「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

道は遠い!

2007年04月29日 | フォト日記
渡米まで1ヶ月あまりとなったのですが、英語は一向に上達しません。単語力も殆ど昔のままです。

増えてゆくのはラジオ講座のテキストだけ・・・、記憶力は衰え目もかすんできました。
(?!、デジカメのピントが合わないだけか?)

ゴールデンウィークです。

2007年04月28日 | フォト日記
今日からゴールデンウイークです。待ちに待ったと言いたいところですが、やることが一杯あって、気が重い一週間です。

午後から事務所に行って、6月のアメリカでのプレゼンテーションの準備をしたのですが、遅々として進みません。散歩でもして帰ろうと思ったのですが、外に出ると雨が降ってきました。

写真展の準備もしなければなりません。実家にパネルを送って置いたので、フレームに入れる作業をすることにしました。これもドライバーが合わず遅々として進みません。

6時ごろに雨があがってきたので、みなとみらいを久しぶりに歩いて帰りました。

真夜中の小唄

2007年04月24日 | 音楽
最近やることがいっぱいあります。英語の勉強をして、写真展ライブの練習をし、どう言う訳か風呂に入っているうちに、昔習った小唄(などと言う言葉も死語になりつつあるかな・・・?)が鼻歌で出てきました。

「鬢(びん)のほつれ」と言う有名な曲なのですが、僕らの年代でも知っている人は少ないでしょう。かつては日本中のサラリーマンが宴会の余興で歌ったような曲だと思うのですが(僕が生まれた頃の話です)、もう歌えるサラリーマン(では無くなってしまったな・・・)は僕くらいかもしれません。

と言うわけで、後世のために残しておこうと、深夜2時近くになってギターを三味線代わりに歌ってみました。

20年くらい前には美人のお師匠さんの三味線で歌っていたのですが、アメリカでの余興用(?)に21世紀バージョンです。

とうふ屋さんが見えなくて

2007年04月19日 | フォト日記
今日は曇り空の下、朝から浦和まで出かけました。仕事が11時過ぎに終わったのですが、空は晴れ渡っています。しからば寄り道をして帰ろうと、新宿を経由して帰る途中、中野に行って見ました。

僕の写真の先生の一人である小部俊裕さんが「樹海」という写真展をやっています。

中野駅から歩いて10分ほどでしょうか、サンプラザの反対側です。
昼時だったので、食事をしてから行こうと思ったのですが、食堂を探しているうちに商店街が終わってしまいました。

案内状を頼りに信号の数を数え、目印のとうふ屋さんを探したのですが、分かりません。すぐ目の前に杉並区と書いた標識が出ています。

住所は中野区中央・・・、「ありゃ?、間違えたかな・・・?」と思いつつ、前の信号まで戻ると、反対側に女性が立っています。

あの人に聞いてみようと、信号が変わるのを待って、渡ってくるところを、「すみません、中央ってこの辺ですか?」と聞くと、「あ!、この写真展だったら、すぐ先でやっていますよ!」との事でした。

と言うことで無事到着したのですが、ギャラリーの写真を撮るのを忘れて帰ってきました。(最近これが多いな・・・!)

信号の近くまで来て、「あ、忘れた!」と写真を撮りに戻ろうとしたのですが、目の前を見ると「とうふ屋」の文字、「あった!」とこちらの写真で間に合わすことにしました。

でもこの文字は見えないよな・・・!、視野が狭くなっている上に近くが見えないんだから!?(どうか高齢者に優しい看板を!)

ちなみに、住宅地の中の普通の民家のようなギャラリーに、モノクロームの樹海の写真が素晴らしいです。28日までです。

写真展が動き始めました。

2007年04月17日 | フォト日記
雨の中帰宅すると、ポストに大きな封筒が見えます。(封筒は?envelope!)
アサヒカメラに案内を出したので、掲載紙を送ってくれたのです。
DMの宛名書きも半分済みました。搬入まで、残すところ後2週間ちょっとと言うことに、今気付きました。

今年もよろしくお願いいたします。

あー、やることが一杯あるな・・・!
英語の勉強が出来ないじゃないか・・・!

中学校のクラス会

2007年04月14日 | フォト日記
午後から横浜の中華街へ行きました。通りに溢れる満員の人ごみをせき止めての記念写真です。出てこない人も居るのですが、とにかくシャッターを押さないと・・・、と言うことで「駄目!、まだ準備できてないじゃないの!」という声は無視しました。「ゴメン!許して!」

このところ毎年のようにやっている、N中学旧3年5組のクラス会です。
珍しく40年ぶりに出てきた人が1人居ました。この写真の中には写っていないのですが、あまり変わっていなかったな・・・、しかし他の人たちの話題はまず健康面から始まりました。

僕も日ごろの物忘れのことを話すとあちこちから、共感の声があがり、「僕だけではないのだ!」と確信を持つ事が出来たのは今日の収穫です。

でも、10月に台湾か上海に行くことになり、また幹事をやることになったのだけは余計だったな・・・。これで今年の海外旅行予定は5回になってしまいました。

このあとカラオケに移動しての2次会が3時間、駅に行く途中から引き返しての3次会が1時間、7時間くらい居たような気がするな・・・。
写真もたくさん撮ったのですが、くたびれたのでまたの機会に・・・、皆さん身体にだけは気をつけましょう!


宗家カニ穴パンチ!

2007年04月13日 | 音楽
前回のブログで「カニ穴パンチ」のことを「1974年に大学の同級生数人で始めたバンド・・・」と書いたら、同級生で今は教授になっているI君から「74年のバンドには名前が無かった」という指摘がありました。

最近の記憶だけでなく、若い頃の記憶もあいまいになってきています。
これはいかんと言う事で、記憶の糸を辿って行くと、だんだん思い出してきました。

74年の写真の中に75年から参加した人間が混じっていたので、頭の中がオーバーラップしていたようです。

まあ、殆ど同じ人間がやっているのだから、74年が「元祖カニ穴パンチ」、75年が「宗家カニ穴パンチ」だろうと勝手に決め、掲示板に訂正記事を出したのですが、果たして反応や如何に?、分家が幾つあるのか、知りたいものです。

と言う訳で上は、某I教授秘蔵(?)の「宗家カニ穴パンチ」オリジナルメンバーの写真です。若いですね・・・!、僕も始めて見ました。(忘れているだけかな・・・?)

ちなみに、右端でタンバリンを叩いているのは、若い頃の東京ロマンチカ「鶴岡雅義・・・?」、では無く大分県佐志生出身のS君です。彼はピアノを器用に弾きました。

S君とは色々な思い出があります。と言うか、このメンバーの皆といろいろな思い出があります。青春でしたね・・・!、時間は無限にあるような時代でした。

S君は器用な人でした。(まだ元気だよな!)僕の音楽生活で一番影響を受けた人かもしれません。男声合唱を一緒に歌い、「カニ穴パンチ」を2年やり、同じ研究室で毎日のように一緒にクラリネットを吹き(勉強は何時したんだ!)、挙句の果てにブラスバンドの全国大会にまで行きました。
彼は予選、地区大会、全国大会とクラリネット、バスクラリネット、アルトクラリネットと毎回違うパートを吹いていました。

僕はサードクラリネットで(この数ヶ月前に始めてクラリネットを持った!)、高校からブラバンをやっていた新入生のO君に「吹けるじゃないですか?、どんどん吹いてください!」等とおだてられながらやっていたのですが、そのうちに、「先輩、そこは無理に吹かなくっても良いです!」
全国大会では「先輩、そこは吹かないでください!!」
(金賞無しの銀賞になったのは僕が吹かなかったからかな・・・?)

とにもかくにも、半年ほどで僕のクラリネットは飛躍的に進歩したのは確かです。人間めげずにやっていれば進歩するものです!
下は75年11月、秋田の千秋公園での早朝練習風景です。(誰が撮ったのだろう?)




僕のバンド遍歴

2007年04月12日 | 音楽
30数年前のバンドが今話題になっています。
と言ってもごくローカルな範囲での話なのですが、それがこの写真の学園祭バンド「カニ穴パンチ」です。

1974年に大学の同級生数人で始めたバンドなのですが、その名前のユニークさからか、僕らが卒業してからも在校生に代々引き継がれ、延々と続いたそうです。(15年以上?)

最後のほうはオーケストラの金管を中心としたビッグバンドになったようですが、僕はその実態を知りませんでした。

それが大学の創立40周年の記念行事に関連して「カニ穴パンチ」専用の掲示板ができたと言うことで、僕の元にも今は教授になっている友人からメールが届きました。
いったいどういう風にして始まり、どう消えて行ったかが話題になっているようです。

僕も創始者(?)の一人として投稿しようと、古い写真を引っ張り出すと、ありましたありました。それが上の写真です。

名前の由来は書類をフォルダーに閉じるときに穴をあける「強力二穴パンチ」の『強』がたまたま隠れていたのか、見落としたのか、僕の研究室のT先生が「力二穴パンチ・・・?」とつぶやいたのを、大分県出身のS君が「T先生、『力二穴パンチ』といっとたぞ!」と耳敏く(?)聞いていたのが始まりです。

そもそもは、ボーカルにギター2、トランペット1、コンガ1という5人編成のラテンバンドだったのですが、この次の年はピアニカ、クラリネット、ベースが加わり、その当時の学生バンドにはまず見られなかった『歌謡曲バンド』の風格をなしてきました。

S君のトランペットで始まるM君の『函館の女』の熱唱は満員の聴衆を魅了しました。それに感動したのかどうか、定かではありませんが、僕らが卒業したあとも、教授のS先生がボーカルで『函館の女』を歌い継いでいたようです。

卒業してからも、僕らは東京で何年間か『力二穴パンチ』を続けたのですが、徐々に生活環境が変わり、皆それぞれの道を歩むようになりました。


東京での『力二穴パンチ』です。(若いね!)

と言う事で、このシリーズは連続3回くらいは続きそうです。

メガネのその後

2007年04月11日 | フォト日記
「あのメガネはどうなったのだろう?」と気になさっている方も・・・、いないと思いますが、無事手元にあります。
でも居酒屋に行ったついでに写真を撮ろうと思って、撮るのを忘れました。

今日は英会話の授業です。放課後(?)に久しぶりにODA-SANと待ち合わせて近くのカラオケで、ミニライブの練習です。

1時間半みっちりと練習し、さあ片付けて帰ろう、と思ってメガネを探すとおでこに掛かったままでした。
「メガネケース、メガネケース・・・」、「ありゃ!」
恐れていることがまた起こりました。「どこ行ったかな・・・」と探しているとODA-SANは、「無い?、じゃトイレ行ってくる!」

結局それからすぐにメガネケースは見つかりました。楽譜を入れた袋に一緒に突っ込んでしまったのです。
でもODA-SANはなかなか戻ってきません。「どこ行っちゃったかな・・・」
時間も過ぎているので、カラオケルームの外で待っていると、しばらくして「あった?」

と言うわけで、田町駅近くの居酒屋での反省会(と言っても何も反省しなかったな・・・)は2時間以上続きました。

気ばかり焦って・・・

2007年04月08日 | フォト日記
朝から川口で仕事です。現場は午前中で終わるのですが録ったデータの整理があります。
ODA-SANとのセッション(?)は結局時間が合わず中止となったのですが、今日は選挙もあるし、実家に行って写真のパネルを持って来なければなりません。「やることがいっぱいあるな・・・?」と思ってパソコンで電車の時間を調べていると何か変です。電車が1時間早く着きます(?)。
起きる時間を間違えていました。
「遅く間違えるより良いさ!」、と気を取り直し、「ここで英語の勉強をしよう!」と昨日寝る前に聞いていたラジオ講座のテキストを探したのですが見つかりません。

時間が中途半端になってきたし、先に選挙に寄って行くことにしました。忘れ物は無いかなと思い「めがね、めがね・・・」と今度はめがねが見当たりません。
「ん!」、「そう言えば、金曜日のコンサートの後、居酒屋に寄ってメニューを見たな・・・?」どうもテーブルに置いてきたようです。

「選挙に行くより、病院に行った方が良いんじゃないか・・・?」
と思いつつ、またまた気を取り直し仕事に出ました。「荒川土手のサクラは満開なのに・・・」

と言う事で、写真展もライブ(5月12日午後5時)も今年限りになるかも知れません。皆様お見逃し無く!
「伝説のHAO」のために頑張りましょう!>ODA-SAN