね。


戸建ての客室棟には各戸エレベーターが新設されているようです。

5.「Hotel Massenet」。ホテルの英文名にはフランス租界当時の通り名「馬斯南路」が使われました。


フランスの著名なオペラ作曲家名が元のようです。

6.重慶南路側にあるホテルの宴会庁建物。



7.「英国植民地風(コロニアル・スタイル)」の立派な建物です。


欧州人にとっては東南アジアは蒸し暑く、建物の庇を長くし周囲にベランダを設置して強い日差しを避けたのでしょう。

8.赤レンガの西洋建築と赤い提灯の組み合わせが何とも上海らしいですね。



9.ホテルの地下には駐車場も作られており、重慶南路からのアクセスは便利になっています。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:フランス別荘のビフォーアフター「思南公館」(1)

2014年02月24日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.淮海中路から南へ下ります。

2.「思南公館」の名前で一帯が再開発され、一部が昨年頃開業しました。


「公館」の名前が付けられたのは敷地内に「周恩来」の公館が保存されているからでしょうか。
各客室が一戸建てとなるホテル「思南公館酒店」と、独立した喫茶店やレストランなどの店舗が開業しています。

3.各一戸建ての店舗配置図。地図は南が上になっており、南側は同じく一戸建ての客室が並ぶホテルの敷地です。


思南路・復興路の南東角から東は重慶南路までのブロックに30棟近くの豪邸が並んでいます。

4.再開発担当の建築士はフランスまで調査に出かけて、細部まで建設当時のままに再現できるように勉強したそうです。


フランス別荘版「新天地」といったところでしょうか

5.ほとんどの店舗は入居が済んでいるようですが、まだ知名度が広がっていないようです。



6.外壁のモルタルには当時使われた南京産の玉砂利が混ぜられ、素朴な雰囲気が出ています。


建設当時はセメントはとても高価だったからだそうです。

7.ジョニーウォーカーの「永遠向前:Keep Walking」小父さんです。


足元には「スコットランドのウィスキー工場からから上海まで8898kmある」と刻まれています。

8.建物の権利者は人民解放軍の高官などが多かったようです。



9.再開発前に居住していた方々の取材がTVでも放映されていました。


夕方ピアノの練習をしていると通りはカップルが肩寄せあって散歩していたそうです。

10.居住者のご子弟の中には今はアメリカで生活されている方もおられます。



11.喫茶店で一服し、上海の「山の手生活」を疑似体験するのは如何でしょうか。


素敵な庭に囲まれた戸建てのホテルに泊まってみたいものです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:明代の石橋「大倉橋」-松江区 

2014年02月22日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.松江のメインストリート中山路も西路まで来ると道幅も狭くなり、だいぶ田舎の雰囲気です。

2.バス通りからすぐ南側に水路があります。大倉橋のたもとは日当たりもよく、絶好の布団干し場になっていました。


袂の「修繕記碑」を読むと明代の1626年の建造で本名は「永豊橋」とあります。

3.布団を掻き分け、すぐ橋の下から撮影。


明清時代、橋の南側に松江府の糧食を保管する城「漕運倉城」があったので「大倉橋」と呼ばれたようです。

4.橋を渡ってみます。


水路の北側の家並み。

5.高さ10m余りの橋の頂上から東側の眺め。


松江の中心部が見えます。

6.橋の南側の家並み。


各家には水路へ下る階段がついています。水運が盛んな頃は表玄関だったかもしれません。

7.橋の幅も広く、新しい橋が近くにできる前はきっと大通りだったでしょう。



8.橋の南側からの眺め。「五孔拱形」幅は50m余りあります。


観光地ではない生活の香りがします。

9.昔は大きな船が行き交ったのでしょう。


付近が整備されていますので、これから観光地になるのかもしれません。

10.中山西路に戻りバスで帰ります。


昔の日本の田舎町に雰囲気が似ていますね。

松江の記事はひとまず終わります。上海市郊外の鎮(集落)にこそ、江南地方の香りが残っていますね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

「思南路」の印象:上海ライブ2014年ダイジェスト(12)

2014年02月21日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.淮海中路に近い辺りは英語表記の喫茶店が数件並び、衡山路辺りを彷彿させます。

2.日本製ビールのポスターですが上海では別のメーカーの知名度が高いです。



3.窓辺の飾りもちょっとお洒落です。



4.復興中路を超えるとプラタナス並木の静かな住宅街が続きます。


「思南路」の記事を準備中です。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4 IS

失敗写真:上海ライブ2014年ダイジェスト(11)

2014年02月14日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.館内は撮影禁止でしたが、暗い階段を下りている時に首から下げていて思わずシャッターが下りてしまいました。
露出オーバーで完全にぶれていますが「夢の中の風景」とでも題名をつけましょうか。

2.同じく窓の外をノーファイダーで撮影。



「見る前に撮れ」と言う写真の金言もありますが、撮影ルールは守りましょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4 IS

上海ライブ2014:豫園商城の灯会(2)

2014年02月03日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.夜景の岳飛像

2.西遊記の中で三蔵法師が乗る馬「玉龍」


龍神の子でしたが過ちを犯して罰を受けているところを三蔵法師が助け、馬となって共をします。
中国古典「西遊記」も詳しく読むと面白い逸話が沢山あるようです。

3.「紫気東来」


東方から函谷関に牛に乗って「老子」がやって来たと言う「史記」にある故事から。最近は中国の自信を表しているようです。

4.毎年登場する鳳凰と天女


鳳凰は龍と同じ聖なる架空の動物。

5.「Lucky dolls celebrate the Chinese New Year」


中国語で赤ちゃんや幼児、人形を「娃娃:wawa」と言いますが、「Lucky dolls」と訳してありました。

6.龍を従えた今年の干支「馬」


題目は「龍馬精神」:精神旺盛だそうです。

7.全体の高さ10m、重さ10t、馬の高さが6m長さは10mもあります。



8.「年年有余」漁船が帆を上げ、漁に出かけます。


「魚」の中国語発音は「余:yu」と同じなので、縁起が良い「魚」は正月飾りに必ず登場します。

9.全体の規模がお分かり頂けるでしょうか。




撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:豫園商城の灯会(1)

2014年02月01日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.上海老飯店の左手の北側入口から商城へ入りましょう。

2.両側に土産物店が並ぶ狭い通りの上に飾られた馬の提灯。



3.伝統的な形の提灯が中国らしいです。


馬が持っているのは中国式「金塊」です。

4.色々な形の提灯が灯ります。



5.湖心亭茶楼のある荷花池に架かる九曲橋の入口です。


橋を渡りながら池の中の飾りものを見ます。

6.入口前、右の第一景


アダムとイブの「エデンの園」です。初めて見る洋物飾りです。

7.第二景「鳳求凰」。もともとは漢代の琴の楽曲ですが、同名の小説が後世にできドラマ化もされているようです。


場面は主人公の「司馬相如」(右端)がお目当ての美女「卓文君」(左から2人目)を食事に招き、彼女の気を引くめに琴の演奏を聞かせているシーンでしょうか。

8.第三景こちらも中国古典の恋愛小説「西廂記」の一場面。


山西普救寺に寄宿する書生「張珙」が相国の娘「崔鶯鶯」と偶然出会うシーン。この後二人は恋に落ち結婚します。

9.第四景「牛郎織女」


有名な七夕の物語ですが、二人には子供が生まれたようですね。

10.天の川を渡る織姫と彦星の出会い。


人形が電動で動く大仕掛けです。

11.第五景ディズニーの「白雪姫と七人の小人」


子供たちは上海ディズニーランドの開園を待ち焦がれています。

12.第六景「牡丹亭」


有名な明代に書かれたロマンチックな戯曲。主人公の「杜麗娘」は夢の中に出て来た「柳夢梅」に恋をします。
すべて京劇などで語り継がれてきた名場面ですね。

中国古典に造詣が深ければ興味も倍増しますが、ディズニーの場面が登場するのも昨今の事情でしょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

春節快楽!:上海ライブ2014年ダイジェスト(9)

2014年01月31日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.豫園商城の正月飾り
やはり中国は今でも太陰暦(中国語では「農歴」)の旧正月が本番です。

2.豫園商城も毎年恒例の「灯会」で華やかに輝きます。


今年の干支は馬ですが「空翔ける馬」が見られるか楽しみです。

3.精忠報国


この旗印は南宋代の名将「岳飛」(1103-1142年)です。
対「金」戦争で功績を上げましたが、徹底抗戦派の彼と宮廷内の和平派との確執で投獄され39歳の若さで一族共々処刑されます。
死後に罪を免ぜられますが今では「民族の英雄」として中国各地に廟があり、中国では三国志の関羽と同じくらい有名なようです。

「灯会」の夜景も準備中です。お楽しみに。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:豫園商城の夜景

2014年01月29日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.豫園商城は北側の「新北門」が主要な入口ですが、付近に地下鉄10号線「豫園駅」ができアクセスも便利になりました。

2.新北門から入り最初の交差点から南が「旧校場路」。


右手(南西角)の宝飾店。

3.左手(南東角)の有名な「上海老飯店」。



4.豫園商城のメインストリート「旧校場路」の夜景



5.「旧校場路」から北側の眺め。


右手商城の奥に「豫園」があります。

6.更に「旧校場路」を南に下がり北側の眺め。


右手の3階建て伝統建築のライトアップが一番きれいです。

7.「旧校場路」を南に下がり南側の眺め。


右手(西側)にも小さな土産物店が並んでいます。春節前なのでまだ混雑は少ないようです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS