健骨体操に行く途中、横浜公園前の交差点手前を、目の悪いカップルが歩道の縁石(車道との境)の上を、躓きながら歩いて居ました。すぐ横を車が通り過ぎて行きます。車道に落ちそうに(と言うか渡ろうとしているように見えたので)なったので、思わず『危ないよ!』と叫んでしまいました。
傍には市役所の駐車場案内のガードマンも立っています。『どこへ行くんですか?』と聞くと、『山下公園です』、『だったら向こうの歩道を渡らなきゃ!』、『タクシーを拾おうと思って・・・』、『あ、そう!?』、(何か余計な事をしたかな・・・?)、と思っていると、ガードマンが近づいてきます。でも何を話しかける訳でもなく5mくらい離れて立っているだけです。
仕事以外の余計な事はするなと言われているのでしょうか?、60歳過ぎの定年後の人のようです。タクシーは来るのですが空車が来ず、カップルは何度も手を上げています。
信号が変わったので、後は何とかしてくれるだろうと、僕はその場を後にしました。
盲人が自立して生きて行くためには、手を貸さない方が良いのかも知れませんが、危険を伴う事は別だと思います。あるいは目の悪い人との接触の仕方が分からないのかも知れません。別に普通に接して居れば良いと思うのです。
僕は家の近くに訓盲院という盲人のための学校があって、そこの先生の子供と友達だったり、学生時代偶然にキャンプファイアーで一緒になったり、若い頃から普通に接して来ました。盲人の合唱団の指揮はどうやるのかも知っています。
世の中、身体の不自由な人に限らず、知らない人に対して声を出して話しかける事が無くなって来ました。それは人間としての基本的資質が、失われてきている事の表れのような気がします。
昔(30年前?)駅で車椅子に乗った人が階段を上がる時は、『どなたか手を貸してください!』と駅員が声を掛けたり、街中の階段でも道行く人が手を貸していました。僕も手伝った事があります。さすがに今の電動車椅子では無理でしょうけど・・・。
でも車椅子を電動にして、階段に昇降機を付けることが最善のことなのでしょうか?、人と人の垣根は、ますます堅固になっているような気がします。
道を聞く人も少なくなってきました。携帯電話では大きな声で話しても、街中で知らない人に対して話しかける事は出来ないのでしょうか?
電話で見えない相手に対して大きな声で話す方が、よっぽど恥かしい事だと思うのですが・・・、価値観が変わっているのでしょうね?
僕は相変わらず人に聞きます。この前は携帯電話で場所を聞いていても、傍を人が通ると『ちょっと待ってて!』と電話を中断して聞いてしまいました。
スペインのマドリッドで、ホテルの場所を女学生に聞いた時は、電話をしながら歩いているビジネスマンを捕まえて聞いてくれました。(だから僕はスペインが好きです。)
そんなこんなで、人間の事を考えていると、花が目に付きます。『これは木蓮かな、こぶしかな・・・?』と思って調べて見ると紫木蓮のようです。暮れなずむ頃に見ると綺麗です。今日は久しぶりに明るいうちに帰りました。