嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

今日が今日であるために。昨日届いた、手紙。

2006年10月19日 02時30分32秒 | 駄文(詩とは呼べない)
すごく、申し訳ないな…と思った。
誰かの手紙を読んで、その失いそうなものたち、失われたものたち、失われそうなものたち、
なくしかけた時間、とらわれた時間、つまり…僕の可能性。

期待に応えられない、」と、書いてしまうのは簡単なのだけれど…。

少しだけ、違う。

別に、可能性を捨ててるわけでもない。

あえて言うなら。

僕は、相手が言うところの、
手紙の主が言うところの、
可能性を信じられない。

おもに、自分の。

天上の神が 人に微笑みかけたり、生そのものを祝福したり…… そういった時間は

そういった時間は、

どれくらい。

おもに

どれくらい、流れているのだろう。
流されているのだろう。
確保されているのだろう
与えられているのだろう。

人が人でいるためには、努力は要らない。
可能性も要らない。
特別な何かは要らない。
新しい明日も必要ない。
ただ、人であればいい。

だけど、人が神になるためには?

人が、神から与えられし命を、全て使い切って、神そのものを乗り越えるためには?

いったい、どれくらいの、努力と、時間が?
残された可能性は、いかほど?

僕は、僕自身の事について、それほど冷静には分析できていないだろうと思う。
ジッと冷たく見守っている世界も、
世界が時々豊かに緩やかに微笑みかけるまどろみのまなざしも、
僕にとってはタダの冷たい霊泉の比熱でしかないと思っていても、
それはその程度の考えや思いこみや妄想でしかなくて、
そういった類の事を含めても、僕は僕自身を冷静な目で機械のように分析することにはほど遠く、
到底どだい無理な話なんだと思う。

けど、僕なりに、僕程度の考えで、僕自身の事を、
僕の未来を、占ってみたりはした。
考えてみたりはした。
感じてみたりはした。

おもに、予感という形で。
心の臓器の音を、その耳に聴いた。

明日、世界が終わるとして。

僕は、ここで何をすればいい?
そうやって、訊いた。
訪ねた。
問い続けた。

答えは否。

ただ、あるがままあれ。
そしてなお、その鼓動によって、現状を、否定せよ、と。
すなわちもって、拡大こそが否定。
縮しゃんこそが肯定、と。

何かと関わってはならない。
誰かと話し合ってはならない。
なにものかと、たとえ物の怪の類であろうとも、
出会ってはならぬ、と。
そういう強い孤独こそが、「肯定」と。

悟るだけでいいのなら、僕はもう悟りすぎた。
疲弊するほどに、死んでいくほどに、老化するほどに、悟りすぎた。
もうずいぶんと、言葉にならない言葉を生んだ。
そしてまた、言葉にならない幻聴を盗み取り続けた。

始まりの唄をきいた。
遠い味がした。
ずっとずっと昔に、忘れてしまった大事な約束のような匂いがした。
懐かしい、やさしくてやわらかい香りもした。
僕が誰かと出会えそうな気配さえした。

それでもなお、僕はその声を振り切って逃げた。
遠くへ。
ずっと遠くへ。
僕がいる場所を探して。
僕が居られる場所を探して。

僕の居られる場所は無かった。

すなわちもって、永遠の居場所となるような、永遠が居ても許されるような言葉は無かった。
永遠は、ただ心の中に感じ、出会い、涙し、愛おしく想い、わずらい、苦痛の中で感じ取る、
ただ、その一瞬の永遠にだけあった。

ようするに、真っ直ぐさを持ってすれば光の中に闇は許されぬし、
闇の中に光など暗底とどくはずもないのだ。

「もしかすると」
僕はただ単に、誰かの視線に貫かれる事に耐えられなかっただけだ。
その真っ直ぐな瞳に射抜かれる事に、耐えられなかっただけだ。

「僕は弱い。」
そういう結論が出て、さむざむとした空気が張り詰めてきて、うすらさむくなる。

僕はどうすればいいんだろう。
ただここで、ずっと死ぬまで現状肯定?
あるいは現状否定?

そんな二極だけが??

そんな二つの終局だけが??

僕の世界??

死にたくなるのはむしろ、体がおかしい時の方がいい。
体調が悪かったり、吐き気がしたり、体中がかゆくなったり、
鏡を見たときだけだ。

ずっとひとりで寂しく目を瞑っていれば、

『自分なんか見なくて済む』
「じぶんなんかみなくてスム」

おかしいとか笑われたって
僕が僕を変えることなどできぬし、また、誰かに僕を勝手に変えられることなんて望まない。

むしろ、その歪んだ表情で、俺を否定するのをやめてくれ、と。
僕はそう望むのだから。

だから僕は、そういう諍いが起きぬように、
せいぜい人から遠ざかる事が自分に出来る限界なのだと思う。

それでもなお、僕に生を強制する輩が現れてやまないのなら。

このこころを。ここにある、二つの臓器を。此所より現れし、此処にある臓器を、断つだけだ。

すなわち自殺。

明日が来る事なんて望まない。
未来がすばらしい事なんて望まない。
もう希望なんて信じない。
絶望が真っ暗闇であることも信じない。

僕には希望も絶望も要らない。
未来も昨日も要らない。

ゆっくりと、弱くなって死んでいく鼓動があればいい。
おだやかで、静かな安らぎがあればいい。

「生きることに疲れた」

なんの反論ができるのだろう。
わからない。

僕にはもうよくわからない。
でもたぶん、死ぬまでは考えるんだろう。
僕が死ぬって事を。

ずっとずっと、生を受けたことを呪いながら。
ただ、今日が今日であるために。