大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

近江鉄道 桜川駅!

2019年11月24日 | 

滋賀県東近江市桜川西町にある桜川駅は、米原駅から貴生川駅までを結んでいる全線単線の近江鉄道本線(47.7km)の駅として、1900(明治33)年10月1日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な無人駅です。
開業時に建てられた古い木造駅舎が上りホーム(米原方面行きホーム)側にあり、下りホームへは構内踏切で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は242人で、これは近江鉄道本線の全25駅中13位です。

この桜川駅は、新設駅が多い八日市駅~日野駅間では少数派となる開業当時からの設置駅で、2013(平成25)年3月まで運行されていた快速列車の停車駅でもありました。

桜川駅が属する近江鉄道本線は、東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道として、北陸から関西鉄道(現在の草津線)へ伊勢参詣への短絡路も兼ねて建設されました。 しかし、昭和40年代に入るとモータリゼーションが進み、鉄道の利用客は減少し始め、さらに昭和50年代後半になると国鉄側の貨物輸送の拠点間輸送化の影響を受けて近江鉄道の貨物輸送の縮減が進み、1984(昭和59)年9月にキリンビールの輸送、1986(昭和61)年3月にセメント原石の輸送、1988(昭和63)年3月に日本石油の輸送が廃止されて貨物輸送が全廃となりました。 ちなみに、2013(平成25)年3月16日からは、米原駅~高宮駅に多賀線多賀大社前駅間に「彦根・多賀大社線」(ラインカラー:      赤)、高宮駅~八日市駅間に「湖東近江路線」(ラインカラー:      青)、八日市駅~貴生川駅間に「水口・蒲生野線」(ラインカラー:      黄)の愛称が付けられました。

  <桜川駅の年表>

 ・1900(明治33)年10月1日:近江鉄道本線の駅として開業
 ・2003(平成15)年3月15日:貴生川駅~米原駅間に快速列車が設定されたことにより、快速の停車駅となる
 ・2013(平成25)年3月16日:快速が廃止されたことにより、普通列車のみの停車駅となる
 ・2013(平成25)年3月16日:「水口・蒲生野線」の愛称を使用開始
 ・2019(令和元)年9月15日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(踏切上から米原方面を望む)

 
(貴生川方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(桜川駅駅舎)

 

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2018(平成30)年8月11日


今日は勤労感謝の日!

2019年11月23日 | 今日は何の日

11月23日は勤労感謝の日です。

勤労感謝の日は国民の祝日の一つで、1948(昭和23)年7月20日に公布・即日施行された国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としています。

農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習がありました。 また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい)が11月23日に行われていました。

しかし、第2次世界大戦後、ポツダム宣言を執行するため日本で占領政策を実施していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が皇室に関わる行事が祝日として残るのを嫌がったことから、国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条により、11月23日は「勤労感謝の日」と定められました。

ちなみに、一時は5月1日のいわゆるメーデーに勤労感謝の日を移動させる案が浮上していましたが、現在は頓挫しています。


赤穂線 備前片上駅!

2019年11月22日 | 

岡山県備前市東片上にあるJR西日本の備前片上駅は、山陽本線の相生駅と東岡山駅とを瀬戸内海に沿って結んでいる全線単線の国鉄赤穂線(57.4km)の一般駅として、1958(昭和33)年3月25日に開業しました。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有していて、列車交換可能な簡易委託駅です。
開業時に建てられたコンクリート製の駅舎が単式ホーム側にあり、島式ホームへは跨線橋で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗車人員は287人で、これは起終点駅を除く赤穂線の全17駅中16位です。

この備前片上駅は備前市の代表駅で、かつては大阪駅から当駅までの快速や当駅から米原行の快速も設定されていましたが、2000(平成12)年3月11日のダイヤ改正で廃止されました。

備前片上駅が属する赤穂線は、山陽本線の輸送力を補う代替・バイパス線として計画・建設された路線でした。 しかし、赤穂線が全通した時点で、並行する山陽本線は電化が完了し、輸送力の増強が図られた一方、赤穂線自身は単線で、かつ一部区間が非電化での全通であったため、当初想定されていた「山陽本線の輸送力を補う代替路線」ではなく、「地域住民のためのローカル線」という存在での開通となりました。 それでも、全通当時沿線に赤穂市・西大寺市の二つの市を抱えていたことから、大阪と山陽・九州方面を結ぶ優等列車(急行「鷲羽」「つくし」など)の一部が当路線を経由していましたが、新幹線博多開業の1975(昭和50)年3月10日のダイヤ改正以降、定期の優等列車は設定されていません。

  <備前片上駅の年表>

 ・1958(昭和33)年3月25日:国鉄赤穂線の一般駅として開業
 ・1969(昭和44)年8月24日:播州赤穂駅~当駅~東岡山駅間が電化される
 ・1983(昭和58)年7月29日:備前福河駅~当駅~東岡山駅間で列車集中制御装置(CTC)が導入される
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化(簡易委託)
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・2018(平成30)年9月15日:ICOCA対応IC専用機の導入により、「ICOCA」の利用が可能となる

 
(駅 名 標)

 
(跨線橋から東岡山方面を望む)

 
(相生方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(備前片上駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2013(平成25)年4月10日


南海電鉄 石津川駅!

2019年11月21日 | 

大阪府堺市西区浜寺石津町中にある石津川駅は、難波駅と和歌山市駅とを結んでいる南海電鉄南海本線(64.2km)の駅です。 もともとは南海鉄道の駅として、1919(大正8)年6月1日に開業しました。

8両分の有効長をもつ相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、ホームは3階、改札口は1階にあります。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は14,150人で、これは南海本線の全44駅中12位です。

この石津川駅の駅名の由来となった二級河川の「石津川」周辺一帯は、かつて木綿を川の水にさらしている風景が見られた綿の産地で、昭和初期まで「石津のさらし」として全国でも有名でした。

石津川駅が属する南海本線は、大阪市~和歌山市間の都市間輸送を担う近郊路線ですが、空港線を経由する関西国際空港へのアクセス路線、さらには、和歌山港線を経由する和歌山港へのアクセス路線の性格も帯びており、和歌山港 - 徳島港間を運航する南海フェリーと本州四国連絡ルートを形成しています。

  <石津川駅の年表>

 ・1919(大正8)年6月1日:南海鉄道の駅として開業
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により、南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1983(昭和58)年7月3日:上り線の高架化
 ・1985(昭和60)年5月7日:駅の高架化完成
 ・1999(平成11)年4月1日:スルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始
 ・2006(平成18)年7月1日:IC乗車カード「PiTaPa」「ICOCA」の利用が可能になる  
 ・2011(平成23)年4月1日:駅構内終日全面禁煙化  
 ・2012(平成24)年4月1日:駅ナンバリングの導入  
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始で Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる

 
(駅 名 標)

 
(難波方面を望む)

 
(石津川駅)

 


 撮影年月日:2016(平成28)年12月11日


旧国鉄池北線 川上駅!

2019年11月20日 | 

北海道足寄郡陸別町にあった川上駅は、根室本線の池田駅と石北本線の北見駅とを結んでいた全長140.0kmの旧国鉄池北線の一般駅として、1920(大正9)年6月1日に開業しました(開業時は網走本線に所属)。

開業時は単式ホーム1面1線の他に貨物ホームや貨物側線も有していましたが、1962(昭和37)年10月の貨物取扱い廃止後に側線は全て撤去されてしまい、廃止時は単式ホーム1面1線のみの無人駅でした。 
開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅化後もそのままの姿で廃止時まで解体されずに健在でした。

もともと川上駅は、この周辺の豊富な木材資源を搬出するために設けられ、かつては駅裏の利別川沿いに富士製紙の木材流送の陸揚網場も設置されていたので、最盛期の1923(大正12)年には1日当たり約80人もの利用者がありました。
しかし、その後、木材の輸送は次第にトラックに切り替わり、また木材そのものの需要も低下したことから、昭和30年代の後半になると川上駅周辺はほぼ無人地帯となり、国鉄時代末期には利用者はめったにいませんでした。

川上駅が属していた池北線は、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが140kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により、1984(昭和59)年6月22日に一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現在の国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。 しかし、池北線は長大4線(名寄本線・標津線・天北線・池北線)の中では最も営業係数(100円稼ぐのに必要な費用)が低かったことと沿線自治体や住民の熱意により、1988(昭和63)年11月14日の対策協議会において第3セクターとして存続することに決定しました

そして池北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継され、さらに1989(平成元)年6月5日に第3セクターの北海道ちほく高原鉄道に転換されますが、2006(平成18)年4月21日に同鉄道が経営悪化で廃止されたことにより、川上駅も廃駅となりました。

  <川上駅の年表>

 ・1920(大正9)年6月1日:旧国鉄網走本線の一般駅として開業
 ・1961(昭和36)年4月1日:網走本線のうち、池田駅~北見駅間が池北線に改称されたことにより、池北線の駅となる
 ・1962(昭和37)年10月1日:貨物・荷物の取扱い廃止、
 ・1962(昭和37)年10月1日:駅の無人化
 ・1985(昭和60)年8月2日:地北線が第2次廃止対象特定地方交通線に選定
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継される
 ・1989(平成元)年6月4日:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅となる
 ・2006(平成18)年4月21日:北海道ちほく高原鉄道が廃止されたことにより廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(駅舎・ホーム側)

 


 撮影年月日:1988(昭和63)年11月3日