もしも僕が作った本が、一度しか読むことができず、
読むだけで消えるインクを使い、そして白い紙へと戻ってゆく本であるなら、
僕はやはりそこには死んでゆく世界の事を書くと思う。
たぶん、今よりももっと切実な、ほんの短い時間の中で書かれた、
どうしようもなくみじめで醜くて汚いこの世界の事を書くと思うのだ。
ただ、そうしたものは、長い間人の心に残るかどうかあやしい事よりも
世界の最後に死んでゆく何者かに伝える事ができない。
そのことを思うと、少しだけ、その物語は悲しい手紙であると思うのだ。
かつて亡くなった偉人たちの書いたテキストは、
その歴史的背景や人物像よりも、
口伝に近いようなもごもごとした曖昧な音たちが
ある種の催眠術のように当事者を騙している事がおもしろいと思うのだ。
それはつまり、
彼らがそれを書くことによって、
死んでゆく意識に、たとえほんの短い一瞬でも、意味を獲得しただろうということ、
その事が、
きっとおもしろい事実だと思うのだ。
ある種の観念の陶酔が、数学的に美しい完成された世界をほどこすように
意味を獲得した者たちは、
快楽のような苦痛として、
煉獄の中に完璧なる物語を体験している。
だけどその記号は、僕らには決して届かない。
過去の偉人が体験した光は、永遠に、その人自身のものであるからだ。
けれどその閉じられた世界をこじ開ける手紙を、
僕は美しいと思うだろうか。
曖昧なほど矛盾した、感情だけで書かれたテキストに、僕は恋をするだろうか。
たぶん、しないだろう。
僕はやっぱり、僕の世界の光を通して、
その紙を、斜めに透かして見るだけなのだ。
それを僕は、たぶん悲しいとは思わない。
だけど、
なにかがずるいのかもしれないけど、
僕は僕自身が書いたテキストの意味が、
まったくもって誰にも届かないという事実が、
その残酷な事実の光が、
とてつもなく、重く苦しく悲しい。
僕は狂っているだろうか。
僕は間違っているだろうか。
僕は何か、思い違いをしているんだろうか。
それでも今日の光は、今日の僕にしか届かない。
明日の光が射し込む夜明けを、僕はまだ、今日の場所から見ることができない。
ポストの中にある明日を、
書かれる手紙の前にある想いを、
過ぎ去った記憶だけが僕を苦しめる昨日を、
まだ僕は、繋ぐことができない。
始まりと終わりを繋ぐ一回性を、
耳慣れない音に宿して。
読むだけで消えるインクを使い、そして白い紙へと戻ってゆく本であるなら、
僕はやはりそこには死んでゆく世界の事を書くと思う。
たぶん、今よりももっと切実な、ほんの短い時間の中で書かれた、
どうしようもなくみじめで醜くて汚いこの世界の事を書くと思うのだ。
ただ、そうしたものは、長い間人の心に残るかどうかあやしい事よりも
世界の最後に死んでゆく何者かに伝える事ができない。
そのことを思うと、少しだけ、その物語は悲しい手紙であると思うのだ。
かつて亡くなった偉人たちの書いたテキストは、
その歴史的背景や人物像よりも、
口伝に近いようなもごもごとした曖昧な音たちが
ある種の催眠術のように当事者を騙している事がおもしろいと思うのだ。
それはつまり、
彼らがそれを書くことによって、
死んでゆく意識に、たとえほんの短い一瞬でも、意味を獲得しただろうということ、
その事が、
きっとおもしろい事実だと思うのだ。
ある種の観念の陶酔が、数学的に美しい完成された世界をほどこすように
意味を獲得した者たちは、
快楽のような苦痛として、
煉獄の中に完璧なる物語を体験している。
だけどその記号は、僕らには決して届かない。
過去の偉人が体験した光は、永遠に、その人自身のものであるからだ。
けれどその閉じられた世界をこじ開ける手紙を、
僕は美しいと思うだろうか。
曖昧なほど矛盾した、感情だけで書かれたテキストに、僕は恋をするだろうか。
たぶん、しないだろう。
僕はやっぱり、僕の世界の光を通して、
その紙を、斜めに透かして見るだけなのだ。
それを僕は、たぶん悲しいとは思わない。
だけど、
なにかがずるいのかもしれないけど、
僕は僕自身が書いたテキストの意味が、
まったくもって誰にも届かないという事実が、
その残酷な事実の光が、
とてつもなく、重く苦しく悲しい。
僕は狂っているだろうか。
僕は間違っているだろうか。
僕は何か、思い違いをしているんだろうか。
それでも今日の光は、今日の僕にしか届かない。
明日の光が射し込む夜明けを、僕はまだ、今日の場所から見ることができない。
ポストの中にある明日を、
書かれる手紙の前にある想いを、
過ぎ去った記憶だけが僕を苦しめる昨日を、
まだ僕は、繋ぐことができない。
始まりと終わりを繋ぐ一回性を、
耳慣れない音に宿して。