こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は波&狛とともに新城市内で紅葉を追い求めています。 12月初旬の日照時間が短い時季なのですけど、果たして私たちは日没までに満足&納得いく紅葉を見ることができるのでしょうか?
道の駅もっくる新城でちょっと遅めのお昼を済ませてから、私たちは車1台がようやく通れる険しい山道を上っていきました。
その坂道の途中に………
ちょっと開けた広場がありました。 実は、こちらは市川小学校があったところなのですよ
創立した年などは不明なのですけど、3つの教室に職員室、給食室だけの、小ぢんまりとした学校でした。
しかし、昭和48年(1973年)に周辺の小学校との統合によって、閉校してしまいました。
校舎や校門は撤去されたのですけど………
その敷地の一角に、二宮金次郎さんの石像が残っています。 こちらの像は昭和31年(1956年)に設置されたもので、その台座には「尊徳像」と刻まれています。
こちらの古いフェンスも、学校があった頃からのものと思われます。 そういえば、このあたりは新城市内でも標高の高いところなので、紅葉は………
一部ですけど、いい感じに染まっていました。 対向車が来ることを恐れながらも、ここまで来たカイがありました。 そうしたら、これにてミッション終了
………にしてもいいのですけど、このあとに予定していたところの様子も気になるので、そちらに向かいます。
………ということで、市川小学校跡から30分ほどかけて、醫王寺さんにやって来ました お寺の裏山は、天正3年(1575年)6月の長篠・設楽原の戦いの際に、武田勝頼が陣を構えたところで、現在は木造の物見櫓(展望台)が設けられています。
ちなみに時刻は15時半。
かなり日が陰ってきていますけど、まだ大丈夫です。
そんな醫王寺さんの境内を、散策しますよ 蓮池の向こうに、いい感じの紅葉が見えて来ました。
山門の前で写真を撮ったら………
「片刃の葦」の伝説がある、弥陀池を眺めました。 池と句碑と紅葉の3点セットが揃った風景は、趣があっていいですね
そして私たちは、本堂の前に行き着きました。 冬の夕暮れに近いからなのか、私たち以外に参拝者はいませんでした。
まだなんとか間に合うので、もう1ヶ所寄ってもいいでしょうか?
長篠・設楽原の戦いといったら、やっぱり長篠城はハズせませんよね ということで、日本100名城にも指定されているこちらのお城にやって来ました。
しかし、本丸跡を含めた主要部は、ワンコと一緒に入ることはできません。 なので、その周辺を歩いて周り………
鳥居強右衛門の「呼びかけ」の伝承地に至りました。 彼は一昨年の大河ドラマ「どうする家康」で有名になりましたね。
長篠・設楽原の戦いで、長篠城が武田勝頼の大軍に包囲されている中をかい潜って、強右衛門は徳川家康がいる岡崎城まで走りました。
援軍を向かわせる約束を取り付けたのですけど、そのことを長篠城まで報告に行く途中で、武田の軍に掴まってしまいます。
勝頼は「城兵に『援軍は来ない』と言えば、命を助けて褒美もやろう」と持ちかけたのですけど、強右衛門は「援軍は向かっているから、もう少し持ちこたえよ
」と叫んだのです。
怒った勝頼は、強右衛門を別の場所で磔(はりつけ)にして処刑。
それでも、長篠城の兵は一致団結して城を守りきり、やがて設楽原での織田・徳川軍の勝利へと繋がっていったのでした。
こちらには、以前は文字が消えかかった木の案内看板があったのですけど、新しいものに替えられていました。
このあと私はお城に入っていきたいので、波と狛は車の中で待機していてくださいませ。
閉館時間が迫っている長篠城址史跡保存館をスルーしていき………
本丸の土塁と空堀を眺めました。 それらはかなり堅固なのですけど、かつては土塁がもっと高くて、空堀も今よりは深かったのですよね。
それらに守られた本丸跡は、かなり広い空間となっています。 さらにお城の東側に宇連川、南側には寒狭川が流れ、長篠城はそれらが合流する天剣の地に位置しています。
その寒狭川を挟んだ対岸で、鳥居強右衛門は磔にされたと云われています。 武田勝頼は見せしめのつもりでお城からよく見えるところで処刑させたと思われるのですけど、城主の奥平貞昌(信昌)や兵士たちはその時、どんな気持ちだったのでしょうか?
そうそう長篠城の本丸跡の真横には、飯田線の線路が通っています。 ちょうどそこに列車が来たので、大急ぎでスマホカメラを起動させたのですけど、ちょっと遅れてしまいました。
そういえば、紅葉のことをすっかり忘れていました
その頃の長篠城の木々は………
こうなっていました 場所によっては、綺麗に色付いていますね。
さらにお城の近くを歩いていったら………
国道151号線から長篠城址に入るところには、磔にされた鳥居強右衛門が描かれた看板があります。 敵兵の落合佐平次は強右衛門の勇気と忠誠心に感服して、彼の最期の姿を描いて旗印にしました。
それは強右衛門の姿を知ることができる唯一の史料となります。
しかし「だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!」の吉田ちぎりは、この絵がトラウマとなっています。
以前の看板はこうだったのですけど………
今は全身真っ赤になっておられる さらに夕日の光を浴びて、その赤さがより際立っていました。
これは、私たちがこの日見てきた紅葉よりも赤いといっていいでしょう
そんな強右衛門に、不謹慎ながらも私から紅葉大賞を捧げます。
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