1983. 8. 19と言う日付の入った横浜桜木町駅周辺の31年前の写真を引っ張り出して見たのですが、どうも場所が特定出来ません。いまは「みなとみらい」になっている所です。
気になって今日は体操の帰りに、ここぞと思う場所を探しに行きました。でもやっぱり分からないのが半分以上あります。
昔の航空写真があれば分かるけどな・・・、と思って探したら、横浜市の昭和30年代の
地図がありました。
それだったらあまり変わって居ないだろうと、地図と写真を照らし合わせ、写真に写った文字を頼りに分かったのは、写って居るのは汽車道でも撮ったのは万国橋から望遠レンズを使って居たのでした。
決め手となったのは、「京浜輸出入貨物何とか組合」と言う長い名前の倉庫が写って居たことです。(ちょっとした推理小説ですね!?)
撮影地(赤矢印)の番号が、下の写真の末尾に対応しています。
とにもかくにも、この時代は地球温暖化どころか、エアコンの無い家もまだ多かったし、熱中症など無縁で、夏の夕暮れ時、カメラ片手に潮風に吹かれ涼んで居た時代でした。
それが30年、最近の原発事故やゲリラ豪雨を経験した上で、その変貌を見て思う事は、人間のやって来たことの偉大さよりは、やはり無謀さや傲慢さです。
経済発展は人間に何をもたらしたのでしょう?、悔しい事に、僕は完成直前のランドマークタワーでも仕事をしたし、生業としてきた騒音対策関連の仕事の殆どは、経済発展の副産物です。
この時代のままでも、我々は十分楽しかったし、生き甲斐を持って働いて居た人間は多かったはずです。
最近見たニュースでは、甲府の地価が上がっているとか、東京の通勤圏内に入るとか、「リニアモーターで甲府まで15分で行く事が何のためになるんだ?」と思うのですが、そんな事にも浮かれるのが人間のサガなのでしょうか?
万国橋から見た今(と言っても2006年)の風景です。