Kishiwada Castle, Kishiwada City, Osaka Pref.
さてさて、大阪府岸和田市にやって来て紀州街道から蛸地蔵商店街にかけて歩いたワタクシは
商店街から北の方に向かって歩いていきました。するとそこに、けっこう立派な神社がありました。
この神社を三ノ丸神社というのですが、写真の右下を見ていただけるでしょうか。
そこには「岸和田だんじり発祥の宮」と石に彫られているのですね。
ワタクシちょっと調べてみました。するとこういうことなのですね。
1703年、岡部長泰(おかべながやす)が民の安泰を祈願するため、京都伏見から稲荷神を三の丸神社に勧請しました。
当時、三の丸神社では9月27日に稲荷祭が行われ、各町の地車が神社太鼓を打ち鳴らし、色々な芸をして殿様に見せていました。
この稲荷祭りが岸和田だんじり祭の起源という説があるそうなんですよ。
だんじりも最初は今のように勇壮、豪快というわけではなかったのですね。
こんな長屋が立ち並ぶ一角を通り抜けていきますと…
岸和田城の堀端にたどり着きました。大阪といえばなんと言っても大阪城が有名でありますが、ここ岸和田にも天守閣を持った城郭があるんですよね。
岸和田城は伝承では、建武新政期に楠木正成の一族和田高家が築いたといわれています。
天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
その後寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城すると、以後明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。
残念ながら天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門なども破壊されたため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。
現在の天守閣は昭和29年に建造された3層の天守閣ですが、本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。
ワタクシ、大阪府民であるのですが、恥ずかしながら岸和田城は列車や車の車窓から眺めることはありましたが
実際に足を運ぶのは今回が初めてなんですよ。
たとえ天守閣は再建されたものであっても、立派な石垣を見るだけでもなかなかの価値がありました。
特徴的なのが石垣の下にある犬走りなんですよね。城の石垣と堀の間に犬走りという空間があるということは
敵の侵入に有利ですから、防御という面からは決して望ましい構造ではないのですよね。
おそらく石垣や土塁の崩落を防ぐために、あえて犬走りが作られたのでしょう。
なかなか立派な岸和田城ですが、このお城にはワタクシにとってもう一つの大きな楽しみがあるんですよ。
それはまた明日、紹介させていただきますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
特別にお城が好きというわけではないのですが、歴史が好きなので旅に行くとよくお城を見に行きます。
行ってみて「よかったなぁ」と思うお城もあれば、がっかりするお城もあるのですが
あえてワタクシが好きなお城を3つ選ぶとしたら「彦根城」「松本城」「姫路城」でしょうかねぇ。
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さてさて、大阪府岸和田市にやって来て紀州街道から蛸地蔵商店街にかけて歩いたワタクシは
商店街から北の方に向かって歩いていきました。するとそこに、けっこう立派な神社がありました。
この神社を三ノ丸神社というのですが、写真の右下を見ていただけるでしょうか。
そこには「岸和田だんじり発祥の宮」と石に彫られているのですね。
ワタクシちょっと調べてみました。するとこういうことなのですね。
1703年、岡部長泰(おかべながやす)が民の安泰を祈願するため、京都伏見から稲荷神を三の丸神社に勧請しました。
当時、三の丸神社では9月27日に稲荷祭が行われ、各町の地車が神社太鼓を打ち鳴らし、色々な芸をして殿様に見せていました。
この稲荷祭りが岸和田だんじり祭の起源という説があるそうなんですよ。
だんじりも最初は今のように勇壮、豪快というわけではなかったのですね。
こんな長屋が立ち並ぶ一角を通り抜けていきますと…
岸和田城の堀端にたどり着きました。大阪といえばなんと言っても大阪城が有名でありますが、ここ岸和田にも天守閣を持った城郭があるんですよね。
岸和田城は伝承では、建武新政期に楠木正成の一族和田高家が築いたといわれています。
天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
その後寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城すると、以後明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。
残念ながら天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門なども破壊されたため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。
現在の天守閣は昭和29年に建造された3層の天守閣ですが、本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。
ワタクシ、大阪府民であるのですが、恥ずかしながら岸和田城は列車や車の車窓から眺めることはありましたが
実際に足を運ぶのは今回が初めてなんですよ。
たとえ天守閣は再建されたものであっても、立派な石垣を見るだけでもなかなかの価値がありました。
特徴的なのが石垣の下にある犬走りなんですよね。城の石垣と堀の間に犬走りという空間があるということは
敵の侵入に有利ですから、防御という面からは決して望ましい構造ではないのですよね。
おそらく石垣や土塁の崩落を防ぐために、あえて犬走りが作られたのでしょう。
なかなか立派な岸和田城ですが、このお城にはワタクシにとってもう一つの大きな楽しみがあるんですよ。
それはまた明日、紹介させていただきますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
特別にお城が好きというわけではないのですが、歴史が好きなので旅に行くとよくお城を見に行きます。
行ってみて「よかったなぁ」と思うお城もあれば、がっかりするお城もあるのですが
あえてワタクシが好きなお城を3つ選ぶとしたら「彦根城」「松本城」「姫路城」でしょうかねぇ。
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私も恥ずかしながら、岸和田城は電車から眺めるか、横を車で走ったことしかありません。
一度、ゆっくりと拝見してみたいです。
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
見せていただき、siawase気分です。
眺めて、心癒されました。
ありがとうございました。
いつもながら、嬉しいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、深謝です。
応援ポチ♪♪
岸和田にもこんなに立派なお城があるとは知りませんでした。
街並みも昔ながらの長屋など、歴史を振り返りながら楽しく見せていただきました。
私も岸和田城、近くで見たことがなかったです。
なかなか立派なお城ですね。
40年前、ここらあたりをあちこちしていました(^_^;)
勤労学生だったのですが
南海電車で蛸地蔵駅で降り
学び舎に通っていました
帰りに岸和田で降りて岸和田城にも行きました
懐かしいです(^_-)-☆
記憶が定かでありません
友人と行ったのは行ったのですが、果たしてどこまで…
5層だったものが3層で再建されたのは
どんな理由だったのでしょうね
岸和田城、見事な御堀ですね。
確かに、お堀の下に、空間(土地)があるのは、
見たことが無いです。
岸和田だんじり 発祥に神社ですか~
岸和田城は有名ですね
でも見るのは初めてです
やっぱり凄いです 横に大きいのですね
青空のしたの岸和田城素敵です
(o^-^o) ポチ
岸和田城はないです。
それにしても素晴らしい青空ですね。
写真として収められた城を
ご覧になられた時、
威風堂々たる姿に心が惹かれたでしょうね。
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