1.「外白渡橋」を渡った交差点から撮影した「浦江飯店」。ここは全体が見渡せる撮影ポイントです。
2.黄浦公園から見た「外白渡橋」と、かつて「ブロードウェイマンション」と呼ばれたホテル「上海大厦」。
3.「外白渡橋」も優秀歴史建築の指定を受けています。
租界当時のTVドラマにも度々登場しますが、あれは上海映画村にある野外セットです。
4.「外白渡橋」を渡り交差点から右が黄浦路。
5.「浦江飯店」が掲示した優秀歴史建築のパネル。
「旧礼査飯店、上海開港以来第一の西洋式ホテル。創建は1846年、英文名はリチャードホテル、創業者のリチャード・アスター(船長)から名付けられた。
1857年に「外白渡橋」の北側の現地へ移築しアスターハウスホテルと改名した。中国名は礼査飯店のまま。
1907年に新瑞洋行の設計で一部鉄筋コンクリート造り、一部煉瓦造りの新古典式イタリアバロック建築で拡張した。
当時上海で最も豪華な西洋式ホテルで、中国いや東洋で最も著名なホテルだった。
創建後150年たってもなお当時の英国建築スタイルを残す歴史遺産で、補修をし経営している。」
手元資料では一連の船長による経営が続いたが、1860年にヘンリー・スミスに売却、彼がアスターハウスホテルと改名しました。
更に1923年には和平ホテルとともに「香港ホテル」に売却、この香港ホテルはこれを期に社名を「香港上海ホテル」と改名。
この会社はユダヤ系英国人カドゥリー家の所有会社で、彼らの末裔が現在の「ペニンシュラーホテル」のオーナーです。
初代Ellis Kadorieの墓は今でも宋園路の外人墓地に残っています。
「香港上海大酒店有限公司」のHPにある「Our Histly」には「Sir Elly Kadooriey & Sons」の写真を見ることができます。
6.右手がホテルの正面入り口。
5階建てで客室は200室、5台のエレベータ設置。
発電とボイラー設備があり全館で2000個の電燈を灯し、冬は暖房、夏は扇風機が使用可能で、各部屋は24時間温水衛生設備がありました。
ダンスフロア、喫煙室、理髪室に撮影スタジオ、バーにビリヤード室などの娯楽施設があり、1913年には初めてトーキー映画を上映しました。
600人収容のレストランには30トンも貯蔵できる食品冷蔵庫も設置しており、どれをとっても20世紀初頭の最高のサービスを提供していました。
7.上海市が指定した優秀歴史建築のパネル。
ドイツ人科学者アインシュタインや喜劇王チャップリンなど、世界中の著名人が宿泊した部屋が残されています。
4階の吹き抜けホールはホテルの歴史や著名な宿泊者を紹介する展示室になっていますが、宿泊者以外でも閲覧できます。
1949年に「浦江飯店」に改名、お隣の上海大厦などとともに上海衡山集団の傘下となっています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
2.黄浦公園から見た「外白渡橋」と、かつて「ブロードウェイマンション」と呼ばれたホテル「上海大厦」。
3.「外白渡橋」も優秀歴史建築の指定を受けています。
租界当時のTVドラマにも度々登場しますが、あれは上海映画村にある野外セットです。
4.「外白渡橋」を渡り交差点から右が黄浦路。
5.「浦江飯店」が掲示した優秀歴史建築のパネル。
「旧礼査飯店、上海開港以来第一の西洋式ホテル。創建は1846年、英文名はリチャードホテル、創業者のリチャード・アスター(船長)から名付けられた。
1857年に「外白渡橋」の北側の現地へ移築しアスターハウスホテルと改名した。中国名は礼査飯店のまま。
1907年に新瑞洋行の設計で一部鉄筋コンクリート造り、一部煉瓦造りの新古典式イタリアバロック建築で拡張した。
当時上海で最も豪華な西洋式ホテルで、中国いや東洋で最も著名なホテルだった。
創建後150年たってもなお当時の英国建築スタイルを残す歴史遺産で、補修をし経営している。」
手元資料では一連の船長による経営が続いたが、1860年にヘンリー・スミスに売却、彼がアスターハウスホテルと改名しました。
更に1923年には和平ホテルとともに「香港ホテル」に売却、この香港ホテルはこれを期に社名を「香港上海ホテル」と改名。
この会社はユダヤ系英国人カドゥリー家の所有会社で、彼らの末裔が現在の「ペニンシュラーホテル」のオーナーです。
初代Ellis Kadorieの墓は今でも宋園路の外人墓地に残っています。
「香港上海大酒店有限公司」のHPにある「Our Histly」には「Sir Elly Kadooriey & Sons」の写真を見ることができます。
6.右手がホテルの正面入り口。
5階建てで客室は200室、5台のエレベータ設置。
発電とボイラー設備があり全館で2000個の電燈を灯し、冬は暖房、夏は扇風機が使用可能で、各部屋は24時間温水衛生設備がありました。
ダンスフロア、喫煙室、理髪室に撮影スタジオ、バーにビリヤード室などの娯楽施設があり、1913年には初めてトーキー映画を上映しました。
600人収容のレストランには30トンも貯蔵できる食品冷蔵庫も設置しており、どれをとっても20世紀初頭の最高のサービスを提供していました。
7.上海市が指定した優秀歴史建築のパネル。
ドイツ人科学者アインシュタインや喜劇王チャップリンなど、世界中の著名人が宿泊した部屋が残されています。
4階の吹き抜けホールはホテルの歴史や著名な宿泊者を紹介する展示室になっていますが、宿泊者以外でも閲覧できます。
1949年に「浦江飯店」に改名、お隣の上海大厦などとともに上海衡山集団の傘下となっています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
さすがに虹口区黄浦路までは
行ったことが無いですね~。
いや~、超豪華で、最新鋭設備は
凄いですね~! 正真正銘東洋一!!!
そして、あの橋は!!!
、まさに新上海灘の世界!!!
でも、映画のセットも忠実に再現していますね。
それから、日本人疎開に興味有るのですが、
一度も行ったことがありません。
どんな雰囲気なんでしょうか?
機会が有れば、行きたいと、思うよな・・・。
すみません。
内部も一通りは見れますので、次回行って見て下さい。
虹口区も私の好きな地区で何度も写真撮影に行っています。
豫園付近の「華界」の下町と「共同租界」の下町の雰囲気はまるで違います。
おいおいご紹介しますので、お楽しみに。
紹介してくれてありがとうございます!
豫園周辺も私の散歩コースですが、
共同疎開は行ったことがありませんので、
楽しみに待っています!