モノクロームの写真は1964年8月6日に広島県の備後落合駅で撮った写真です。
今回の旅の唯一目的らしい目的が、中国山地の山の中の小駅を訪ねて、時の経過を確かめ、感傷に浸ろうと言うことだったのですが、鑑賞(?)さえせずに、この2カットを撮っただけで、5分後には三次行きの鈍行に飛び乗っていました。
ここで、しばらく撮影しようとフィルムも3本残しておいたのですが、なぜだか良く分かりません。車庫の建物か無くなっているのを見て、「あ~!、帰ろう!」と瞬間的に思いました。
次の列車だと2時間半待たなければなりません。
2時間半の感傷には耐えられないという自己防衛本能だったのか、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなったのか、はたまた夏のピーカンの日差しの下で、良い写真など撮れる訳無いと判断したのか・・・。
ともかく、モノクロームを現像してから、何が見えてくるか、考えましょうか?
今回の旅の唯一目的らしい目的が、中国山地の山の中の小駅を訪ねて、時の経過を確かめ、感傷に浸ろうと言うことだったのですが、鑑賞(?)さえせずに、この2カットを撮っただけで、5分後には三次行きの鈍行に飛び乗っていました。
ここで、しばらく撮影しようとフィルムも3本残しておいたのですが、なぜだか良く分かりません。車庫の建物か無くなっているのを見て、「あ~!、帰ろう!」と瞬間的に思いました。
次の列車だと2時間半待たなければなりません。
2時間半の感傷には耐えられないという自己防衛本能だったのか、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなったのか、はたまた夏のピーカンの日差しの下で、良い写真など撮れる訳無いと判断したのか・・・。
ともかく、モノクロームを現像してから、何が見えてくるか、考えましょうか?
そうですね、人間ほどに風景は変わって居ないのかもしれませんね?
ノスタルジアは頭の中でイメージしているから良いので、実際にその場に居ないのが正解かもしれません。
上の写真の山にあたる日差しが一緒ですね?、時間も同じような時間でした。
写真で見ていたほうがイメージは膨らんで行くような気がします。