「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

四十九日

2005年07月30日 | フォト日記
今日は父親の四十九日の法要でした。納骨を済ませ、実家の祭壇を片付けていると兄が供物として供えていたピーナッツバターが目に付きました。晩年入れ歯で過ごしていたのですが、その入れ歯も合わなくなり、固いものが食べられなくなってしまいました。
食欲が無くなった時、栄養を考えてかこのピーナッツバターを匙ですくって食べていたのです。
いつも座っていたテーブルに、星型をした折り紙のようなものが幾つも残っていました。聞いてみるとこのピーナッツの中蓋の銀紙でした。食べた後捨てずに作っていたようです。どうやって折るのか良く分かりません。そう言えばタバコの銀紙で小さい鶴を折っていたのを見た事があります。手元にあるもので楽しむ術を心得て居たのかも知れません。いずれにしろ95歳まで生きるにはそれなりの努力をしていたのでしょう。

会食の席で、父親が若い頃神田の電機学校に通っていたという話が出て、子供の頃よく遊んでもらった叔父さんが「何勉強していたんだろうね?、聞きたかったな?」と言っていたのですが、おそらく大正の終わりか、昭和の初期、電機学校ではどんな事を勉強したのでしょうか?
昔のことは殆ど話さない父親でした。そういう意味では、年寄り臭くない95歳でした。
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初めての町

2005年07月28日 | フォト日記
照りつける夏の日差しにも負けず、朝から中央線沿線の西荻窪というところに出かけました。大学時代の恩師を訪ねるためです。今関わっている仕事が最後の一歩で行き詰っているため、何かヒントは無いものかと考えているうちに先生を思い出しました。
引退したとは言え、建築音響の大家であった先生を直接訪ねて聞くことなど、普通なら考え付かないのですが、何故か僕らの周りには割と日常的に残っているのです。(と思うけど・・・、古き良き時代の残影?)

と言う訳で、昨日、先生と親しくしている同級生の女の子(と言っても今は?、でもホールの設計者として、その世界では有名!)に電話をして、「M先生まだ元気?」、「元気だよ!」、「幾つになったの?」、「92!」、「ボケてない?」、「大丈夫、でも夕方になるとだんだんボケてくるから、午前中に行った方が良いよ!」、「じゃ行って見るかな?」、「うん、見といた方が良いよ!」、「!?・・・、骨董品みたいだね?」てな会話の後、早速電話をして約束を取り付けました。

駅前で手土産を買って炎天下の住宅街を10分、米寿のお祝いでお顔を拝見して以来なので4年ぶりでしょうか?、直接習ったのは30年も前の、ほんのわずかな時間だったのですが、この関係は一体何なのでしょう・・・?
「大方、ボケ老人がどんな答えを出すか探りに来たのだろうけど、もう分からん!」飄々とした口ぶりは、今も変わりません。
僕は、別にそこで答えは出ずとも、先生がどう言う考え方をするのかが知りたかったのです。

あれこれ話すこと1時間半、「仮定と推論を重ねて、最終的に答えを出すんだけど、解明するための最後の詰めがまだまだだ!」と言ったのが先生の見解でした。
思えば、そう言う事を面と向かって言ってくれる人が、居なくなりました。僕も言うことは無いでしょう。
でもかつての日本には、そう言う事を言って貰う為に、手土産を持って炎天下を歩いて行くという世界が、割と日常的にあった様な気がします。「だから冷房の効いた喫茶店から、携帯電話で人に指示するだけの仕事は嫌いなのだ!」等と言うと、『老いの繰言』になるから止めよう!
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川口での長い一日

2005年07月23日 | フォト日記
今日もまた休日出勤して川口行きです。休日出勤手当て無し、代休も殆ど取れない状態なので、完全にボランティアです。前日からのデータをコピーするのに2時間ほどかかるので、せめてもの腹いせに、空き時間を有意義に過ごそうと、近くに住むHAOのODA-SANを誘い出しました。
駅前のカラオケハウスでウクレレの練習でもしようと言う魂胆です。
来年の大阪公演(?)目指して「大阪で生まれた女」を熱唱していると、突然部屋が揺れ始めました。かなり大きな揺れです。「ウォ!、これ危ないんじゃないの?」という訳で練習は中止、外に非難しましたが、みんな普通に歩いています。
「ありゃ?」、「普通の揺れじゃなかったよね?」とODA-SAN、でもあわて飛び出したのは僕たち2人だけと言った感じです。
「おかしいな・・・?」、と思って脇を歩いているパーキングメータの集金をしている(らしい?)おじさん2人に聞いてみると、「電信柱が揺れていたので、大きかったよ!」、と言う訳でODA-SANと2人、地震の余韻に妙な高揚(?)を感じながら川口の町を歩いたのですが、これから先がまた長かった!、続きはフォト日記の方で・・・!
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長き道のり

2005年07月19日 | フォト日記
明日で川口のマンションの仕事に関わって丁度1年になります。思えば去年、東京で最高気温39.5℃を記録した日から、ずっとこの高層マンションで仕事をしています。最初は完成前の居住性能試験という事で、冷房の無い居室の騒音をあっちこっち機械を運びながらの仕事でした。苛酷な仕事のプロローグだったのかも知れません。

この時も夏休み無し、その後、年末の異音騒ぎで冬休み無し、その継続調査でゴールデンウイーク無し、そしてまた過酷な夏がやってきました。
何とか原因も分かってきて、後は対策工事とその効果の検証測定が8月の終わりにかけてあります。それで効果が出れば一応「目出度し、目出度し」と言うことになり、後は「プロジェクトX」の取材待ち(?)となる訳です。

と言うのは冗談ですが、実際それで解決すれば、通常2・3年経っても解決しない事の多いこの種のトラブルが、最初の調査から8ヶ月間という異例の速さで終了することになるのです。果たしてどうなりますか・・・?、その前に僕の体力が底を尽きそうな気もします。

テレビを見ていると今日の「プロジェクトX」は初の国産旅客機YS-11がテーマでした。ゼロ戦の設計者や、他の航空技術者の先人が、若者を育て上げて、旅客機を飛ばすまでの物語なのですが、僕の会社には僕の技術を引き継ぐ若者が居ません。というか、責任感とか使命感(と言うのも大げさですが)と、最低限の知識と、物事に関する好奇心を持った若者がどこの分野にも、少ないような気がします。

基本的な知識を積み上げて、自分の目で確かめて行くという、エンジニアリングの基礎が欠落している「技術者もどき」がこれからはエンジニアと呼ばれ、それも日本人より外国人が多くなって行く日本の未来がかい間見えてくる気がします。

上の写真は、レベルレコーダと言う、測定器の記録紙なのですが、数日間に渡る無人測定記録から、音が出た時刻を短時間に読み取るのが今朝の課題でした。10時からの報告会で話す必要があったのです。
僕は前日に1日分の長さを計算し、巻尺を持ち、1時間単位の10.8センチのダンボール製物差しを作って行きました。
この辺の工夫は、子供の頃に培った工作や、模型つくりが元になっているのですが、いまやそんなものは、化石となりつつある気もします。
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天気が欲しい!

2005年07月16日 | フォト日記
世の中三連休なのですが、僕は相変わらず川口通いです。梅雨明けは近そうなのですが、すっきりと晴れ渡る青空がなかなか出ません。すっきりきれいに晴れないと仕事が出来ないのです。昨日がそれに近かったのですが、工事が終わらないと騒音測定は出来ないので、機械をセットしただけでした。

今日、朝5時半に起きて天気予報を見ると晴れとなっていました。でも朝食を食べて出かける頃になると曇りのち雨というマークが画面の横に出ています。6時50分の天気予報は晴れのち曇り、一体どっちなのでしょう?、よく分からないから2通り出しているのでしょうか?
半信半疑で出かけると、陽が差しているのですが、うす曇で建物からの音は出てきません。これでは仕事にならないので、近くに住むHAOのODA-SANを誘い出し、騒音計をマイク代わりに(別にHAOの音楽が騒音と言うわけではありません)練習でもしようと思ったのですが、今日は在宅勤務という返事が返ってきました。

仕方が無いので、明日からの無人測定の段取りをして帰るともう午後の6時です。明日は会社で仕事、早く写真のような好天が来ないと僕は代休も取れないのです。
(また、愚痴が多くなって来たかな?)
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奥の手は使わずに

2005年07月11日 | 語学
今日はロシア語の会話の試験です。土日も休まずに仕事をしたので、代休を取って勉強したのですが、どうも調子が出ません。事前の情報では、自己紹介とか、家族についてとか、いくつかのテーマの問題がカードに書かれていて、それをくじ引きのように各自が選び、そのことについて話して先生が質問をすると言うことでした。

僕の作戦としては
1.言うべきことを一つに決め、それを丸暗記して、違うテーマが当たったら、「その事についてはあまり得意でないから、趣味について話します。」と言って強引に暗記部分につなげ、「わにのゲーナの歌」を歌って締めくくる。
と言うのと
2.事前に談合(?仕事ではやっていません)でカードを融通しあって、各自得意な問題をやる。
と言う方法なのですが、2.をやるには早く行って事前に根回しをしなければなりません。でも4時過ぎにメールをチェックすると、無いと思っていた明日の川口での会議があるとの事、資料を作らなければなりません。
会社に着いたのが5時20分、大急ぎで仕事をして、試験の教室に着いたのはいつものと同じ時間でした。
「こりゃ、1.で行くしかないな・・・」と腹を決めて、一生懸命暗記をしていると、どうも話が違うようです。4つ問題が書いてあって、その4つに答えると言うのです。「エー!、一つしか用意してないぞー!」

先生が入ってきて、「メモ用紙を残して、教科書をしまって下さい・・・!」(これ日本語)
問題が書かれている10枚ほどのカードから1枚を出席簿順で選びます。僕が選んだカードにはロシア語で、1.なぜロシア語を勉強し始めたのか?、2.部屋にある電化製品を言え!、3.A.C、プーシキンについて何を知っているか?、4.あなたの××は何?
というのでした?
最後の一つは問題の××が分かりません。2番はテレビとコンピュータ以外の単語を知りません。冷蔵庫は習ったけど長すぎて覚えられなかったし・・・うーん!、「プーシキンなんて詩人だと言うことしか知らないよ!」
仕方が無いので、××を先生に聞くと「ドリーム!」と言います。

ここで、作戦変更、暗記部分を2つに分け、1と4に振り分け、2はテレビとコンピュータ2台にして、「ウインドウズとマックがある」と言えば少しは長くなるし、3は正直に「すみません。僕は知りません(「会った事がありません」と言おうとも思ったのですが・・・)」で済まし、4.に全精力を傾けると言う方法です。
かくして、この戦略的かつ分析的方法は功を奏し、「僕はアコーディオンを弾いて、モスクワで『わにのゲーナの歌』を歌いたいんです。」、「すてきな夢ですね!」(やったぜ!)
心残りはあまりに最後が決まりすぎて、歌を歌えなかったのと、4以上の数をうろ覚えなのがバレてしまった事です。
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クラス会

2005年07月10日 | フォト日記
ついこの間あった中学のクラス会がまた開かれました。ガンとの闘病生活を続ける友達を励まそうと開かれた「緊急クラス会」でした。友達って良いですね!
僕は朝から仕事で、その整理が残っていて、おまけに明日はロシア語の試験です。1次会だけで帰ったのですが、詳しくはフォト日記で!(お楽しみに!)
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晴耕雨読!

2005年07月09日 | 語学
今日も川口です。外は雨が降っています。
僕は高層マンションの28階で計測器を前にロシア語の勉強をしています。別にこんなところで勉強しなくてもいいのですが、データのコピーに2時間かかってしまうので、その間を利用していると言う訳です。
ダンボールを机代わりに、まさに現代版二宮金次郎と言ったところでしょうか?(!薪を担いで勉強している人)。
月曜日は会話のテストです。自慢じゃないけど、ロシア語の単語力はゼロに等しい状態なので、あと2日間でどうなる訳でもないのですが、少しでも努力をアピールしておこうと言う魂胆です。
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梅雨空の下

2005年07月07日 | フォト日記
「梅雨空の下、セーヌは流れる」ではなく、これは荒川です。と言うか右側の水門からは隅田川になるようです。
何やらはっきりしない天気が続いていますが、相変わらず川口通いが続いています。天候の条件が重要なファクターとなるため、測定は天気待ちの状態です。毎日天気予報をチェックして空を見上げ、予定を立てるのですが、思うように天気は動いてくれません。とりあえず無人の状態で振動を計っているので、様子を見に行かねばなりません。

今日の天気予報は曇り時々雨で、この次お日様が出るのは土曜日になっていました。しかし今朝6時過ぎに外を見ると日が差しています。「ありゃ、今から出かければ測定が出来るかな・・・?」と思ったのですが、先方の担当者が出てきて無いと仕事が出来ません。まあ、しょうがないと言う事で、連絡が付いたのは9時過ぎ、騒音計とロシア語の辞書の入ったディバッグを背に、湘南新宿ラインで川口に向かいました。

「帰りはこれにハードディスクが加わるのか・・・、騒音計と、ロシア語の辞書と、ハードディスクを背に電車に乗っているのは、世界中で僕一人だろうな・・・?」などと考えながら、結局、無人測定を継続することになったので、ハードディスクも置いてゆくことになりました。
データを取り出してCFカードに保存しなければなりません。
大容量のCFカードを買いに行くことにしました。しかし、どこで売っているのか分からないので、川口在住の唯一の知り合い、漫画家のT先生(日韓ユーモア漫画家年賀状交流展の世話役)に電話をかけ、売ってそうな場所を聞きました。ついでに大阪での来年の交流展のレセプションへの出演意欲をアピール?!したことは言うまでもありません。


データの整理をして、4日分の無人測定の段取りをして、会社に着いたら3時50分になっていました。
これまでの報告メールや雑務を処理して15分遅れで外語の教室へ、予習は半分しかしていないので、当たる順番を計算して、辞書をひき、「もう終わるかな・・・?」と思ったら、まだ後1ページ残っていました。という訳で、最後は口もごもご・・・、とにもかくにも、今学期最後の授業を終えました。トロイカ3人組で来週月曜日の試験の「傾向と対策」を話しながら帰宅、何だかんだ言いつつも、学校は楽しいのです。
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色あせた楽譜

2005年07月06日 | 音楽
日曜日に実家で探し物をしていると、机の引き出しから一枚の楽譜のコピーが出てきました。「屋根の上のバイオリン弾き」というミュージカルの中で歌われた「サンライズ・サンセット」という歌です。

だいたい僕は、自分とは不釣合いな(?)美しい曲が好きで、この曲も「いつか歌いたいな・・・」と思っている曲の一つです。
解説を読んでいると、ロシアのウクライナが舞台だと書いてありました。「ん?、ロシア語で歌ったらどうだろう!」、英語は歌っている人がいっぱいいるけど、ロシア語なら聞いた人がいないので(?)何とかなるかも知れません。

実を言うと、このミュージカルを僕は、ワルシャワの国立歌劇場で見た事があるのです。ホテルで見た観光案内に、英語で"Fiddler on the roof"と小さく書いてあったのを見つけたのです。
ポーランド語で歌っているので、全然意味は分からなかったのですが、ステージの大群衆から湧き上がる歌声に、涙が出るほど感動したのを覚えています。

でも、英語の歌詞も良いですよね・・・。

Is this the little girl I carried?
Is this the little boy at play?
I don't remmember growing older
When did they?
................................
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