大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

神戸電鉄粟生線 樫山駅!

2020年07月23日 | 

兵庫県小野市樫山町字腰掛にある樫山駅は、鈴蘭台駅から粟生駅までを結んでいる神戸電鉄粟生線(29,2km)の駅として、1951(昭和26)年12月28日に開業しました。

4両分の有効長をもつ相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な無人駅です。
2009(平成21)年3月に改築された木造駅舎が下りホーム(粟生方面行ホーム)の鈴蘭台寄りにあり、上りホームへは構内踏切で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降客数は529人で、これは起終点駅を含む粟生線の全20駅中16位です。

樫山駅が属する神戸電鉄粟生線は、鈴蘭台駅~木津駅間の急峻な50‰の勾配を越え、神戸市西区から三木市を中心に広がる住宅地と神戸市の中心部を結ぶ通勤・通学路線で、1990年代初頭までは輸送人員が伸びていましたが、1990年代後半から路線バスとの競合などが影響して輸送人員は激減し、2000年代に入るとついに路線の存続が困難な状態に陥りました。 その後も慢性的な赤字を抱えて状況は悪化の一途を辿り、危機的な状況が続いています。

  <樫山駅の年表>

 ・1951(昭和26)年12月28日:神戸電気鉄道粟生線の駅として開業
 ・1988(昭和63)年4月1日:社名が神戸電鉄に変更され、同社の駅となる
 ・2007(平成19)年4月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2009(平成21)年3月29日:駅舎改築、駅前広場が完成
 ・2011(平成23)年3月1日:喫煙コーナーを廃止し、駅構内終日全面禁煙化
 ・2014(平成26)年4月1日:駅ナンバリングの導入
 ・2015(平成27)年3月3日:IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる

 
(駅 名 標)

 
(鈴蘭台方面を望む)

 
(踏切上から粟生方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(樫山駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


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今日は下駄の日!

2020年07月22日 | 今日は何の日

7月22日は下駄の日です。

日本の伝統的な履物である「下駄」のよさを見直してもらおうと、1990(平成2)年の全国大会で日田木製履物連合会が提案し、1991(平成3)年に全国木製はきもの業連合会が7月22日を「下駄の日」という記念日に制定しました・

日付は、下駄の寸法を表すのに「七寸七分」というように7の数字がよく使われることと、下駄の跡が「二二」に見えることから7月22日になりました。

下駄は、鼻緒があり、底部に歯を有する日本の伝統的な履物です。 足を乗せる木板に「歯」と呼ばれる接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、「眼」と呼ぶ孔を3つ穿って鼻緒を通し、足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履きます。

下駄の歴史については、足の保護や水田・湿地での沈み込みを防ぐため使われたとみられる木版が、弥生時代の登呂遺跡(静岡県)から出土しています。そして、1940年代にゴム製の履き物(洋靴)が登場するまでは、庶民は下駄や草履を多く用いました。
しかし、下駄は木製であるため、歩くと「カランコロン」という特徴的な音がするため、祭りや花火の日に浴衣姿で歩く場合や、温泉街の街歩きなど(城崎温泉や鳴子温泉などでは、下駄履きを前提としたまちづくりをしています)では雰囲気を出す音であっても、現代の町中では騒音と受け取られることもあるので、現代の日本では、ビニール素材の軽装履(サンダル構造の草履)やスニーカーにとって代わられ、一般的に下駄が履かれることは少なくなりました。

ちなみに、下駄の生産は広島県福山市松永地域や大分県日田市を中心に、福島県、長野県、新潟県、秋田県、静岡県などに産地があります。


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片町線 同志社前駅!

2020年07月21日 | 

京都府京田辺市三山木垣ノ内にある同志社前駅は、大阪環状線の京橋駅と関西本線の木津駅とを結んでいる全長44.8kmの片町線の旅客駅として、1986(昭和61)年4月1日に開業しました。

木津方面に向かって右側に配置された7両分の有効長をもつ単式ホーム1面1線のみを有する業務委託駅です。
開業時の駅舎には、かつて寝台特急などで活躍した583系電車の廃車体が使われ、当初そのスペースを活用して喫茶店の営業も行われていました。そして喫茶店の閉店後も待合室として使用され続けますが、利用客が増えホームを拡幅する必要が生じたことから、2005(平成17)年に同志社大学京田辺キャンパスをイメージした外観の新駅舎に建て替えられました。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降客数は9,353人で、これは起終点駅を除く片町線の全22駅中15位です。

この同志社前駅は、駅名の由来となっているように同志社大学京田辺キャンパスへの最寄り駅ですが、当時の国鉄としては初めての学校(学園)名を冠した駅となりました。

同志社前駅が属する片町線は、JR西日本のアーバンネットワークに含まれる路線の一つで、生駒山地の北端を廻り、大阪府北河内地域の各都市や京都府南部に広がる住宅地と大阪・阪神方面との通勤・通学路線となっています。 また、この片町線は関西の国鉄線で初の電化区間だったので、関西国電発祥路線とも言えます。 さらに、国鉄では武蔵野線に次いで西日本地域としては初めて自動改札機を採用した路線でもあります。

  <同志社前駅の年表>

 ・1986(昭和61)年4月1日:国鉄片町線の旅客駅として開業
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1988(昭和63)年3月13日:路線愛称の制定により「学研都市線」の愛称を使用開始
 ・1989(平成元)年3月11日:木津駅~当駅~長尾駅間が電化される。 構内を相対式ホーム2面2線に拡張し、快速の約半数が当駅折返しとなる
 ・2003(平成15)年10月1日:コンコースの喫煙コーナーを廃止
 ・2003(平成15)年11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2005(平成17)年1月29日:新駅舎が竣工
 ・2007(平成19)年1月26日:みどりの窓口の営業開始
 ・2009(平成21)年7月1日:ホーム上の喫煙コーナーを廃止し、駅構内終日全面禁煙化
 ・2010(平成22)年3月13日:ホームを7両編成対応に延長する。これに伴い、折り返し専用の2番のりばはホームの延長をせずに廃止・閉鎖され、単式ホーム1面1線のみとなる
 ・2010(平成22)年10月21日:組織改正により、近畿統括本部の管轄に変更される 
 ・2011(平成23)年3月8日:接近メロディの導入 
 ・2013(平成25)年11月 :簡易改札機から通常の改札機へ変更される
 ・2015(平成27)年3月8日:みどりの窓口の営業を終了
 ・2015(平成27)年3月9日:みどりの券売機プラスの供用開始
 ・2018(平成30)年3月17日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(松井山手方面を望む)

 
(同志社前駅駅舎)

 

 
(2番のりばへの構内踏切は撤去されましたが、通路は残っています)


 撮影年月日:2019(平成31)年3月20日


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今日はハンバーガーの日!

2020年07月20日 | 今日は何の日

7月20日はハンバーガーの日です!

ハンバーガーは、牛肉のパティをバンズと呼ばれるパンに挟んだ食べ物で、アメリカ合衆国を代表する国民食とされています。
このハンバーガーは、1940年代にマクドナルド兄弟がカリフォルニア州に開いたドライブインでメニューに出され、評判になったことで、アメリカを中心に各国に広まりました。

日本には第二次世界大戦後に長崎県の佐世保に駐留した米軍を通じて、本格的に持ち込まれたとされています。

そして、1971(昭和46)年の今日(7月20日)、東京の銀座三越の1階にマクドナルドの日本第1号店がオープンしました。 この第1号店の店舗は面積129平方メートルと非常に小さな持ち帰り専門店で、客席はありませんでした。

値段は、ハンバーガー80円・チーズバーガー100円・ビッグマック200円・フィレオフィッシュ100円・マックフライポテト70円などで、当時の物価からすると少し高めでしたが、それでもオープン初日だけで1万人以上の客が銀座店につめかけ、1日で100万円以上の売り上げを記録したそうです。

この第1号店をオープンするまでには、日本マクドナルドの創業者である藤田 田氏の大変な苦労がありました。
まず、この1号店を開く場所については、「流行の情報発信基地である銀座で話題になれば、商売も必ず成功するはず」と考えて銀座に絞り、そして交差点角という絶好の立地条件にあった三越百貨店に決め、交渉に入ります。 交渉は難航しますが、最終的に銀座三越店店長の岡田 茂(後の社長)は、条件付きで許可しました。 その条件というのは、銀座三越の日曜日の閉店時間である18時から定休日の月曜日を挟んで火曜日の開店時間の10時までの40時間の間に改装工事を終えるのであれば出店を許可するというものでした。
藤田氏はこの条件を呑んで、突貫工事を行い、通常であれば1ヶ月半もかかるものを39時間で完了させ、見事開店にこぎつけたのでした。

その後、同年7月24日に第2号店である代々木店をオープンさせ、この年に5店舗を出店し、5年後の1976(昭和51)年12月には100店舗を達成し、11年後の1982(昭和57)年には年商902億9,300万円となり、外食産業売上高日本一になったのでした。


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近江鉄道 水口城南駅!

2020年07月19日 | 

滋賀県甲賀市水口町にある水口城南駅は、米原駅から貴生川駅までを結んでいる全線単線の近江鉄道本線(47.7km)の駅として、1989(平成元)年4月5日に開業しました。

米原方面に向かって左側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する有人駅(日中のみ)で、2階建ての駅舎があります。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は918人で、これは近江鉄道本線の全25駅中4位です。

水口城南駅が属する近江鉄道本線は、東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道として、北陸から関西鉄道(現在の草津線)へ伊勢参詣への短絡路も兼ねて建設されました。
しかし、昭和40年代に入るとモータリゼーションが進み、鉄道の利用客は減少し始め、さらに昭和50年代後半になると国鉄側の貨物輸送の拠点間輸送化の影響を受けて近江鉄道の貨物輸送の縮減が進み、1984(昭和59)年9月にキリンビールの輸送、1986(昭和61)年3月にセメント原石の輸送、1988(昭和63)年3月に日本石油の輸送が廃止されて貨物輸送が全廃となりました。
ちなみに、2013(平成25)年3月16日からは、米原駅~高宮駅に多賀線多賀大社前駅間に「彦根・多賀大社線」(ラインカラー:      赤)、高宮駅~八日市駅間に「湖東近江路線」(ラインカラー:      青)、八日市駅~貴生川駅間に「水口・蒲生野線」(ラインカラー:      黄)の愛称が付けられました。

  <水口城南駅の年表>

 ・1989(平成元)年4月5日:近江鉄道本線の駅として開業
 ・2009(平成21)年  :駅名標を交換
 ・2013(平成25)年3月16日:「水口・蒲生野線」の愛称を使用開始
 ・2019(令和元)年9月15日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(米原方面を望む)

 
(貴生川方面を望む)

 
(水口城南駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2019(令和元)年8月12日


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