「侍」(遠藤周作著)を再読

2025-01-08 | 個人的なこと

遠藤周作の名著「侍」をまた読んだ。

因みに私は本を増やさない為、いや本棚を整理する為にkindle(電子図書)を愛用している。

 

何度読んでも新鮮なのはこれも「恵み・賜物」の一つかと苦笑い。

読み進めていくうちに「侍」が長谷倉六右衛門という名前だと知りこれまた新鮮。

???? どこかで聞いたような ・・・

 

そういえば義兄から「支倉焼」と言う美味しい仙台銘菓を何度か送っていただいた。

その時に電話口で「昔、仙台からヨーロッパに渡って宣教師として戻った人のお菓子」と。

兄の曖昧な説明と、聞いたわたしも曖昧な記憶で・・・事実誤認情報なのだけれど。

 

長谷倉? 支倉焼?  ヒョットシテ同一人物???

調べたら「侍」支倉常長をモデルにした小説、遠藤の信仰を知る思いだった。

 

義兄は1/1が84歳の誕生日、「干支6周目」、連れ合いが何かプレゼントしたいと言う。

何かといってもねぇ、さんざん考えて思いついたのがこの本、Amazonから🎁包装で送った。

ノンクリスチャンの兄にどこまで伝わるかは分からないけれど、小さな種まきである。

 

読み終えた感想の一つとして、心に残る言葉

  「わたしがどんなにあの方を見捨てようとしても

   あの方は決してわたしをお見捨てになりません。」

 

 

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1月5日 新年礼拝

2025-01-05 | 教会のこと

2025年最初の礼拝、神さまの招きをいただき家族揃って教会に行きました。

異邦人の博士たちが救い主の誕生を知らせる星を見て大いに喜び礼拝した箇所からのmessageです。

礼拝は喜び、生きる力、時には慰め、そして主の招きに応えて応答する恵みの場所。

 

思い起こせば昨年の新年礼拝は連れ合いと一緒でした。

それを最後に彼は頑なに家でYouTube礼拝と言い張り、ひとり教会での礼拝をささげました。

性格の変化に戸惑い、なかなか理解出来ないわたし。

それから8ヶ月、長男が天国に召された直後まで別々の場所での礼拝が続きました。

 

10月に次男が仕事を辞め「3人で礼拝に行こう!」と、あれからまる3カ月が経ちました。

 

神様のなさることは何とも奇想天外、まか不思議、今年もこれからもどんなことが起こるやら。

主のご計画は決して悪いものではなく、私たちに幸いを与えてくださる。

家族で礼拝できる喜び、これがいつまで続くのかは未知、決して当たり前のことではありません。

思い煩いは一切を神にお任せして、今日一日の恵みを感謝いたしましょう。

礼拝さえも主の御ゆるしがあってこそ、わたしの思いではなく神さまのみ心がなりますように。

 

 

 

 

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2025年、テーマは「愛」

2025-01-01 | 個人的なこと

 

今年はどんな年になるのでしょう。

祈りのうちにテーマが与えられました。

わたしに一番足りないものです。

それは・・・「愛」

 

  「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。

   このうちで最も大いなるものは、愛である。」Ⅰコリント13章13節

 

  「一切のことを、愛をもって行いなさい」   Ⅰコリント16章14節

 

 

そして「ニューイヤーコンサート」、音楽に心が震える一年の始まりでした。

指揮者のリッカルド・ムーティがアンコールの前に母国語(イタリア語)で聴衆に語りました。

  「平和・絆・愛を全世界に!」

 

とても大きな宿題をいただいた一年の始まりでした。

 

 

 

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美味しゅうな~れ!

2024-12-31 | 個人的なこと

今日で怒涛の2024年が終わります。

元旦早々能登の地震、民族戦争、個人的にも哀しい、愛しい、悲しいことが立て続けの年でした。

 

2024年のテーマは「喜」

この世的な喜びは決して多くはありませんでしたが「感謝」に満ち溢れた年でした。

神様がすべてに良き時と万全の備えと祈りの友を与えてくださり、喜びをいっぱい下さいました。

 

 「いつも喜んでいなさい。

  絶えず祈りなさい。

  どんなことにも感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

 

クリスマスも新年のお祝いも控えめにと、おせちも正月の準備も今年は省略です。

「あんこ」だけは作りました。

「美味しゅうな~れ! 美味しゅうな~れ!」と言いながら3時間あまり。

  (NHK朝ドラ再放送「カムカム・エブリバディ」の見すぎかな(笑)

連れ合いは仙台出身で子供のころから正月は雑煮とあんころ餅が欠かせないのだそうです。

結婚したその年から53年も作らされてきたのでそれだけは今年も用意することにしました。

彼の喜ぶ顔が見たくって、ナンチャッテ。

 

沸騰させないように弱火で静かに豆が柔らかくなるのを待ちながら思いました。

「何をすればよいか、アンコ自身が教えてくれる!」

焦らず、触らず、時が来るのをジッと祈りながら待つ。

53年目にして初めて、豆もつぶれず見事に美味しいあんができました。

「早く!早く!」と早急に答えを欲しがるわたしに「今は待つ時」と教えてくれた年の暮れでした。

 

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かな(哀・愛・悲)しい 別れ

2024-12-29 | 個人的なこと

今年は大切なひととの「かなしいお別れ」が3つ。

 

しい別れ・・5月、Wさん

1981年、バプテスマを受けた時には信仰の先輩として。

その後私がJOYチャペルに教会籍を移した前後には偶然同じ教会に所属されて。

40数年来の信仰の友、常に少女のような「誠実・謙遜・清潔」を備えたひとでした。

同い歳の友との別れは哀しい。

わたしもそのうち行くから天国でまた楽しい話しを聞かせてね。

 

 

しい別れ・・8月、長男

難病宣告から20数年、この日が来るのは分かっていたはずだったけれど。

神様が日出海の苦しみや痛みを全て解き放って天国に招いてくださって。

安堵感と平安、天国で再会の希望、時折ふとしたことで寂しさを覚えます。

私も今は天国への階段を喜んで一歩一歩登っている。

老いを自覚する昨今、登り階段はキツくて息切れする時もあるけれど、登る。

齢51年の生涯、お腹に命が宿ってから52年の愛息との別れでした。

 

 

しい別れ・・今日(12/29)、ピアノの師

結婚前から師事していたピアノのN先生の葬儀でした。

神学校、長男の介護などレッスンを休止した時期もあったけれど通算約55年の師弟関係。

クリスマスカードをお送りすると必ず電話があり、何度励ましをいただいたことか。

ところが今年は日出海の召天もありカードを出さずじまい、悔やまれてなりません。

紆余曲折を乗り越えられた先生は、ピアノだけでなく人生の師匠でもありました。

亡母と同じ歳くらいなので多分100歳?最後まで現役でいらっしゃいました。

訃報を聞いた時は悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。

そして、、今日も、、

 

 

「やさしさの贈り物」(片柳弘史神父著)より

 

  別れの苦しみは、

  わたしたちが相手と深く結ばれたしるし。

  苦しみが深ければ深いほど、

  その人とのつながりも深いのです。

  別れを悲しむよりも、

  深く結ばれたことを喜びましょう。

  本物の絆は、

  いつまでも消えることがありません。

 

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今年のChristmasは・・・

2024-12-25 | 個人的なこと

22日のクリスマス礼拝、

24日のキャンドルサービス、

25日は連れ合いのデイサービスでのクリスマス会。

 

どれも恵みはいっぱいなのに・・・

今年のChristmasは何故かいつもと違った物憂さを覚えます。

あゝ主よ。

神がこのわたしの心に寄り添い、近く、より近くにいてくださるChristmas。

 

  「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

   この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1:23)

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アドベント第三週

2024-12-15 | 家族のこと

アドベント第三主日、今日も守られて家族3人で礼拝が出来ました。

 

今朝のデボーション。

 「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。」(詩編122編1節)

 

次男から「9月末で退職する」と告げられた時のことを思い出しました。

2年前にもそんな話を聞いた時には冗談じゃあないとばかり心配し猛反対。

それからプッツリとその気配も無くなり、わたしもホッと安心していたところでした。

しかし彼は有言実行、2年の間に会社に迷惑を掛けないように着々と準備をしていたらしい。

 

ヒデミが天国に逝く少し前のこと「仕事を辞めたら父さんと3人で礼拝に行こう」と。

  主の家に行こう、と次男が言ったとき わたしはうれしかった。

 

介護離職なんてとんでもない! まだ頑張れるし! とあんじていたわたしなのに・・・

不安や心配や思い煩いがストンと消えてなくなりました。

主の家から遠ざかっていた2人がこんな展開で恵みの座に導かれる、何という主の御計らい。

 

先日転倒で救急車に初乗りした連れ合い「教会に来れるのも自分の意思ではない」を実感したようです。

皆さんにあたたかく迎えられ、主に守られ、感謝のアドベント第3主日礼拝でした。

 

 

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日々、「老い」という変化の連続です。

2024-12-14 | 家族のこと

今年はChristmasの飾りつけも控えて・・玄関の壁にそっと地味気なリースを掛けました。

スズメウリが赤く色づくとここも主のご降誕を祝う場所。

 

さて、今週は連れ合いにチョットした事件!!

11日(水)午後7時ころ、後ろ向きに転倒して後頭部を打ち、多量出血。

最近は足が不自由になり、前かがみにオットットと転びそうになることは有ったけれど。

後ろに倒れたのは今回初めてで、何をしてどんな風に転んだのか本人も覚えていません。

 

頭だし、血が吹き出てるし、当人は痛がるし・・・で、次男が119番して救急搬送。

結論は、不幸中の幸い! 

CT撮るも異状なく、傷も自然治癒で治るでしょうとの事。

病床の空も無いこともあってそのまま家に帰されました。

 

髪の毛は血だらけでベトベト、それを拭うのに一苦労です。

一夜明けてケロッとしている連れ合い、何事も無くすんで良かった。

でも「万が一」と思うと心中穏やかではありません。

これからはお父さんを家に一人で置いとけないねと次男も心配げ。

他人のことばかり言えないけれど、日々「老い」という変化の連続です。

 

今日(土)は今年最後の合唱の授業があり、わたしは大井教会に出かけました。

「僕が家にいるからユックリしてきていいよ」と言ってくれたので帰りはラゾーナでぶらり。

 

なんだかんだと次男に助けられることが多くなりました。

ただの「同居人」だった息子がなくてはならない存在になってきました。

「大丈夫」「出来る」と胸を張って言えなくなって愕然とすること度々。

”老いを受け入れること”はなかなかシンドイ仕事です。

そして”素直に受け入れなくてはならない”仕事です。

 

神様のご配慮とお守りに感謝の週後半でした。

 

 「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。

  わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:4)

 

 

 

 

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日々新たにされて

2024-12-11 | 個人的なこと

足元の落ち葉・・・働きを終えて・・そして新しい命へと繋がる愛おしさ

 

デボーション、詩編119編を読み進めています。

105節には古くからの愛唱聖句「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光」(口語訳)

 

詩編119編が多様な言葉で「律法」を歌った詩であることに気付きを得たわたし。

例えば・・・掟、教え、戒め、定め、道、み言葉、仰せ、命令・・などなど

 

「律法はわが足のともしび、わが道の光」

はて?

再び立ち止まって詩編119:105と向き合う朝でした。

 

 

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女子会です

2024-12-10 | 個人的なこと

久々の女子会(Tさん宅)でした。

「豚バラの角煮」、朝から4時間以上煮込んであめ色に美味しく出来上がり持参。

 

アドベントの季節でもあり、テーブルはChristmas模様にセッティングして下さっていました。

まだお料理が出揃っていませんが、写真撮るのも忘れて食事と話しに夢中になること間違いなし。

で・・・始まる前にパチリ

 

毎度のことながら良く食べ、良く喋り、とどまることを知らない女子???

連れ合いがデイサービスの職員に「カミさん今日は女子会、何歳まで女子??」って尋ねたそうな。

「良いんです。楽しいことは続けさせてあげましょう。」って連絡帳に書いてありました(笑)

 

心の奥底にしまっていたあのこともこのことも話せる友がいる、何というう幸せ!

だれもかれもみんな一人一人違った宿題を戴いて歩んでいる人生。

祈られることは多いけれど、深層の祈りの課題を分かち合って下さる友はそう多くない。

今すぐに答えは無いけれど、真ん中におられる神様が全てご存じで最善の道を備えて下さる。

 

   「人はその友によって研磨される」(箴言27:17)

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