これは「中華芸術宮」に展示してある租界当時の競馬場の賑わいを描いた絵です。
馬場の向こうに「国際飯店」や「金門大酒店」が画かれていますね。
1933年に竣工の競馬場クラブハウスは、1952年から1996年まで上海図書館として使用されていました。
五階建てで時計台を含めた高さは60m。
現在、新しく出来た「中華芸術宮」と所蔵品の入れ替えを行なっており、しばらく美術館としては休館の予定です。
現在、歩行者天国となっている南京東路は租界当時、外灘から競馬場へ行くための道で、上海人は「大馬路」と呼んでいました。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4
クラブハウスの建物も立派ですね。
今の時代に中国で競馬を開催したらばくち好きな中国人が熱中して大変なことになりそうですね。
英国租界の人口は当初たったの500人だったそうですが、狭い外国人居住区では競馬が唯一の娯楽だったようです。
その後競馬場は東から西に3度移動し、その度に租界が広がり、
土地の値段も10年で200倍になったと言います。
租界の繁栄は1852年当時の英国国家財政の半分の富を英国にもたらしましたが、
そのうちの6割がアヘンから上がる利益でした。
当初、アヘンは合法で今のタバコと同じ感覚だったようです。