波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

(波と狛は)1年ぶりに東京へ(日本スピッツ協会展覧会その1)

2024-11-30 03:19:10 | ワンコイベントの類

こんばんは、白黒茶々です。

秋といえば、ワンコイベントが活発化する時季でもありますよね 私の地元でもそのような催しがいくつかあったのですけど、タイミングが合わなかったり見逃してしまったりして、白黒茶々家は行けていません。 そのような中、10月27日の日曜日に東京で日本スピッツ協会の展覧会(本部展)が開催されることになりました 私たちは見学組になるのですけど、スピッツが集まる絶好の機会なので、もちろん行きますよ 3月の末におこなわれた春展のほうは、私の父の四十九日法要&納骨と日程がカブってしまい、出向くことができませんでした。 なので、私たちにとっては昨秋以来で、1年ぶりとなります。 そうすると、との電車旅もその時以来となりますね。 週間の予報では、その日の天気はかなり怪しいのですけど、どうか覆りますように

そして、いよいよその当日となりました とはいっても、まだ夜が明けてないのですけど。 私は始発列車に乗るために朝早くから支度を始め、波と狛を散歩に連れ出しました。

最寄りの駅からは、始発列車に乗っていきますよ このあたりは厚い雲に覆われているのですけど、東の東京のほうは大丈夫とのことです。

久しぶりの電車旅ということもあって、時間ギリギリとなってしまいました。 それでも、予定の列車に乗り込んでしまえば、こっちのものです あとはその車内で揺られながら、ゆっくり過ごすだけです。

私たちがこの列車に乗ってから約2時間後に、富士山が見えてきました。 あまり冠雪していなくて雲が被っているのですけど、全体像を掴むことができたので、ヨシとしておきましょう。 私たちは沼津駅で列車を乗り継いでいき………

三島駅で一旦外に出ました。 東京への行き方は定着しているのですけど………

ここからは新幹線に乗っていきますよ それから間もなくして、三島駅の新幹線ホームにこだま号の東京行きが到着しました。

新幹線に乗るのは、私は2ヶ月ぶりでした。 エスコンフィールド北海道にファイターズ観戦をしに行った際に利用したのですけど、帰りにはグリーン車で溶けかけたアイスを食べたのですよね。

それでも、今回も指定席にしました。 各駅停車のこだま号ということもあって、かなり空いていますね。 一方の波狛ちゃは………

特大荷物スペース付き座席の後ろの空間に入ってもらいました。 そこからでは外の景色は見えないのですけど、新幹線の乗り心地をご堪能くださいませ やがて私たちは、東京駅に到着しました。 とはいってもまだゴールではなくて………

山手線で秋葉原駅まで行き、さらにそこからは総武本線に乗り換えました。

その車窓からは、東京スカイツリーが見えました。 さらに浅草橋両国錦糸町亀戸を経て………

目的地の最寄りとなる、平井駅まで来ました ここからスピッツ協会の展覧会の会場となる平井運動公園までは、1.4km程あります。 当初は歩いていったのですけど、さすがに大変なので、前回はタクシーを使用。 後に、その会場に近いといえなくもないところにバス停を見つけたので、今回はそのルートで行くようにします。

そして「平井駅まで来ました 」から19分後に、目的地にたどり着きました 私たちの視線の先には、たくさんの白スピがいました。これからその群れの中に斬り込んで(?)いくのですけど、この時の高揚感は何回体験してもたまりません

その会場では、出陳犬の審査がおこなわれていました。 こちらのほうは私の地元より雲が少ないので、天気は大丈夫そうです。 このまま展覧会が終わるまで、もちますように

出番を終えたばかりの子が、私たちのところに来てくれました。 アロハちゃんという名前の女の子で、彼女の飼い主さんは私たちのことをSNSでご存知でした。 さらに休憩場所も提供してくださったので、ゆっくりとお話をすることができました。

その一方で、展覧会のほうは着々と進んでいきました。 私の手元にスケジュール表のようなものはないので、どのあたりまでいったのかはわからないのですけど、出陳犬が少ないこともあってかなりペースは早いです。 とかなんとか言っているうちに………

午前の部の締めとなる、集合写真をやることになりました。 そうしたら、出陳組だけではなく、会場に居合わせた見学組もお入りくださいませ 私たちは単独で来たので被写体に徹するか、私たちが入っていない集合写真を撮るか………

………と、選択に迫られているところに、スタッフのめぇさんが「カメラのシャッターを押しましょうか?」と、声をかけてくださいました。 おかげで、センターの真横を陣取ることができました。 しかし、こちらの展覧会に来るといつもお逢いしている顔馴染みの方たちは、この撮影には間に合いませんでした。 というよりは、午前の部が終わるのが早過ぎです そんな彼女たちは、これからいらっしゃるのでしょうか? お昼ご飯を食べつつ、皆さまと一緒に次回の日記まで待ってみます。



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スポーツの日に日本一周

2024-11-27 03:55:49 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。
前回の予告の通り、今回は日本一周をしようと思います。 いや、正確にはすでにしてきたので、その様子をお伝えします。 「日本一周」というワードからは、かなり壮大で大変なイメージが思い浮かぶのですけど、こちらでは散歩感覚でサラッとできるのですよ とにかくそのカラクリも含めて、お伝えします。 前回私がと訪れた前芝地区から程近い、豊川市の入口には………

このような案内看板があります。 「日本列島って、今立っているところがそうなのでは?」と思われたそこのアナタは、一応間違ってはいません。 実は、この広大な日本列島 ………って、ここでは「世界の大国に比べたら小さい」とか「狭い日本そんなに急いでどこへ行く?」などのようなことは言わないでください。 とにかく、日本列島の中の三河湾に面した三河臨海緑地の中には………

小さな日本列島があるのですよ その名もズバリ 三河臨海緑地「日本列島」 Google Earthで見ると、よりわかりやすいと思います。 北海道に本州、四国、さらには九州っぽい地形が並んでいて、日本列島を形作っています。 そんなスモールサイズの日本列島に侵入し、実際に歩いて回ってみます そこがどうなっているのかというと………

その日本列島は改造中でした。 入口となっているアーチは位置関係からすると、関門大橋ってトコでしょうか? そうしたら、私たちは山口県から入っていき、山陰地方から時計回りに日本を一周していきます それから間もなくして………

「東尋坊」と刻まれた、石柱が見えてきました もう答えを言ってしまっているのですけど、このモニュメントは福井県にある東尋坊をイメージしているみたいです。

工事中で近付けないところもあるのですけど、日本海側を歩いていったら………

王将ベンチがありました 「王将」といえば、餃子の……… いや、これは山形県の天童市が全国一の生産量を誇る、将棋の駒がデザインされています。 さらに私たちが(疑似日本列島を)北上していったら………

北海道の花でもある、ハマナスが描かれたプレートがあるところに行き着きました。 位置的には札幌市のあたりなのですけど、他に北海道を思わせるものは見当たりませんでした。 それはさておき、津軽海峡を越えて東北地方に入っていきますよ

そうしたら、すぐにリンゴのモニュメントやベンチがありました こちらはリンゴの産地でもある、青森県ですね。

青森県の南隣は、岩手県となります。 そのあたりには、その地方の民謡の「南部よしゃれ節」の歌碑がありました。 さらに私たちは南下していき、関東に入っていきました。

そうしたら、埼玉県の民謡となっている「通りゃんせ」の歌碑が この歌は、川越市の三芳野神社がモデルになっていると云われているのですけど、諸説あるみたいです。

これは、東京都の高層ビルをモチーフにしているのでしょうか?  このあたりで、ちょっと内陸部に入ってみることにしましょう。

そうしたら、長野県の県花のりんどうに行き当たりました。 避暑地にもなっているこの県で、波ちゃは小休止でしょうか?

神奈川県のエリアには「赤い靴」の歌碑があって、さらにその近くからはミニ富士山を仰ぎ見ることができました。

そのあと、私たちは愛知県に来ていました。 そこには県花のかきつばたのプレートと、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が安礼乃崎(現在の豊川市御津町のあたり)で詠んだ歌の歌碑がありました。 それよりも、私たちにとっては最も肝心な静岡県を通り越してしまいました。 それではいけないので、戻ってその県のことを示す何かを探しまくったのですけど、どうしても見つかりませんでした。 だからといって、ここで踏み留まっているワケにはいかないので、泣く泣く次のステージに向かうことにしました。 三重県から紀伊半島を横切っていったら………

なんか、キノコのようなベンチが見えてきました。 こちらはキノコ王国でしょうか? どこの県なのか見てみたら、高知県となっていました。 ………ということは、アレははりまや橋の擬宝珠を表現しているということに

さらに私たちは県を飛び越していき、気付いたら沖縄県まで来ていました。 その県花のでいごのプレートがあったのですけど、近くには虫のような花をつけるアメリカデイゴの木が植わっていました。

その次は、熊本県に行き着きました。 熊本県といえば、阿蘇山とか辛子レンコン的なものを連想するのですけど、県花のプレートしかありませんでした。 その県の花はリンドウなのですね。

その近くにはちょっとした坂があったので、「もしかして、長崎県のオランダ坂?」なんて言っていたら、そのことを示すものがありました。 あとはスタート地点の「日本列島改造計画」中の関門大橋に至り、私たちの日本一周の旅は終わりました。

実は、私たちは数年前にもこちらで日本一周をしたことがあって、その際には石川県の兼六園徽軫灯籠(ことじとうろう)を見つけました。 今回それが見当たらなかったのは、工事で仕切られたところだったのかも知れません。 それ以外にも気付かずにスルーしてしまった府県はかなりあるので、次回は内陸部を重点的に廻ってみようと思います。


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スポーツの日に前芝散策

2024-11-23 01:51:18 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

地域のお祭りの翌日の10月14日は、「スポーツの日」という祝日でした。 「あれ?そのあたりは体育の日ではなかったっけ?」と思われている方もいらっしゃるかも知れません。 そういう私も、祝日の名称が変わったことに気付かないまま、今年も「体育の日」と言うところでした。 いつの間にすり替わったのか調べてみたら、平成32年(2020年)に東京オリンピックとパラリンピックが開催されることになったのが、きっかけみたいです。 もとは昭和39年(1964年)の最初のほうの東京オリンピックの開会式がおこなわれた10月10日を記念したのですけど、今では10月の第2月曜日が「スポーツに親しむ日」という扱いとなっています。 しかし、そこからは記念日的な要素は感じられません。
それはさておき、今年のスポーツの日は私は仕事が休みとなりました。 せっかくの祝日なので、その日を有効に過ごそうと思い………

朝から県境を越えた隣町にある、豊橋市民病院にやって来ました こちらで検査などを受けると思われたそこのアナタは、ハズレです。 実はこれから、病院内にあるお店でモーニングをいただくのですよ

………というワケで、マスク着用と手指消毒をしつつ、ここまでやって来ました 私が目指してきたのは、和風レストランのなごみ茶寮さんというお店でした。 こちらではおにぎりモーニングが目当てで、注文するメニューやドリンクも決めてきました。 お店は日曜日が休みなので、敢えて祝日の月曜日に来たのですけど……… あれっ、閉まってる よく見てみたら、祝日も(モーニングの時間帯は)休みとなっていました。 これでは、私は半永久的に食べに来れないじゃないですか

………なんて嘆いていてもお腹が空いていることには変わりはないので、第2候補というか、同じ病院内にあるCAFE de CLIE(カフェ ド クリエ)さんに入ることにしました。 ちなみにこちらのお店は、私は数年前に1度だけ利用したことがあります。

そうしたら、注文するメニューを決めましょう こちらのお店はカウンターでオーダーと支払いを済ませてから、席に就くシステムとなっています。 ちなみにモーニングのメニューは、全部で3種類。 前回はBのソーセージのセットにしたので、今回は………

私が席に座ったのは、9時ちょっと過ぎ。 その頃のお店は、かなり空いていました。 それからしばらくして………

調理にひと手間かかるものも運ばれてきて、今回のメニューが揃いました はい、Aのハムタマゴサンドのセットにしました。 トーストのサンドサラダヨーグルトが付いて、バランス的にも見栄え的にも良くて、三拍子揃っています もちろん、それらは美味しかったですよ。 そんなちょっとリッチで満足感のあるモーニングを平らげたら、波と狛を連れて次の目的地に向かいますよ あ、その前にトレーやお皿などは返却口に運んでおいてくださいませ。

………ということで、豊川と豊川放水路をまたいでいき、前芝というところにやって来ました このあたりはかつては河口に面した湊町で、向こうに見える灯明台が、この付近を行き交う船の重要な指針の役を担っていました。

前芝の灯明台は、味があって見応えのある建物ですね。 江戸時代の寛文9年(1669年)に建てられ、明治40年(1907年)に県営灯台ができるまで使われていました。 ちなみに現在の建物は、昭和41年(1966年)に復元されたものです。

そんな前芝の灯明台をバックにして、写真を撮っておきましょう 角度によってはアレですけど、情緒のある建物です。 この地域でもう1ヶ所、以前から私が気になっているところがあるので、寄っていってもいいでしょうか?

………ということで、前芝学校にやって来ました こちらは平成28年(2016年)に隣接する小学校中学校が連携してできた、小中一貫校であります。

そのうちの東側の小学校の部分には、歴史を感じさせる門があります。 ………が、止まっている車がジャマです それはさておき、それ以外の門が開け放たれていて、校庭で親子連れが遊んでいるので、私も遠慮なく入らせていただきました。 その敷地内には………

二宮金次郎の像があるのですよ 今から150年以上も前の明治6年(1872年)に、前芝小学校の前身となる前芝学校が創立されました。 さらに大正13年 (1924年)に、衆議院議員加藤六蔵の依頼を受け、藤原利平の手により制作された二宮金次郎の像が、正門の横に設置されました。 のちにその像は、校舎が新築移転された現在地に持ってこられたのですけど、作られて今年でちょうど100年になりますね しかも、日本最古というではありませんか 本を読みながら働くスタイルは、その頃から変わっていないように見えるのですけど………

こちらの金次郎さんは薪ではなくて、漁道具の魚籠(びく)を背負っているのですよ これは、その当時の前芝村のあたりが海岸に近かったことに由来しているそうです。

100年もの間、小学校の児童を見守ってきた金次郎さん。 その表情からは温かさも感じられます。 このあと私たちは日本一周をするつもりだったのですけど、行数が足りない(?)ので、次回の日記に持ち越させていただきます。



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神社の祭典の時季がやって来て、終わりました。

2024-11-20 03:12:43 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

秋といえば、秋祭りの時季でもありますよね 私が住んでいる地域には氏神様がいて、毎年10月の第2土曜日から日曜日にかけて、その祭典がおこなわれます。 その準備は9月の下旬頃から始まり、運営も含めてその役は私たちの世代が担っています。

そして早くも、祭典初日の10月12日の朝になりました。 とはいっても、特大サイズののぼりを立てる下準備をするために、私たちは5時30分に集合がかけられているので、それまでに家での朝の支度を済ませておかなければなりません。 なので、この時間の朝散歩となったのですけど、その間に冬場の星座のオリオン座を見ることができました。

6時台にワープして、地域の住民たちに協力してもらって、いよいよのぼりを立てる段階となりました。 その長さを測ったことはないのですけど、20m近くはあると思います。 そんな私たちに、皆さまから「オーエス 」のような掛け声をしていただけたら、嬉しいです。 「お祭りはとっくに終わっているのでは?」と仰る方もいると思いますけど、皆さまの声は時空を越えて私たちに届くハズです

皆さまのご協力(?)もあって、無事に立てることができました。 それを見送ってから、私はこの日は仕事があったので、そのあとは平常通りに出勤していきました。 飛んで、お祭りの初日の夜には集会所でちょっとした宴会と大人のビンゴ大会があり、それらもつつがなく終わりました。

日が改まって、お祭りの2日目の朝となりました この日は前日よりは時間に余裕があったので、明るくなってから散歩に行くことができました。 と並べてみたのですけど、のぼりの大きさは推定できるでしょうか?

10時からは神社でご祈祷がおこなわれることになっていて、それが終わってから甘酒が振る舞われます。 今年はウチの所属する組がその当番となったので、早めに来て仕込みを手伝いました。 竈に薪を焚べて煮炊きをすることになったものの、その火はすぐに消えてしまいました。 このような時にはキャンプのノウハウが生かせるのですけど……… そういえば、私は今までキャンプで焚き火や火起こしをやったことがありませんでした。 それでもその方法は知っていたので、火が付きやすい細い枝などを下から積んでいって……… のようにやっていったら、上手くいきましたよ

そうしているうちに、ご祈祷が始まりました。 外からはよく見えないのですけど、拝殿の中では神職やその関係者たちによって神事が執り行われています。

その際には、以前は近隣の住人たちが家のワンコを連れてきていたのですけど、最近は人間だけとなっています。 なので、これは別撮りでそれっぽく見せているだけです。 これからは、私が波と狛を連れていけば「我こそも 」という輩が現れるでしょうか?

その神事は、宮総代たちの餅まきで締められます。 とはいっても少しばかりの量なので、1コでも拾えたらラッキーってトコです。 その宮総代の中には、ヒュッゲ湖西市民キャンプ場のオーナーでもある滝本さんの姿がありました。

あとは甘酒を配るだけです 2つの釜で作ったので、私はそれらを飲み比べて味の違いを確認したりました。 実際にはそのフレーバーとは関係なく、4杯、いや、5杯はいただきました

それらが済んだら、全天候型の農協の出荷場の中で、子どもらによるビンゴ大会へと相成ります 勝ち抜いてきた子から、好きなおもちゃを持っていってくださいませ。

ビンゴは子どもだけではなく、大人もつい熱くなってしまいます。 それよりも、やる度に何の根拠もないのに勝てるような気がするのはなぜでしょうか? それから、リーチになってからが長いのも。 そのような場合は、4つぐらいリーチを抱えても決定打が出なくて、その間に先に抜けた方たちにいい景品を持っていかれてしまうのですよね。

それはさておき、こちらはこの祭典を盛り上げるのに必要な私たちの太鼓であります 今年の役割りを終えて、撤収する寸前に撮ったのですけど、夜には提灯を点灯し、笛の音に合わせて大きなバチで叩いたりしました。 以前は屋台と一緒に町内、いや、隣町まで曳き廻したのですけど、田舎は少子高齢化の影響を真っ先に受けることもあって、曳く人の数が激減。 コロナ禍を経てからは、出荷場の中か集会所の外に置いて叩くようになりました。
そのあとは明るいうちに太鼓台を解体し、のぼりも降ろして、今年の祭典を終えました。 規模は小さいのですけど、今年も限られた人数で精一杯やることができたと思います。 そのお祭りに参加した皆さん、裏方などで盛り立てた皆さん、お疲れ様でした。

ほら、「旅行は買ってきたお土産を食べきるまで終わらない」って言うじゃないですか なので今年の神社の祭典は、拾ってきた餅を食べて、終結となります。 いや、打ち上げの宴をやってようやく終わりになるのかも? それはさておき、波&狛と餅を分かち合うことになりました。 なみちゃ〜、こまちゃ〜、お餅ですよ〜

そいつを、食べやすい大きさに千切ってきました。 そんな生餅を、彼女らは凝視しております。

私の「ヨシ」の合図とともに、勢いよく喰らい付いてきました。 このお祭りが終わったら、紅葉や味覚などで秋が本格的になっていきます。 たぶん、きっと。 また、秋は行楽に適した時季でもあるハズなので、気候的には暑過ぎず寒過ぎない塩梅でお願いします。


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渚園での秋キャンプ

2024-11-16 01:00:04 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はと一緒に渚園キャンプ場で犬キャン△をやっています。 今回は晴天に恵まれ、風でテントやタープが飛ばされる恐れもないので、平穏にキャンパス……… いや、キャンプライフを過ごせそうです。

………なんていいつつも、私たちが滞在しているキャンプ場は夕暮れ時となっていました。 波と狛のほうのご飯は済んだので、前回の予告通り私のキャンプ飯に取り掛かかります

そこで私が用意したのは、焼き鳥缶と米2合、ニンジン、めんつゆ、チューブしょうがにございます。 それらを使って、炊き込み御飯を作るのですよ

研いだ米に水を加え、先程の食材を入れました。 以前から私には焼き鳥缶を使った炊き込み御飯の構想があって、いつかキャンプで作ってみたいと思っていました。 そこでレシピを調べたら、結構たくさん出てきたのですけど……… ほとんどが(私にとっては)凝ったもので、それらに必要な料理酒やみりんはウチにはなくて、しめじや舞茸のような具も買い揃えると、どうしても余らせてしまいますし。 質素でも構いません。 今、ウチの冷蔵庫にある食材だけで作れるものを検索していったら、ありました 味付けは、前のキャンプの残りのめんつゆが使えました。 それと、生姜はチューブ入りのもので代用するとして、その他の具はニンジンがあれば充分です ただ、そのレシピは4人分の2合炊きしか載ってないので、量は多すぎるのですけど、それに則るしかありません。 それらを飯盒炊さんしたら………

いい感じに炊き上がりました さらに、それに合う副食を作ったら………

今回のキャンプ飯が揃いました 炊き込み御飯に華を添える副食といったら、やっぱりそばですよね。 それだけではナンなので、タルタルエビカツノンアルスパークリングワインを加えてみました そうしたら、いっただきま〜す
気になる焼き鳥缶の炊き込み御飯は……… パンチはなくて素朴な味なのですけど、なぜかあとを引いてしまい、何回もおかわりしました。

この日の朝は雲が多かったのですけど、夜になっても天気は安定していました。 秋にしてはやや暑いのですけど、快適に眠れそうです。

皆さま、おはようございます 私たちが滞在している渚園に、朝がやって参りました とはいってもまだ4時台で、外は真っ暗なのですけど。 とにかくいつもの如く簡単に朝食を済ませて身支度をしたら、波と狛を連れて散歩に行きましょう。

………とはいっても、その散歩コースはいつもと一緒なのですけど。 ちなみにこちらは、「ゆるキャン△」にも出てきた渚橋にございます。 以前はコンクリート製の古い欄干だったのですけど、最近金属製のものに取り換える工事が終わりました。 それよりも、この画像ではまわりが結構明るくなったように見えるのですけど………

実際には、こちらに近かったのです。 まわりはまだ暗くて、波と狛の目からはビームが出ていますね。 前者はモバイルライトなしで撮ったもので、スマホが自動的に露出を調整したと思われます。 ただしそのモードでは、撮影時に数秒間スマホカメラを固定しておかなければならなくて、持っている手や被写体が少しでも動いたら「撮影に失敗しました」とか言って、勝手にカメラ機能を終了させてしまうのですよ。

それはさておき、それから間もなくして東の方から明るくなってきました。 朝焼けに染まる浜名湖も、綺麗ですね。

そのあとは、渚園内にあるドッグランに入りました。 こちらは24時間無料で開放されているので、ありがたいです。

この時間は他の利用者はいなくて、貸し切り状態となっていました。 単独ではテンションが上がらないのですけど、できたら思いっきり走り回ってください。 そんな朝散歩から帰ってきたら………

波と狛の朝ご飯と相成ります。 彼女らが食べ終えたら………

今回もキャンプの参加者全員を集めて、「キャンプに行ってきました 」写真を撮りますよ 波と狛は背筋が伸びていて、目線もしっかりとカメラのほうを向いていますね。 そんな彼女らを、皆さまも「よしよし」してやってくださいませ。 この儀式(?)を済ませたら、撤収に入ります

その作業中の6時4分に、渚園から日の出を見ることができました。 キャンプの翌朝が快晴だと、清々しくなります。 そして「キャンプに行って………」の撮影から53分後には………

撤収が終わり、全ての荷物を車に積みました。 あとは自宅に帰って、キャンプ道具の片付けと身支度をして、出勤していくだけです。 ちなみにこの時の時刻は、6時46分。 日月キャンプはどうしても2日目の朝が慌ただしくなってしまうのですけど、今回は我ながらテンポよくコトを進めることができました。

渚園の工事現場の看板には、改修後の管理棟の様子が描かれているのですけど……… 違いがわかりません。 それでも耐震補強をして、屋根を葺き替えるのは確実みたいです。 建物はかなり古いので、工事を経たら内部の壁やレイアウトがガラッと変わるのかも知れません。 私たちにとって渚園でのキャンプは今回が今年最後になりそうなので、その次に利用する時にはリニューアルした管理棟が見られるでしょう。 それから、アニメ「ゆるキャン△ SEASON 4」の制作も決定しました その作品のグッズや展示がより充実することも、期待しています。



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犬イベントから犬キャン△へ

2024-11-13 02:48:48 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はを伴って岡崎市でおこなわれた犬市場の会場に来ています。 朝一番でその会場に入り、所々に設けられたフォトスポットで写真を撮ったりしました。

その会場は、時間が経つに連れて人やワンコの数が増えつつありました。 しかし、今回に限って白いスピッツやサモエドの比率が異様に少ない というか、まったく見当たりません。 それならば、やむを得ません。 こうなったら………

会場の入口付近に置いてあった小道具を使って、ちょっとゾッとする写真を撮りましょう 波ちゃのそれっぽい表情が、いいですね。

狛ちゃの怪訝そうな顔も、たまりません とかなんとかやっているうちに、白い子が私の目に留まりました これは直撃インタビューをしなければ

私たちにとってこの日最初のスピッツとなるこの子は、おこげ君という名前の男の子でした。 スピマジックというか、今回が初対面となりました。 またどこかで逢えるといいですね

さらに、サモマジックも こちらはニコちゃんという名の女の子で、やはり初対面となります。 お逢いできて嬉しいというか、ホッとしたというか。 次の予定があるのでそろそろ会場から引き上げるのですけど、おかげで心残りすることなく次の目的地に向かうことができます。 が、その前に………

通り道となる自宅で、残りの荷物を車に積んでいきました。 食材の買い出しは、前日までに済ませてあるので、こちらもヨシ しかし、この後に諸々の手続きや設営などを済ませてからだと遅くなってしまうので、こちらでお昼ご飯を食べていくことにしましょう。 その行程を経て、私たちが目指していったところは………

浜松市中央区の浜名湖側にある、渚園キャンプ場でした 今回の日記のタイトルにも出ているのですけど、今からこちら波と狛を巻き込んで、犬キャン△をやりますよ ………と、私が渚園で意気込んだときには、いつもだったら管理棟の建物が出てくるのですけど、そちらは来春にかけて改装工事がおこなわれています。 その間は、こちらの仮設の施設が窓口となっています。

その内部はやや狭いのですけど、ゆるキャン△グッズなどが取り揃えられていました。 こちらでキャンプの受け付けと代金の支払いを済ませたら、ペットサイトに車を乗り入れますよ

そのペットサイトは電源付きサイトも含めて8つあるのですけど、この日は先客が4組来ていました。 それらの中での場所取りは早いもの勝ちとなるのですけど、木陰でトイレや洗い場に最も近い1番のゾーンが空いていましたよ 私は迷わずにこちらに決めて、設営を始めました。

そういえば、前回私がソロキャンプをやりに来た時には、ペットサイトの場所は浜名湖キューバヘミングウェイカップ2024の会場の一部となっていましたね。 その際に、巨大な手製のカジキの模型が飾られていたあたりに………

私はテントとタープ的なものを張りました 風がなかったこともあって設営は順調に進み、42分で完成させることができました。 まだ時間に余裕があるので………

波と狛を、渚園内にあるドッグランに連れていってあげましょう。 彼女らは最初はお手紙の解読(先客ワンコのマーキングの確認)をしていたのですけど、居合わせたワンコと一緒に遊んだりもしました。

その後は、テントの中でキャンプ読書などをして過ごしますよ。 その教材(?)として持ってきたのは、2週間ほど前に買ってきたばかりの「だもんで豊橋が好きって言ってるじゃん!(略して『だも豊』)」の最新号となる7巻でした。 原作者は豊橋市出身で在住の佐野妙先生で、豊橋のローカルネタが満載となっていて、佐野先生の地元愛の強さも感じられる1冊となっています。 さらにその購入特典として、「だも豊」と「負けヒロインが多すぎる!(略して『マケイン』)」がコラボしたポストカードが付いてきました。 「マケイン」の舞台は豊橋市で、原作者の雨森たきび先生も豊橋市出身。 さらに、佐野先生と雨森先生は同じ学校の同級生だったということが判明し、2人は意気投合 一緒にトークイベントなどに出たりするようにもなりました。 ちなみにこちらのイラストは、佐野先生の手によるものです。

そうしているうちに17時を過ぎたので、波と狛にご飯を食べさせました。 そのあとは、キャンプのメインともいうべきキャンプ飯に取り掛かるのですけど、何が出てくるのかは次回の日記までのお楽しみとさせていただきます。


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オバケが待ち構える犬市場

2024-11-09 01:22:46 | ワンコイベントの類

こんばんは、白黒茶々です。

10月に入ってから、ワンコイベントがおこなわれるようになりました。 それらの中で、私にとって今秋最初のものは………

岡崎市でおこなわれる、犬市場になりそうです。 もちろん行く気マンマンで、そのために予定も開けてあるのですけど、悪天候だったら諦めざるを得ません。 調子こいて、その日はもう1つ他の予定も入れたので、どうか晴れて……… とまでは言わなくても、せめて雨粒が落ちてこない程度で堪えてください。

そしていよいよ、その当日の朝となりました とはいってもまだ日の出前の時間帯ですけど。 今のところ、天気は大丈夫そうです。 今回は犬市場の会場に開場時間の前に行くために、早めに行動を始めることにしました。 この早朝散歩から戻ってきて、支度を済ませたら………

私たちは岡崎市にあるブルショットさんというカフェにやって来ました。 初めて訪れた、このお店での目的は……… もちろんモーニングですよ 私はブルショットさんが朝の7時からやっているという情報を得て、早めに来たのですけど………

実際には、もっと早い6時半から営業していました。 7時ちょっと前の来店となったのですけど、私がこの日最初のお客というか、お店には私だけしかいませんでした。

席はカウンターやテーブルがあったのですけど、私は座敷のスペースに腰を降ろしました。

そうしたら、注文するメニューを選びますよ とはいっても、私にはすでに心に決めてきたものがあるのですけど。 それから間もなくして………

私の席にモーニングメニューが運ばれてきました ご覧の通り、Bのスパゲティーモーニング(680円)にございます。 お店は女将さんが1人で切り盛りしていたのですけど、料理の手際が良くてほとんど待たされませんでした。 スパゲティーはナポリタンですね 炒めた麺が香ばしいです。 さらに追い小倉あんも用意されているのが、嬉しいですね それらを美味しく楽しくいただいたら………

犬市場の会場……… の隣にある、岡崎公園に向かいました。 こちらの公園はかつて岡崎城の主要部だったところで、私たちの目の前には模擬大手門が聳えています。 その時の時刻は8時15分。 犬市場の開場時間まで1時間以上もあるので、それまで岡崎城跡を散策しながら待つようにしましょう。

まずは大河ドラマ「どうする家康」の放送を機に造られた葵の御紋のフォトスポットで、撮っておきましょう 日付けも入っているので、記念になりますね。

せっかくなので、本多忠勝像の前でも撮っておきました。 そういえば「どうする家康」では、山田裕貴さんが彼の役を怪演していましたね。 そのドラマでは徳川家康松本潤)と、本多忠勝を含めた家臣との絡みも、観どころとなっていました。

そうしたら、今度は持仏堂曲輪跡家康竹千代の石像のところへ。 こちらでは復興天守井戸櫓を眺めることもできるので、私にとってはお約束の撮影スポットとなっています。

さらに、本丸跡にやって来ました 復興天守はまだ開館前ということもあって、最上階の回廊には人はいません。 まだ時間が余っているのですけど、なんとかして過ごしてから………

犬市場の開場に向かいました。 前日は大雨で泥田のようになったのですけど、もう大丈夫みたいです。 その入口には、すでに入場待ちの列ができているので、私たちも並ぶことにしましょう。 それからしばらくして………

ようやく会場に入ることができました  ワンコ関連の露店などがたくさん出ているのですけど、朝一番ということもあって、人もワンコもまばらでした。 それならば………

会場内のところどころに設けられているフォトスポットで、写真を撮っておきましょう ハロウィンが近いといえなくもないからなのか、セットがそれを意識したものとなっているのですけど……… 黒装束のオバケに囲まれていたり、頭蓋骨の花が飾ってあったりと、お洒落と不気味の紙一重となっておられる。

こちらはススキがあって、秋らしいとも言えるのですけど、大きなかぼちゃはジャックランタンとかにはなっていなくて、丸々転がっていますね。 それよりも、白骨化したワンコがインパクトあり過ぎです

さらに、露店の一角に用意されていたところでも撮りました。 こちらは全ての文字が英語だったり、星条旗が掲げられていたりしてアメリカっぽいのですけど、外国の、いや、ガイコツのブルドッグが立っていますよ

こちらはフォトスポットではないのですけど、オバケの風船と一緒に撮りました。 「Boo 」というセリフ付きですね。 気になって調べてみたら、「うらめしや〜」的な意味を持っていました。 これまでガイコツやオバケのような白い子とは否応なしに遭ってきたのですけど、白ふわのワンコはまだ見当たりません。 今回はお仲間と待ち合わせはしていないのですけど、帰るまでに逢えるのでしょうか? 次回に続きます。



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高取城の猿と熊(伊賀・大和路散策その4)

2024-11-06 01:28:55 | お城

ハッピーハロウィン!白黒茶々です。

この挨拶をするのには思いっきり出遅れてしまいましたけど、その直近となる前回の日記ではワケあって、謎のパスワードで入らなければなりませんでした。 だからといって、ハッピーハロウィンのかけ声をしないまま深秋を迎えるのはイヤですし。 仮装やゾンビの真似などはしなくても、せめて景気づけにこの挨拶を使わせてくださいませ。 その一方で波狛日記では、私・の1人と2頭は、宿泊先(車中泊)となる道の駅吉野路大淀iセンターで9月16日の朝を迎えました。

前日の不安定な天気とはうって変わってこの日は朝から快晴で、青空も見えていました。

こちらの道の駅はドッグランはないので、その周辺を散歩しました。 そんな感じで、ぐるっと廻ったら………

波と狛の朝ご飯の時間と相成ります。 彼女らが食べ終わったら………

私がモーニングをいただきますよ 道の駅の中にはレストランときんさんがあって、そのお店にはモーニングメニュー(こちらは630円のほう)が用意されています。 こちらで美味しく楽しく朝の活力を注入したら………

今回の旅の大本命の目的地となる、高取城跡に向かいますよ そのお城は、標高583.6mの高取山の山頂に築かれました。 麓から歩いていくと1時間以上もかかり、波と狛に厳しい山登りを強いるのは気の毒なので、できるだけ車で上れるところまで行くようにしました。 とはいっても、その山道は曲がりくねっているうえに幅が狭い 頼むから、対向車は来ないでくれ〜 とかなんとか言っているうちに………

お城の主要部の片隅に位置する、壺坂口郭の近くまで行き着くことができました。 このあたりには車を止められるスペースがあるのですけど、そのまた先は通行止めとなっているので、ここからは歩いていきます。 それから間もなくして………

壺坂口門跡に差し掛かりました。 そこで立派な石垣が、私たちを出迎えてくれました。 ………って、詩人的な表現というか、擬人化してしまいました。

そんな高取城の全体像は、こうなっています 最頂部に当たる二の丸跡本丸跡天守台などは目と鼻の先なのですけど、お城のスケールを実感しつつ皆さまにもその姿をお見せするためにも、山頂部の正面入口となる二ノ門跡まで廻りこみますよ さらにその近くには、ぜひ見ておきたい謎石もあるのですよ 有無を言わせないのですけど、波と狛も頑張って付いてきてくださいませ。 壺坂口門跡を通過してから、30分程かけて………

私たちは、二ノ門跡に到着しました ここから本丸跡までの標高差は110m、距離は872mもあるそうです。 かなり遠くまで来てしまいましたね。 引き返すのは大変なのですけど、その前に………

その手前にある猿石に癒してもらいましょう ※猿岩石ではありません。 この石は、高取城築城の際に石垣に転用するために飛鳥から運ばれたとも、郭内と城内の境目を示す「結界石」としたとの説もあるのですけど、真意は謎のままです。 それでも、このお顔は愛嬌があると思いませんか?
そんな猿石を前にして、このお城の説明をさせていただきます。 高取城は、南北朝時代の14世紀に越智邦澄によって築かれたのが最初とされています。 それから250年程後の天正12年(1584年)に筒井順慶によって修復され、さらに羽柴秀長の支配下となってから、本多利久が大改修をおこない、今日見られるような近世城郭となりました。 そんな高取城をARで再現すると………

こうなります 険しい山頂部に高い石垣を築き、さらにその上に白壁で本瓦葺の天守や櫓、門、塀などが建っておられる このような立派なお城が明治初期まで存在していたなんて、驚きです そうしたら、再びその主要部に迫っていきましょう。

足場は多少ゴツゴツしているのですけど、所々歩きやすいように整備されていました。 それからしばらくして「国見櫓跡」なるところを示す案内板があったので、登城道から外れたところにあるその地点まで行ってみました。

この段階で、波と狛は少々お疲れのご様子でした。 そんな彼女らの向こうに見えた景色は………

素晴らしい眺望ですよ 高取の街並みはもちろんのこと、橿原市街、大和三山や、さらには遠く大阪のビル群、生駒山、遠く比叡山まで見ることができました なんか、天下を取ったような気分です。

それから間もなくして、私たちは矢場門跡まで来ました。 この山城っぽい感じは、なかなかいいですね。

さらに、ゴツゴツしたところなどを通っていったら………

大手門跡に行き着きました ここからいよいよお城の主要部に入ります。 さらに二の丸の入口となる十三間多聞跡を経たら………

太鼓櫓新櫓の石垣に行き当たりました。 高くて立派なのですけど、これまでに見てきた石垣のように苔むしてはいません。 それもそのハズ、こちらは昭和47年(1972年)に修復されたので。 その向こうに本丸跡があるのですけど………

そこに至る途中に、このような案内熊がいました ご覧の通り、見事な木彫りなのですけど、サングラス姿が強烈です それは誰かの落とし物だと思うのですけど、よく似合っています。

そんなサングラス熊が案内する本丸の虎口は幾重にも折れ曲がっていて、城内では際立って堅固な造りとなっています。

また、天守の土台となる天守台は高さが12mもあって、城内で最大の高さを誇っています。 その上に上ってみたら………

またしても狛が下を覗き込んでいました。 彼の勇気は認めるのですけど、どうか落ちないでください それはさておき、城内で最も高い場所となる天守台からの眺めは………

う〜む……… その真ん前とまわりにある木がジャマで、あまり良くありません。 位置的にも、国見櫓跡のほうが見晴らしがよかったですし。

あとは「これぞ高取城だ 」という場所で「高取城に行ってきました 」写真を撮って、引き上げるだけです。 城址碑の横に波と狛を座らせていたら、あとからやって来た登山者たちが「わぁ〜、カワイイ 」とか「大人しく座っていて、お利口さん 」のような声をかけてくださいました。 そんな彼らにも写真を撮っていただき、高取城でのミッションを終えました。 しかし、こちらのお城が私が思っていたよりも広く、見応えもあったので、予定していた時間をかなりオーバーしてしまいました。 そのあとは、宇陀市にある宇陀松山城跡に寄っていくつもりだったのですけど、そちらは時間と歩行距離を要するところでもあるのですよ。 しかも、波がかなり疲れている様子だったので、急遽予定を変更することにしました。 そのような流れで、私たちが次に立ち寄ったところは………

三重県亀山市にある、伊勢亀山城跡でした  中学校のグラウンドのフェンスに遮られているのですけど、高い石垣の上に白壁の多門櫓が見えるのが、亀山城であります。

この建物は、三重県では現地で唯一現存する城郭建築にございます。 ちなみに私がこちらのお城に来るのは、伊賀上野城と同じ11年ぶりとなります。 帰りの通り道からはあまり離れていなくて、歩行距離もあまり要しないので、今回の旅の最終目的地として、こちらを選びました。

伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に関実忠が若山の地に築いたのが最初と云われています。 のちに中世の亀山城は現在地に移され、天正18年(1590年)に岡本宗憲によって修築され、天守が設けられました。 さらに本多俊次が寛永16年(1639年)から大改修をおこない、今日見られる規模のお城となりました。

ところが、出雲の松江城主だった堀尾忠晴は、幕府から丹波の亀山城の天守を取り壊すように命じられたのに、間違えてこちらのお城のものをやってしまいました。 以後、天守は再建されませんでした。 それはさておき、今では伊勢亀山城のシンボルとなっている多門櫓は、無料で開放されているのですよ もちろん中に入っていき、皆さまにもその様子をお見せします。

この建物は、18世紀後半頃に建てられたと推定されています。 東西15.8m、南北10.9mの単層櫓で、屋根は入母屋造りの本瓦葺。 のちに壁を板張り、屋根は桟瓦葺などに改造されたのですけど、平成21年(2009年)からおこなわれた修理によって、創建時の姿に戻されました。 そんな伊勢亀山城を堪能したら、帰路に就きますよ

みえ川越インターチェンジからは伊勢湾岸自動車道に乗っていき、途中の刈谷ハイウェイオアシス(刈谷PA)で休憩したりして………

豊橋市まで戻って来ました。 自宅まであと少しなのですけど、その市内にあるびっくりドンキーで、今回はモーニングで注入したミニマムではないほうのチーズバーグディッシュのМ(1150円)を食べていきました。 そして、19時半ぐらいに無事に帰宅。  波、狛、お疲れ様でした。 それから、皆さまも長々と綴った旅日記を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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飛鳥の古墳と珍石(伊賀・大和路散策その3)

2024-11-02 02:58:03 | お出かけ

くぁwせdrftgyふじこlp、白黒茶々です。

前回の日記の流れから、今回は「ふっかつのじゅもん」を入力して日記を始めることになったのですけど、その暗号がネットスラングみたいになってしまいました。 いや、中には「『ゆるキャン△』で見たことがある 」という方もいらっしゃるかも知れません。 はい、これは志摩リン斉藤恵那とチャットでやり合っている中で彼女が発した、断末魔の声(書き込み)であります。 それはさておき、そのパスワードのおかげ(?)で、私・による飛鳥の里の散策回に無事に入り込むことができたので、そこから始めさせていただきます。 石舞台古墳の見学を終えた私は、肩の荷(波と狛)を降ろしてから、そこから近いといえなくもないところにある………

都塚古墳にやって来ました 現在は田畑に囲まれた静かな環境の中にあるこの古墳は、6世紀後半に造られた円墳または方墳であります。 毎年元旦に金鶏が鳴くと云われていることから、「金鳥塚」とも呼ばれています。 石室の入口は鉄柵で塞がれているのですけど………

その内部を覗き込むことはできます。 石室の中央には、見事な家形石棺が置かれていました。 その石室内からは、須恵器や鉄製品などが出土したそうです。 さらに私たちは、その地域にある………

◯◯石を訪れました Google Earthでたまたま見つけてからずっと気になっていたので、今回の訪問地に組み込みました。 画像と名前は自主規制で伏せてみたのですけど、皆さまの想像力が実物を超える恐れがあるので………

包み隠さずに見せることにしました はい、私たちが見に行ったのは、マラ石であります マラは魔羅、チ◯ポというか、いわゆる男性のシンボルのことで、誰が何の目的で立てたのか謎のままの珍石が、道端に伸びているのですよ 一応、子孫繁栄や農耕信仰に関係したものと推定されています。 それよりもよくよく考えてみたら、これはあくまでも◯ンポを模したアート(?)なので、隠すどころか皆さまに鑑賞することを勧めなければなりませんでした。 そんなマラ石を堪能してから………

私たちは高松塚古墳に向かいました 裏の細道を入っていったところにある小さな駐車場に車を止めて、歩いていきました。 私を含めた昭和世代には、その古墳のこのような姿が頭に残っているのですけど………

現在はこうなっています。 綺麗に復元・整備されているのですけど、ただの土盛りというか……… 高松塚古墳は、昭和47年(1972年)に発掘されました。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径は上段18m、下段23m、高さ5mの二段式の円墳です。 この古墳は極彩色の壁画で有名なのですけど、発見・発掘される前に南側の壁に穴を開けられ、副葬品の一部が盗掘されました。 石室は 非公開&封鎖して保存したのですけど、壁画にカビを生やしたり、修理中に器材で傷つけてしまったり、………と、保存方法でかなり悩まされたみたいです。 結局、石室は解体され、壁画は石から下地となっている漆喰ごと剥がされ、保管庫で大事に保存されています。 そんな高松塚古墳の近くには………

高松塚壁画館という施設が造られています。 こちらでは、壁画のレプリカを見ることができるのですよ ちなみに私は、亀形石造物、石舞台古墳との共通券(700円)で入りました。

しかもこちらの施設の中では、一部の展示物を除いて写真を撮ることができるのですよ そうしたら、それらの中で主立ったものを紹介いたします。

こちらは教科書などによく出てくる、西壁の女子群像にございます。 剥落や汚れで見づらくなったところなどを修正した一部復元模写の絵もあるのですけど、発掘・発見された時の姿を捉えた現状模写であります。

女子群像と同じ西壁に描かれた白虎の顔からは、愛嬌すら感じます。 それに、前者ともども見事な筆致で細かく描かれていて、わが国の美術・絵画史上優れた作品と評価されています。

あと、天井部の星宿図も見逃してはいけません 非公開の現物はいうまでもないのですけど、それらを忠実に模写した方たちのことも誉めなければなりません。 そんな高松塚古墳を見学したら………

やっぱりキトラ古墳も合わせて訪問しておかなければなりません 高松塚古墳と同時期の7世紀末から8世紀初頭頃に造られた円墳で、上段の直径は9.4m、下段の直径は13.8mの二段の構造です。 昭和58年(1983年)に発掘された際には、18個の凝灰岩の切石を組み上げられた石室と極彩色の壁画が発見されました。 こちらは高松塚古墳の反省からなのか、調査や保存のための取り外し作業は慎重におこなわれ、現在は良好な状態で保存されています。 石室が抜かれた古墳は綺麗に復元・整備されているのですけど、こちらもただの土盛りに見えてしまいます。

それはさておき、その近くに設けられたキトラ古墳壁画体験館四神の館には、模写された壁画などが展示されていて、キトラ古墳のことをより知ることができるのですよ しかも入場無料ときたもんだ ただし、私が訪れたのは閉館間際だったので、急ぎ足で見ていきます。

その館内には、原寸大のキトラ古墳の石室の模型が展示されています。 その壁や天井には壁画が模写されているので、これだけでも古墳について把握することができます。 それにしても、この時期の古墳の石室は切石を綺麗に組み上げているものの、内部はかなり狭い 棺が入ればいいという感じで、追葬などは想定されていないみたいです。 この他には、壁画の4面マルチ高精度映像や当時の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、古墳の発見から調査・研究を経て埋め戻しに至るまでのドキュメンタリー展示などがあったのですけど、写してきたのはコレだけです。

キトラ古墳の諸施設をあとにした私には、日没前にどうしても寄っていきたいところがありました。 それはどこかといいますと……… って、Google Earthやカーナビを見たりして迫っていったのですけど、車が入りにくいところにあるので、なかなか近付くことができません。 なので、やむなく最寄りのコイン精米機の駐車スペースに車を止めて、歩いていくことに。 そんな私たちが目にしたのは………

亀石でした 重さ10トンを超える花崗岩に亀のような顔が彫られていて、マラ石と同じように何のためにここにあるのか謎のままとなっています。

………といいつつも、亀が動いて西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているのですよ 今、泥沼化されたら困るので、どうかジッとしていてください。 そういえば亀石のちょっと手前には、車1台を止められるスペースと休憩場所、自動販売機が設けられていました。 これから亀石を訪れる方は、先着1組のその設備をご利用くださいませ。 ここに至るまで我ながら欲張りコースでしたけど、皆さまの応援(?)もあって、予定されていた立ち寄りスポットはすべて踏破することができました そうしたら、あとはお風呂と食事を済ませて、宿泊地に向かうだけです。 そのような流れで………

まずは明日香村健康福祉センター たちばな内にある、太子の湯に寄っていきました。 こちらは公共の浴場なのですけど、地元民ではなくても600円で利用することができます。 太子の湯で旅の汗を流して、広い湯船に浸かったら………

次はお食事の順番と相成ります 今回私が選んだお店は、看板は橿原ごはんや見瀬町食堂となっているのですけど、フジオフードシステムが関西を中心に展開する、まいどおおきに食堂にございます。 こちらはセルフサービス形式で、たくさんある料理やおかずの中から選んだものをお盆に乗せていき、会計を済ませてから席に就くシステムとなっています。 今回初めて利用することになった私は、どれも美味しそうで迷ってしまったのですけど………

鶏の唐揚げと茄子のみぞれ煮をメインにして、冷奴生卵マカロニサラダ、………などを取り集めました。 ちなみに合計1080円となりました。 それらを美味しくいただいたら、まだ19時ちょっと過ぎなのですけど、宿泊地に向かいますよ そのようにして行き着いたところは、まいどおおきに食堂から南に車で10分程行ったところにある………

道の駅吉野路大淀iセンターでした 宿泊地としてホテルや旅館を予想された方は、ハズレです。 今からこちらで車中泊をしますよ 道の駅としては小規模で、私たちと同じように車で寝ていく人はあまりいなかったのですけど、人里離れた静かな環境の中にあって、ゆっくり休めそうだったので、私はこちらを選びました。 それに、翌朝に向かう大本命の目的地へも近いですし。

そうしたら、あとは波と狛にご飯を食べさせてから、寝る支度をするだけです。 まだ19時台だったのですけど、欲張りコースで2万3000歩も歩いたこともあって、私はすぐに眠りに落ちました。 ということで、皆さまおやすみなさいませ。



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