上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

瀬戸内紀行番外編(5):宮島最古の寺「大聖院」

2010年11月18日 06時49分29秒 | 国内旅行
長い階段の中央の手すり下には、チベット寺院で見かけるような小さな「マニ車」がありました。

2006年には弥山の開創1200年を記念して、ダライ・ラマ14世による弥勒菩薩の開眼法要が営まれたそうです。

紅葉のスポットでもあります。

36童子と千体不動尊のお堂。

門前の神様達は三国志に出てくる将軍のようないでたちですね。

これが36童子の半分。反対側にもう18体あります。

奥に千体の不動尊が安置してあります。

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瀬戸内紀行番外編(2):宮島のお土産「もみじ饅頭」

2010年11月12日 06時57分21秒 | 国内旅行
何軒もの「もみじ饅頭」の土産店がありますが、各店自家製のようで、味も色々のようです。

店頭から製造の様子が見える半自動の機械で生産効率を上げています。
ご近所のお土産には伝統的な餡を購入、自分用には友人からチーズ餡を戴きました。

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瀬戸内紀行(11):岩国「錦帯橋」に立ち寄る

2010年11月08日 06時53分06秒 | 国内旅行
橋の後方に岩国城が見えますが、岩国は領主吉川広家が治める8万石の城下町でした。


錦帯橋は1673年に吉川広家により創建された木造5連の太鼓橋です。


日本三大名橋とうたわれています。

鵜飼などもあるようですが、定番は4月の桜の時期が撮影チャンスでしょうね。

帰りは再び関門橋を九州へ渡りました。

下関側にも関門端を見渡せるSAがあります。

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瀬戸内紀行(10):世界遺産、安芸の「宮島」を散策する。

2010年11月06日 06時39分28秒 | 国内旅行
ちょうど引き潮でしたが、水上の厳島神社の方が趣があるようです。


木造建築は常に修理が必要ですが、その技術も伝承していかなければなりません。


この橋も以前は自由に渡れたそうですが、世界遺産に指定されてからは通行止めになっています。


水上の能舞台です。


由緒書きによるとあらためて貴重な遺産であることが納得できます。

行政地域としては広島市ではなく、廿日市市に含まれます。観光収入だけで自立できるのでしょう。

紅葉の時期には大変な人出だそうです。


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瀬戸内紀行(9):世界遺産、安芸の「宮島」に渡る。

2010年11月04日 06時09分52秒 | 国内旅行
宮島へ渡るフェリーボートは2社が航路を運行していますが、右側のJRは宮島の鳥居の沖を航行します。

またまた恥ずかしながら「宮島」が島で、船で渡るとは知りませんでした。


宮島に勤務する友人は、定期券を持ち毎日船で出勤しています。


宮島はフランスの世界遺産「モン・サン・ミシェル修道院」と観光姉妹都市を提携しており、ヨーロッパの観光客も多いとか。


放し飼いの鹿はえさをねだる事も無く、のんびりと昼寝をしています。

増えすぎてこまるので、捕獲し山に沢山返したとか。

世界遺産の記念碑。

真ん中の穴からは鳥居が見えます。

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瀬戸内紀行(8):高松「栗林公園」を散策する

2010年11月02日 06時01分37秒 | 国内旅行
沿革を読むと400年以上の歴史があるのですね。


特に手入れが行き届いた年代物の松が素晴らしいです。


75万m2の広大な敷地には6つの大きな池があり、巨大な鯉も元気に泳いでいます。


西側の小高い紫雲山を借景としています。


池を回遊しながら日本庭園の粋を見ることができます。


右の北側は鴨場になっており、左の南側が回遊式の日本庭園です。

全部を回ると2時間は必要だそうです。

栗林公園近くには高松城の城郭もあります。

1587年に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が数年の歳月を掛けてこの地に城を造りました。
瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込み、今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市)を
日本の三大水城と呼んでいるそうです。

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瀬戸内紀行(7):源平の古戦場「屋島」を観光する

2010年10月31日 06時47分40秒 | 国内旅行

頂上には四国八十八箇所の一つ「屋島寺」があります。

頂上が平らなので駐車場からは楽に周遊できます。

お遍路さんも見かけました。


八十四番札所の屋島寺です。

鑑真和尚が基を開いたと伝えられています。

お稲荷さん前には狐ではなく狸が居ました。



鎌倉時代に建立された重要文化財「本堂」です。

約350年前と昭和32年に解体大改修が行われたそうです。

お寺を通り抜けると、高松市内が見えてきます。


今日は瀬戸内の島々もよく見えます。

正面が鬼が島伝説の島で、右の小さな島が「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島です。

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瀬戸内紀行(6):高松「わら屋」で讃岐うどんを食す

2010年10月29日 06時45分26秒 | 国内旅行
店の前には小さな水車小屋がありました。

江戸時代末期に建てられた農家を改造したそうです。

日曜日なので駐車場も一杯で、店の前には10名ほどの行列ができていました。

店内は広く、あまり待たずにすぐに席に付けました。


店内の中央には大きなお釜の上に神社があります。


4人分で8玉の釜揚げうどんです。


いりこ出汁の付け麺で戴きます。

麺の腰があっていくらでも行けそうです。

お昼の後は源平の古戦場「屋島」観光です。

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瀬戸内紀行(5):瀬戸中央道を四国に渡る

2010年10月27日 06時40分53秒 | 国内旅行
瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶ6本の橋が約22kmの海道を形作っています。橋の車道下にはJR瀬戸大橋線も走っています。

陸続きとなった四国の経済的発展に、橋の果たした役割は大きいですね。

広島からも日帰り観光コースとなりました。

瀬戸内海沿岸を回遊し、一つの観光地とする構想があるそうです。


中央の与島にはPAがあります。


第一駐車場から四国側を望みます。


第二駐車場から岡山県側を望みます。観覧車が建つのは鷲羽山でしょう。

坂出では高速を降りず、坂出JCTから高松自動車道で高松へ本場「讃岐うどん」を食べに行きました。

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瀬戸内紀行(4):世界文化遺産「広島原爆ドーム」に祈りを捧げる

2010年10月25日 06時50分18秒 | 国内旅行
平和公園の北端から東側、元安川の対岸に原爆ドームはあります。

「平和公園」と同じく世界遺産に登録された「宮島」との間を遊覧船が片道50分で運航されています。


原爆ドームは大正4年に広島県物産陳列館として広島県が建設しました。

設計者は現在のチェコ出身の建築家ヤン・レツルです。
レンガ(一部鉄筋コンクリート)モルタル仕上げ、玄関部分は石造りで地上3階一部5階建て、地下1階のセセッション様式と呼ばれる建築物で曲面を多用しているのが特徴です。

原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられています。

爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。
そして、占領が明けた頃にはその形から「原爆ドーム」という言葉が広く使われ始めました。

ドームの保存については、「原爆による惨禍の証人として保存する」という意見と、「危険物であり、被爆の惨事を思い出したくないので取り壊す」という意見が対立しましたが、昭和41年に永久保存を決定しました。

広く募金を呼びかけ、これまで3度の保存工事が行われました。

人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして平成8年に「世界遺産条約」に基づきユネスコの世界遺産一覧表に登録されました。


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瀬戸内紀行(3):「広島平和記念公園」を散策する

2010年10月23日 06時46分24秒 | 国内旅行
「原爆死没者慰霊碑」

1952年に建立されました。碑文には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。

「平和の灯」

水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するために1964年に建設されました。
全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と、全国の工業地帯から寄せられた「産業の火」が昭和20年生まれの広島の乙女により点火されました。
この火は、1964年(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。

「原爆の子の像」

「広島平和をきずく児童・生徒の会」が全国に呼びかけ、全国の子供達とイギリスなど9カ国の募金により1958年に建立しました。
碑文には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」とあります。

「千羽鶴」

日本および各国から千羽鶴が寄せられています。

「平和の鐘」

「原爆被災者広島悲願結晶の会」が1964年に建立しました。
鐘の周りの池にはハスが植えられていますが、被爆当時、ハスの葉で傷を覆い、火傷の痛みをしのいだという被爆者の霊を慰めたものです。

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瀬戸内紀行(2):「広島平和記念資料館」を参観する

2010年10月21日 06時02分07秒 | 国内旅行
原爆が投下された1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分で止まった懐中時計(実物)が展示してあります。

原爆投下前の爆心地近く(中島地区:現在の平和公園)の模型です。左手の丸いドームを持った建物が世界遺産に登録されている原爆ドームです。

広島は江戸時代には城下町として栄え、明治以後陸軍の施設が集中し「軍都」としても栄えたそうで、被爆当時の人口は35万人だったそうです。

原爆投下後、廃墟となった爆心地付近の模型です。

木造住宅は一瞬の内に全て消滅してしまいました。原爆の破壊力の凄さが痛ましいです。

東館には縮小された原爆ドームが展示されています。

ドームの下の壁には核実験に対する広島市の抗議文が貼付されています。

投下された原爆の模型です。
広島以外にもいくつかの標的都市があり、アメリカ軍は原爆の威力を計測するために、意図的に事前には空爆を行わなかったそうです。

それらの標的都市には訓練のため、予め模擬爆弾が投下されました。周到な準備がなされていたのですね。

「伸ちゃんの三輪車」

当時3歳11ヶ月の伸一ちゃんは、爆心地から1500m離れた自宅前で三輪車に乗って遊んでいる時に被爆し、その夜に死亡しました。
父親の信男さんは遺体を焼く気になれず、一緒に遊んでいた近所の女の子と手を繋がせ、焼け焦げた三輪車と一緒に庭に埋葬しました。
その後、被爆40年目に墓所に移す決心をして堀り起こし、葬式を行ったそうです。

会場内では市民ボランティアの方が丁寧に説明してくれます。

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