昨日は終戦記念日と言う事で、テレビやラジオで、戦争の話題が取り上げられていた。
当時、僕の家は横浜から小田原に疎開していたらしい。
父親は身体が小さく1910年(明治43年)生まれで、終戦間近30歳を過ぎて徴兵されたそうだ。
そのせいか戦争の話は殆どしなかった。
94歳で亡くなった後、49日の法要に来た人に聞いた話では、よく小田原から自転車で横浜の親戚に来ていたそうだ。
今のような軽快な自転車では無く、古く重い自転車だ。凄い体力だと思った。
僕が一度だけ父親から聞いた話は戦後になって、横浜から厚木だかどこか、丹沢方面の農家に食料を分けて貰いに(着物などの物と交換したらしい)行って、嫌な思いをした話なのだけど、それもその重い自転車で行ったのだろう。
コロナの時代となった今も、都会から田舎に行くと、毛嫌いされる話をニュースで聞くと、いつの時代も、同じ事が繰り返されている気がしてならない。
母親はよく、夏のこの時期になると、横浜の空襲で生まれたばかりの兄を背負い、逃げ回った話をして「もう戦争なんか絶対経験したくない!」と繰り返し言っていた。
昨日、終戦の式典挨拶で総理が「積極的平和主義」と言う言葉を使っていたけど、記憶に新しい電通と持続化給付金のニュースに親しんだ耳には、新たなキャッチコピーにしか聞こえなかった。(本来きちんとした意味があるらしい?)
思えば「骨太の方針?」、「聖域無き何たら?」耳触りの良さだけで印象付ける、広告業界の常套手段のような言葉が日常のニュースで飛び交っている。
キャッチコピーの連続で、さも世の中が順調に進んでいるように見えるけど、いつの間にか世の中は危険な方向に向かって行くのが歴史の常だ。
新型コロナと極暑の中、上手く誤魔化されないように気を付けようと思う。
僕が新聞記者かレポーターなら「消極的戦争主義?」とどう違うのか質問してみたい。(あるいは「偽善的平和主義?」)
当時、僕の家は横浜から小田原に疎開していたらしい。
父親は身体が小さく1910年(明治43年)生まれで、終戦間近30歳を過ぎて徴兵されたそうだ。
そのせいか戦争の話は殆どしなかった。
94歳で亡くなった後、49日の法要に来た人に聞いた話では、よく小田原から自転車で横浜の親戚に来ていたそうだ。
今のような軽快な自転車では無く、古く重い自転車だ。凄い体力だと思った。
僕が一度だけ父親から聞いた話は戦後になって、横浜から厚木だかどこか、丹沢方面の農家に食料を分けて貰いに(着物などの物と交換したらしい)行って、嫌な思いをした話なのだけど、それもその重い自転車で行ったのだろう。
コロナの時代となった今も、都会から田舎に行くと、毛嫌いされる話をニュースで聞くと、いつの時代も、同じ事が繰り返されている気がしてならない。
母親はよく、夏のこの時期になると、横浜の空襲で生まれたばかりの兄を背負い、逃げ回った話をして「もう戦争なんか絶対経験したくない!」と繰り返し言っていた。
昨日、終戦の式典挨拶で総理が「積極的平和主義」と言う言葉を使っていたけど、記憶に新しい電通と持続化給付金のニュースに親しんだ耳には、新たなキャッチコピーにしか聞こえなかった。(本来きちんとした意味があるらしい?)
思えば「骨太の方針?」、「聖域無き何たら?」耳触りの良さだけで印象付ける、広告業界の常套手段のような言葉が日常のニュースで飛び交っている。
キャッチコピーの連続で、さも世の中が順調に進んでいるように見えるけど、いつの間にか世の中は危険な方向に向かって行くのが歴史の常だ。
新型コロナと極暑の中、上手く誤魔化されないように気を付けようと思う。
僕が新聞記者かレポーターなら「消極的戦争主義?」とどう違うのか質問してみたい。(あるいは「偽善的平和主義?」)
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