波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

金華山の麓の大仏様(金華山・岐阜方面散策その2)

2025-01-25 01:37:49 | お寺

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の終盤あたりから、私・の白黒茶々家の1人と2頭は岐阜市の金華山の山頂に留まっています。 私たちがそこに行き着いた頃はまだ静かだったのですけど、ロープウェイや登山などによって、観光客が続々と増えていき………

前回の日記の最後の画像からはうって変わって、賑やかになりました。 私たちは(波狛日記の中では)2話にまたがって山頂に居座っていたことですし、そろそろ下山することにしましょう。 行きはロープウェイで一気に来たのですけど、帰りは波の様子を見ながら、山道をゆっくりと降りていくことにしました。 金華山にはいくつかの登山道があって、傾斜や足元の状態によって難易度が変わってきます。 今まで私たちは最も優しい七曲り登山道をよく利用していたのですけど、今回はもう少し厳しくても早く降りられそうなめい想の小径を選びました。
※一度そのルートに足を踏み入れたら、後戻りできませんよ。 途中でリタイアもできないのですけど、本当にそちらでいいのですか?(編集部最後通告)

いけそうな気がするので、きっと大丈夫です ところが、降り始めてから間もなくして、岩肌が露出する険しい道へと変わっていきました。 さらに道幅は狭く、登ってくる人たちに道を譲ったりしながら降りていったら、余計に時間がかかりました。

若いほうの類で元気が有り余っている狛はともかくとして、シニアに入った波も頑張って付いてきてくれました。 しかし、麓が近付いた頃にヘバッてしまいました。 こうなったらやむを得ません。 私は彼女を抱っこして、残りの道を歩いていきました。 ところが、「………もうムリ 」間もなくして私のほうも限界となり、再び波に自力で歩いてもらうことに。 お互いにギブアップを繰り返しながら、目安より1,5倍の時間を要してようやく麓の岐阜公園に行き着くことができました。

その公園内には、朱塗りの三重塔があります。 これはお寺のものではなくて、大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として企画され、市民から寄付を募り、大正6年(1917年)に岐阜市が建立したものです。

また、近年になって発掘・整備された織田信長の館跡もあります。 それらを含めた岐阜城の一帯は、平成23年(2011年)に国の史跡に指定されました。

今回の訪問は紅葉狩りも兼ねていたのですけど、金華山の山頂などの一部を除いて色づきはイマイチでした。 この年は紅葉が大幅に遅れていて、12月に入ってから見頃となりました。

それと「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のセリフで有名な、板垣退助の像もあります。
※容姿は似ている……… いや、似ていないのですけど、そのセリフはクラーク博士によるものです。(編集部突っ込み)
明治15年(1882年)4月6日に、彼は現在岐阜公園となっている場所での演説を終えた直後に、刺客に襲われました。 なんとか一命を取り留めたのですけど、その時に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったと云われています。

さらにこの時季には公園内で菊人形・菊花展がおこなわれています。 しかも無料で、綺麗に咲いた菊の花や、凝った菊人形などを見ることができます。

岐阜公園の西側の入口には、このような立派な門や青年期の織田信長の像があります。 その背後には、頂上に岐阜城の模擬天守を冠した金華山が見えますね。 朝に来た時に撮ろうとしたら思いっきり逆光だったので、撮影は帰り際まで持ち越しとなりました。 それらを仰ぎ見たら、次の目的地に向かいましょう

………とはいっても、岐阜公園のすぐ近くなのですけど。 公園の道路を隔てた反対側には、このような背の高いお堂を有する金鳳山正法寺さんがあります。 裏側からでは掴みにくいので、お寺の正面に回ります。

正法寺さんは、天和3年(1638年)に開山した黄檗(おうばく)宗の寺院です。 後方に見える印象的な建物は大仏殿で、寛政12年(1800年)に完成しました。 「今、大仏殿って言いました?」と喰い付いてきた大仏好きな方のためにも……… いや、「岐阜大仏」といえばその姿が思い浮かばれることと察しますけど、今からその大仏様とご対面致します。 波と狛には車の中で待っていてもらって、その間に私が大仏殿で仰ぎ見たのは………

高さ13,7mもある、巨大な大仏様でした 見事な福耳で、見る人の心が安らぐお顔をしていますね。 しかし、この大仏様は構造上露座できないこともあって、大仏殿のほうが先に造られました。

………というのは、実はハリボテ……… というか、岐阜大仏は乾漆仏なのですよ 大きな木の支柱に竹で骨組みを作り、そこに粘土を塗って、一切経が書かれた和紙を貼り付けました。 さらにその上に漆を使って金箔を施し、全体を仕上げたのです。 なので「籠大仏」とも言われています。 その作業は大変だったみたいで、38年もの年月を費して天保3年(1832年)に完成しました。 そして現在は奈良の大仏鎌倉大仏とともに、日本3大大仏の1つに数えられています。 見応えとありがたみはあるのですけど、あまりにも大きくて、見上げていたら首が疲れてきてしまいました。

正法寺さんをあとにした私たちは、岐阜市内にあるもう1つの国指定史跡のお城に向かいました。 なので、次回の日記はそのお城と、ついでに寄った宿場町のレポートを録画で(?)お伝えします。



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