
レントの日々「十字架から復活の朝へ」(小塩トシ子・船本弘毅著)を朝の祈りのテキストにしています。
レント第14日、私の心を深くえぐる言葉がありました。
エレミヤ書17章9~10節
人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。
誰がそれを知り得ようか。
心を探り、そのはらわたを究めるのは
主なるわたしである。
それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。
「人間というものはどうしても人に知らせることの出来ない心の一隅をもっております。
醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。
また、ひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできない
ある心の一隅というものがあり、そういう場所でアブラハムは神様にお目にかかっている。
そこでしか神様にお目にかかる場所は人間にはない。
人間がだれはばからずしゃべることのできる、観念や思想や道徳や、そういうところで人間は
だれも神様に会うことはできない。
人にも言えず親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、
そこでしか人間は神様に会うことはできない。」(森 有正)