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安倍-朴槿恵両首脳によって成し遂げられた「最終的かつ不可逆的な解決を確認した」慰安婦合意も、文在寅政権の誕生で、事実上ご破算になってしまった。

2019-05-22 17:58:12 | 日記
 
田原 総一朗        
 
2019/05/22 06:00
 
 
 
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供  2018年4月6日、朴槿恵前大統領の一審判決を伝える韓国メディア(写真:AP/アフロ)

日韓関係に改善の兆しがなかなか見えてこない。

安倍-朴槿恵両首脳によって成し遂げられた「最終的かつ不可逆的な解決を確認した」慰安婦合意も、文在寅政権の誕生で、事実上ご破算になってしまった。

法的に解決済みであるはずの元徴用工への賠償も、韓国の司法当局が日本企業にその義務を認める判決を下すなど、日本には受け入れがたい決断が次々と出てくる。

なぜ韓国はそれほど反日的な態度を強めるようになったのか。

田原総一朗氏が、元在大韓民国特命全権大使である武藤正敏氏に聞いた。(構成:阿部 崇、撮影[田原氏、武藤氏]:NOJYO<高木俊幸写真事務所>)

「国母」の気持ちで国民に接してきた朴槿恵前大統領

田原 僕が韓国のことで不思議に思っているのは、前大統領の朴槿恵さんのことなんです。

彼女が大統領の時、韓国では連日、大統領の辞任を求めて100万人のデモが繰り返されましたよね。

僕から見ると、朴槿恵さんはそんな悪いことをしていなかったように思うんだけど、なぜ韓国では、あんなに多くの国民が連日デモに繰り出すことになったんですか。

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 田原総一朗:東京12チャンネル(現テレビ東京)を経てジャーナリストに。『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)などに出演する傍ら、活字媒体での連載も多数。

武藤 いろんな要素があると思いますが、問題が大きくなった背景の一つには彼女の意識が国民とかなり乖離してしまったことがあったのではないでしょうか。

 朴槿恵さんは22歳の時に、母・陸英修が暗殺されてからは、父である朴正煕大統領のファーストレディの役割を果たしていたわけですが、その父も5年後に暗殺されてしまう。

その時の彼女の第一声は「38度線は大丈夫ですか」だったそうです。

暗殺という惨劇に肉親が襲われ、とんでもない厄災が自分の身に降りかかるかもしれないときに、真っ先に国の安全保障を心配した。そういう人なんですね。

 つまり朴槿恵さんは常に「国母」の気持ちで国民に接してきたのだと思います。

「私が頑張らなくちゃ」という気持ちと、「自分がこの国のことを一番よく考えているんだ」という強い自負を持っていた。

それがいつしか「だから私の言うことを聞きなさい」という考えになり、他人の言うことに耳を貸さなくなってしまった。もともと、人付き合いがあまり上手ではないという面も持っていらっしゃったと思います。

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 武藤正敏:外交経済評論家。元在大韓民国特命全権大使。横浜国立大学卒業後、外務省入省。アジア局北東アジア課長、在オーストラリア日本大使館公使、在ホノルル総領事、在クウェート特命全権大使などを歴任ののち、2010年、在大韓民国特命全権大使に就任。2012年退任。著書に『日韓対立の真相』、『韓国の大誤算』、『韓国人に生まれなくてよかった』(以上、悟空出版)、『「反日・親北」の韓国 はや制裁対象!』(李相哲氏との共著、WAC BUNKO)がある。

田原 ソウル在住の経験豊富な日本人記者は「朴槿恵さんは人と話をするのが苦手。おそらく対人恐怖症だろう」と言っていました。ただ、そんな朴槿恵さんにも、唯一、気兼ねなく話ができる女性がいた。

武藤 ええ、崔順実(チェ・スンシル)です。

田原 非常に仲良くなった彼女のために財団を作ってあげたり、彼女の娘をいい大学に入れてやったりして、それが後に追及されることになった。

 ただね、そんなこと日本の政治家だってやっていることなんじゃないですか? 韓国で朴槿恵さんがあんなに憎まれた理由がよく分からない。

武藤 宗教家の娘である崔順実は、胡散臭い雰囲気がありました。そして致命的だったのは、崔順実の娘を不正に大学に入学させたことでしょう。名門の梨花女子大学です。韓国では、どの大学を卒業するかで就職先も決まってしまう。つまり、将来が決まっちゃいますから。

田原 そうか。韓国は超学歴社会で、いい会社に就職するなら特定の名門大学を出てなきゃダメなんですよね。

武藤 そうです。だからみんな一生懸命勉強するわけですが、その受験をすっ飛ばして簡単に名門大学に入学しちゃうのは心情的になかなか許せないのでしょうね。

 また朴槿恵さんは、財閥系の企業などから資金を出させて、崔順実と娘が関わるスポーツ財団を作ってやったこともありました。この財団から朴槿恵さんにお金が流れたわけではありませんが、崔順実の懐にはずいぶん入っていた。

 他にもいろいろありますが、まあ韓国の国民が怒る理由もそれなりにあったと思います。

ただ私たちが注意しなくてはならないのは、ローソクデモを主導したのは左翼系の労働組合だったということです。民主労組や全教組という非常に過激な組織です。

韓国内でいまなお一定の支持を集める新左翼

田原 彼らは朴槿恵さんのどこが気に入らないんですか。とにかく保守はダメ、ということなんですか?

武藤 そうです。保守はダメなんです。

 日本では、学生を中心とした新左翼運動が活発だった時期がありましたが、どんどん過激化し、1972年には連合赤軍があさま山荘事件を起こします。その頃から学生運動も国民の支持を失い、どんどん衰退していきました。

 韓国は違いました。というのも大統領に朴正煕、全斗煥、盧泰愚といった軍人出身の人たちが就いてきた。そこに対抗する民主化勢力として左翼運動が、一定の国民的支持を集めてきたのです。

田原 今も国民に支持されているんですか。

武藤 まだ少しあります。

田原 彼らはなぜ軍人出身者に反発してきたんですか。

武藤 例えば朴正煕さんは、結構弾圧もしています。それから彼は、日韓国交正常化を強引に進めた人物と捉えられています。

田原 1965年に佐藤栄作さんとの間でやったものですね。

武藤 ええ。実態を言えば、アメリカのケネディ大統領から尻を叩かれてようやく本格化した国交正常化交渉でした。

すでにベトナム戦争の泥沼に突っ込んでいたアメリカは、もう韓国を面倒見る力がなくなってきたので、「早く日本と話を付けて、日本に協力してもらえ」ということで、遅々として進展しなった正常化交渉が加速化したのです。

 この時の交渉では、徴用工の問題について、日本から「個人補償しましょうか」と言っています。ところが、韓国政府は「ダメだ、その資金は元徴用工個人にではなく韓国政府によこせ」と要求しました。

そのお金を使って国の経済発展、インフラ開発をしようとしたのです。そのときに手本にしたのが、日本の明治維新ですよ。つまり富国強兵、殖産興業ですよ。

 北朝鮮と対峙するためにも、まず国力、経済力を付けようと考えた。その時の絶好の手本が日本の明治維新です。例えば、浦項総合製鉄(現ポスコ)なんかも日本の八幡製鉄の焼き直しと言ってもいい。

 それからこの時にインフラ開発にも熱心に取り組みました。ダムを作り、ソウルに地下鉄を作り、そしてソウル—釜山間の高速道路を作った。日本が歩んできた道を、日本からもらったカネでなぞったのです。

田原 その後の韓国は目覚ましい経済発展を見せましたよね。しかし1970年代の日本ではまだ韓国の経済力は正しく評価されていなかった。当時は「世界で最も素晴らしい国は北朝鮮で、韓国は地球の地獄だ」と、朝日新聞も読売新聞も書いていました。

 ところがそのころ僕は、野村證券の重役で、後に社長になる田淵節也さんに会ったら「田原さん、いま韓国は景気がいいんだ。よくなっているぞ、元気だぞ」って言うんですよ。「嘘だろう。独裁政治でどうしようもないじゃないか」と言ったら「嘘と思うなら行ってみろ」と。

 それで、1976年に韓国に行ってみたんですよ。そうしたら本当に景気がいいんですね。浦項も行きましたよ。帰国してすぐ『文藝春秋』に、「通貨マフィア戦争2 韓国――黒い癒着からの離陸(テイクオフ)」っていう記事を書いた。そうしたら、文藝春秋に抗議殺到ですよ。それだけじゃなく、僕に対する糾弾集会があちこちで開かれた。僕はそういうの嫌いじゃないから、全部出ていって話し合いましたけどね。

 で、一年半後には、僕が書いたことが明白になった。韓国の景気がさらに良くなって、日本も認めざるを得なくなったんです。

武藤 当時の韓国は、日本から得た資本を元手に輸出をどんどん伸ばしている頃ですね。

製品を作るにしても、部品・素材は日本から輸入。それをノックダウン方式で最終製品にして輸出していた。この方式で、ほんの1~2年のうちに輸出がボンボン伸びていました。それが好景気を作り出していたわけですね。

 浦項総合製鉄を作るプロジェクトは、元軍人の朴泰俊さんが、当時の朴正煕大統領から「とにかく製鉄所を作れ」と命じられて始まりました。

朴泰俊さんは、世銀に行ったりアジア開発銀行に行ったりして協力を頼んだのですが、みな「韓国にはまだそんなものは必要ない」と断られてしまった。

最後に、新日鉄の社長・稲山嘉寛さんのところに頼みに来た。稲山さんは「日本は韓国を併合したんだから、韓国が希望することなら何でも協力すべきだ」ということで非常に尽力されました。

小渕-金大中の組み合わせだから可能だった日韓の蜜月

田原 稲山さんは何度も取材しました。中国が宝山鋼鉄を作る時にも、稲山さんが全面協力したんですよね。

武藤 ええ。日本と韓国にはそういう関係があったわけです。ですから私は、韓国の要人に会うと、稲山さんの例を出して言うのです。

「戦後の日本の韓国に対する協力をよく考えてほしい。

植民地時代の記憶から、稲山さんは、たとえリスクがあろうと韓国に協力しなければならないと信じて、韓国に手を差し伸べてきた。日本はそれ以外にも、韓国と定期閣僚会議を開いて、韓国政府に多額の経済協力を提供してきた。

 日本が韓国を併合したという歴史があるので、そのことについて感謝してくれという気持ちはさらさらない。

 しかし、いまの韓国では、『日本は反省も謝罪もしていない』という世論が大勢を占めている。

これは両国の関係にとって望ましい姿ではない。

だけど、日本が戦後、韓国にどれだけの協力をしたのかを知れば、韓国の人々が持っている『日本が反省も謝罪もしていない』という気持ちは消えるんじゃないだろうか。

そうすれば、日韓はもっと素直な気持ちで付き合えるようになるんじゃないか。日韓関係を良好な状態にすることにメリットがあると思うんだったら、あなた方もぜひ日本がしてきたことを国民に伝えてくれ」

 2012年に自分が大使を離任する時には、あちらの国務総理や外相にも挨拶にいきましたが、「これが最後の機会だ」と思ったので、特に強調して訴えたんですが、みな例外なく、嫌そうな顔をするばかりでした。

田原 日韓関係がいい時期もありましたよね。例えば小渕恵三さんが総理の時に、「日韓は仲良くしなきゃだめだ」ということで、アプローチした。韓国でも金大中大統領が、「過去のことはここで終えて、新しい日韓関係作ろう」と言った。

あれで日韓関係はぐっと良くなると思いました。

武藤 あの時にそれができたということは、金大中氏が「日本が民主国家になった」と認めたということなんですよ

。それ以外の韓国の大統領は、日本が民主国家になったと認めていないんです。まだ「大国主義だ、右傾化だ」とか言っているわけです。

田原 金大中さんは、大統領になる前に、日本で韓国のKCIAに捕まって殺されかけましたね。

武藤 当時の朴正煕大統領を脅かす存在になっていた金大中氏は、日本滞在中に都内のホテルで拉致され、神戸港から船に乗せられ、韓国に向かっていた。

この時、殺されていても不思議ではなかったはずです。

金大中氏が言うには、簀巻きにされて海に放り出されそうになった時に、ヘリコプターが飛んで来て、船の上空を旋回した。これが威嚇になったので、拉致の実行犯は自分を放り出すのを止めてくれたと。

 このとき飛んできたのは自衛隊機だったとか海上保安庁のヘリだったとか言われています。

日本に感謝していた金大中氏

田原 実は、アメリカのヘリだったという説もありますね。

武藤 そうですね。私も日本のヘリではないんじゃないかと見ています。

私は外務省の北東アジア課長をしていたので過去の資料にも目を通していますが、金大中拉致事件で自衛隊や海上保安庁のヘリが出動したという記録を見た記憶はないです。

田原 僕はある筋から、「あれはアメリカだった」と聞いたことがあります。

武藤 ただ金大中氏は、この一件で日本に非常に感謝してくれていたのは事実です。彼は日本を嫌いじゃなかった。

 大統領になる前の彼は、ソウルの日本大使館に勤務していた私に対して「もし自分が大統領になったら、日本の文化を韓国の国内市場に開放する」と言っていました。

そんなことを口にするのは当時の韓国では絶対にタブーでした。ただ外交官である私なら、本音を言ってもあちこちで吹聴されることはないだろうということで打ち明けてくれたのだと思っていました。

 その後、彼に「ソウルにある日本商工会に来てスピーチをしてくれないか」と頼んだところ、快く来てくれたんですよ。そこでも彼は、「大統領になったら日本文化を開放する」って言ったんですね。

 これには驚きました。そんなことを多くの人がいる場で言ったら、あちこちに知れ渡る可能性がある。そうすれば彼の立場だって危うくなる。

ところが彼は全然平気な顔をしているんです。そして、大統領になった後、それを実際にやってのけたわけです。ものすごい勇気と信念を持った人でした。

 彼は、日韓関係の緊密化を自分の手でやるんだという信念を持っていた。そのときの相手が小渕総理でしょう。2人のケミストリーがぴったり合ったのでしょうね。

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 その後、金大中氏の次の大統領となった盧武鉉氏も、最初は日韓関係をうまくやりたいと思っていました。ただ、やっぱり当時の小泉総理の靖国参拝や、さまざまな日本の政治家の言動を見ているうちに次第に日本に反感を強めていった。それで日本に厳しい言動をするようになっていきました。

田原 盧武鉉さんお次の李明博さんには、彼がまだソウルの市長の時に会ったことがあります。彼もその時には、「日韓はこれから仲良くして、上手くやっていかなければ」と言っていました。

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武藤 彼のお兄さんは、李相得(イ・サンドゥク)さんという、議員連盟の韓国側の会長だった人なんです。そのお兄さんは、韓国の企業に、「これから世界で資源開発やインフラ開発するんだったら日本企業と協力しろ」と説いていた人なんです。日本企業と協力せずに資源開発をしている韓国に対して「なぜ日本と協力しないんだ」と詰め寄るくらいの人でした。もちろんそれは、李明博大統領の意を体するものだと思います。そうしたことで、李明博さんが大統領になった当初の日韓関係もすごくよかったんですよ。

田原 ところが彼は竹島に行きましたね。

武藤 私が韓国に大使として赴任した2010年8月というのは、李明博大統領の時期で、ちょうど日本が韓国を併合して100周年目にあたる月で、反日運動が活発化する恐れがある時だったんです。日本を発つ前には、「なぜこんなタイミングなんだ。こんな面倒事が起きそうなんだから、前任者が対処して、落ち着いてからの交代にしてくれればいいのに」と思っていた。だから、ソウルの空港に着いたら、現地の記者に質問攻めにさせるだろうと思って、あれこれ準備して向かったんですよ。案の定、空港に着いたら、結構な数の人が待っていたんですね。

 ところが私が近づいていっても誰もこちらに寄ってこようとしない。実は彼らは訪韓する日本のアイドルグループの「追っかけ」だったんです。私は全く相手にされませんでした。

 ただ、その時に思いました。「これで100周年は大丈夫だな」と。李明博さんの「日韓関係を良好にしていこう」という意欲の一端が、この場面から伺えたんです。

 ところが、この100周年の直後、日本の歴史教科書で竹島問題の扱いが強化されたわけです。

竹島問題でミスしたからこそ「竹島上陸」を断行

田原 李明博さんとしては、仲良くやっていこうと思っていたのに、急にバッサリやられた感じになったわけ?

武藤 実はその2年前の2008年、洞爺湖サミットで李明博さんは大統領として日本を初訪問しました。その時に福田総理と会って、「これから教科書を改訂して、竹島問題の扱いが大きくなりますよ」と伝えられているんです。私が漏れ聞いたところによると、福田総理のその話に李明博さんは「絶対にダメ」という言い方ではなく、「ちょっと待ってください」という感じの曖昧な反応だったそうなんです。

 その後、日本の教科書で竹島問題が大きく扱われることになると、李明博さんは国内でずいぶん反発食らったんです。だから彼の胸の中で、「竹島の問題で自分は失敗した」っていう気持ちがあったはずなんです。

田原 李明博さんの時代には、韓国の裁判所が「慰安婦問題の解決に向けて日本政府と交渉しないという韓国政府の行政不作為は憲法違反だ」という判決もありましたね。

武藤 あれには李明博さんも困っちゃったはずです。

田原 要は、「韓国政府は怠けている」と裁判所から言われちゃったわけですよね

武藤 そうです。それで李明博大統領は、2011年12月、京都で野田佳彦総理との首脳会談が行われたときに、野田総理に対して「慰安婦に対して優しい言葉をかけてくれ」ということをしきりに要求してきたのですが、野田総理はそれをはね付けた。

田原 へぇ、なんで野田さんは断ったんだろう?

武藤 野田さんは政治信条的には意外に「右寄り」ですから。

田原 そうですか。

武藤 この時、野田総理は李明博氏に対して「知恵を絞っていきたい」という言い方をした。これで李明博さんは怒ってしまったんです。「俺が『慰安婦に優しい言葉をかけてくれ』とあんなに頼んだに、なんだ」と。この一件に加えて、「自分は竹島の問題でミスしてしまった」という負い目もあったものから、翌年の8月、終戦記念日の直前、大統領として初めて竹島に上陸するという行動に出たわけです。

田原 李明博さん側から見れば、そういう前段階があったんですね。

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 『殺されても聞く 日本を震撼させた核心的質問30 』(田原総一朗著、朝日文庫)

武藤 あの時、お兄さんの李相得さんが李明博さんのそばにいたら止めてくれたと思いますが、当時、お兄さんはあっせん収賄の疑いで逮捕されていたんですね。

 実はあの時、「李明博大統領が竹島に行く」という噂が事前に流れていたんです。そこで私は「大統領が竹島に行ったら日韓関係が大変なことになる。絶対に止めさせてくれ」と、韓国の外務大臣とか青瓦台の首席秘書官にしつこく伝えていたんですよ。

 そうしたらある日、「明日行く」という話が伝わってきた。竹島上陸には同行記者団がいるので、その記者団募集の筋から漏れてきたんです。


ウォン安止まらず…1ドル1200ウォン目前

2019-05-22 17:20:01 | 日記

ウォン安止まらず…1ドル1200ウォン目前

5/20(月) 7:51配信    

    

中央日報日本語版

外国人を相手に商品を売る輸出業者やインバウンド(外国人の国内誘致)旅行業界は喜んでいる。逆に外国から物を買ってくる輸入業者や海外旅行・留学を準備中の人は悩みが深まった。

韓国ウォンが2017年1月以来2年4カ月ぶりの安値まで落ちたからだ。

ソウル外国為替市場で韓国ウォンは17日、1ドル=1195.7ウォンまで値下がりした。

「心理的マジノ線」と見なされる1ドル=1200ウォンに迫っている。

今週が峠だ。

先月末(1ドル=1168.2ウォン)と比較すると、今月に入って27.5ウォンもウォン安ドル高が進んだ。

注目すべき変数は米中貿易紛争、主要先進国と国内景気状況、外国人のセルコリア(韓国株売り)などだ。

米中貿易紛争が長期化して米ドルは値上がりし、中国人民元は値下がりしている。

中国当局が貿易紛争の衝撃を緩和するために人民元安を容認するという見方が出ている。

米中貿易紛争が破局に向かえば人民元はさらに落ち、ウォン安ドル高も進む可能性がある。

主要先進国の景気不振はグローバル投資家の「リスク資産回避、安全資産選好」現象をあおる。

ブルームバーグ通信によると、ユーロ・円など主要6通貨に対する米ドルの価値を表すドルインデックスは今年に入って1.

89%上昇した。国際金価格と日本円、米国債券なども同時に値上がりしている。

通常ドル高になれば外国人は韓国など新興国で株式投資比率を減らす。

ハナ金融投資によると、この1週間にグローバル株式型ファンドのうち新興国に投資する資金は16億6600万ドルも抜けた。

韓国株式市場で外国人は17日まで7日連続で売った。

この期間、外国人の株売り規模(KOSPI指数基準)は1兆7000億ウォンにのぼる。

国内景気指標の不振もウォン安要因に挙げられる。特に輸出は昨年12月から5カ月連続で減少(ドル基準)した。

先月は外国人が国内上場企業で得た配当金を海外に送金する季節的要因が重なった。

パク・ヤンス韓銀経済統計局長は最近の記者説明会で「4月の経常収支は小幅黒字または赤字となる可能性がある」と述べた。

経常収支が月間基準で赤字に転じる場合、2012年5月以来およそ7年ぶり。

政府はウォン安を眺める雰囲気だ。口先介入性の発言にも慎重だ。

洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相は15日、記者らに会い、「最近、対外的に変動性が大きく拡大したのは事実」とし「この部分について政府は慎重に観察して対応している」と述べた。

企画財政部の関係者は「副首相の発言は現在の状況についてコメントしたものであり、口先介入でない」と一線を画した。

ウォン安が進めばドル建て価格が安くなり輸出企業の競争力が高まるという点で、政府がウォン安を望んでいるという見方もある。

大信証券によると、4月の輸出額はドル基準では2%(前年同月比)減少したが、韓国ウォン基準では4.77%増加した。

金融情報会社エフエヌガイドによると、国内証券会社が予想した下半期平均の韓国ウォンは1ドル=1120ウォンだった。

韓国投資証券のパク・ジョンウ研究員は「ウォン安ドル高は1ドル=1200ウォンでピークになるとみている」とし「米中貿易紛争の衝撃が緩和すれば、また1ドル=1100-1150ウォン台で安定するだろう」と予想した。

 
 

ウォン安が止まらない韓国、日米との関係悪化で“助け舟”も絶望的!

2019-05-22 17:01:56 | 日記

ウォン安が止まらない韓国、日米との関係悪化で“助け舟”も絶望的!

2019-05-15 08:40:50 | 日記

4月25日に発表された、2019年第1四半期のGDPは前期比で0・3%減(速報値)だった。

ウォンはこの発表を受け急落した。ウォンはこれを期に、1ドル=1110~1140ウォン台のボックス相場を1年9カ月ぶりに離脱した。

1997年の韓国金融危機は米国との関係が悪化した結果、通貨危機に陥っても助けてもらえなかった。

今回もそれに準じる気配です。学習能力があるとは思えませんね。

いずれにしても、日本とも関係悪化し、経済と政治は別物と和解を日本に切り出しても、元徴用工裁判で日本企業の資産が売却されれば、関係修復は難しいでしょう。

ライバル中国、韓国経済の景気低迷は日本経済にとってマイナス面ばかりでは無いかも知れません。

以下抜粋コピー

 韓国ウォンが急落する。米中経済戦争がきっかけだ。

それに米国・日本との関係悪化が追い打ちをかける。韓国が通貨危機に陥っても、誰からも助けてもらえないと市場は見切ったのだ。

5月14日の韓国外為市場でウォンは前日比1・90ウォン安い1ドル=1189・40ウォンで引けた。

一時1190ウォン台に乗せるなど、前日(10・50ウォン安の1ドル=1187・50ウォン)の地合いを引き継いだ。

2年4カ月ぶりの安値水準で、韓国通貨当局の当面の防衛ラインと見なされる1ドル=1200ウォンに迫った。

 米中の関税引き上げ合戦で中国経済がますます悪化するとの懸念を反映した。

韓国は中国向けの輸出比率が25%前後と高いため、中国経済が減速すればもろに打撃を受ける。

すでに、2018年12月から輸出が前年同月比でマイナスに転じており、貿易黒字も急減した。5月13日発表の最新の通関統計(5月1~10日)では、輸出は前年同期比6・4%減の130億ドル。

中国向けが同16・2%減だったのが響いた。

品目別には輸出の20%を占めてきた半導体が同3・8%も減った。
 

半面、輸入は同7・2%増の152億ドル。10日間で22億ドルの貿易赤字を記録した。

1月1日から5月10日までの累計では110億ドルの黒字を確保したが、同40・4%の激減ぶりだ。

韓国は貿易赤字が発生するか、黒字でもその幅が急減した際に通貨危機に直面してきた。


韓国でウォン売り止まらず通貨危機に陥る懸念 日本に通貨スワップを要求か

2019-05-22 16:51:23 | 日記

韓国でウォン売り止まらず通貨危機に陥る懸念 日本に通貨スワップを要求か

 
2019年05月22日 10時50分 デイリー新潮

記事まとめ

 
  • 韓国でウォン安が止まらず、通貨危機に陥る懸念が高まっているという
  • 格付け会社のムーディーズが韓国の財政赤字に注目しているとの報道も
  • 2008年と2011年の危機時には日本や米国からドルを借りてしのいでいた
 

蟻地獄に堕ちた韓国経済、「日本と通貨スワップを結ぼう」と言い出したご都合主義

 

 

 韓国で「日本からドルを借りればいい」との声が上がる。ウォン安が止まらず、通貨危機に陥る懸念が高まったからだ。日本は今回も韓国を助けるのだろうか――。(鈴置高史/韓国観察者)

■5月の上・中旬の貿易は赤字

 5月21日の韓国外為市場は1ドル=1190ウォン台前半でもみ合い結局、前日比0・20ウォン高の1194・00ウォンで引けた。

 韓国通貨当局は防衛ラインを1ドル=1200ウォンに敷いていると見なされている。これを超えると、ウォン売りが雪崩を打ちかねないと市場は見ている。ウォンは今、「危険水域」を目前に、ふらつく毎日だ。

 5月20日に洪楠基(ホン・ナムギ)副首相兼企画財政部長官が「金融市場に行き過ぎた偏りがあれば適切な措置を通じ、市場の安定を維持していく」と口先介入したことがウォン売りを抑えた。

 半面、5月21日発表の5月上・中旬の通関統計はウォン売りの材料を提供した。5月1~20日の輸出は前年同期比11・7%減の257億2000万ドルと低迷したからだ。

 輸出の2割を占めてきた半導体が同33・0%減と不振だったことが響いた。仕向け地別でも、25%前後を担ってきた中国向けが15・9%減少したのが足を引っ張った。

 輸入は同0・1%減の276億6000万ドルで、貿易収支は19億6000万ドルの赤字だった。

 1月1日から5月20日まで累計の輸出は同7・5%減の2072億1000万ドル。一方、輸入は同3・9%減の1959億4000万ドル。貿易黒字は112億7000万ドルに留まっており、2018年1年間の700億ドルにはるかに及ばない。

 韓国は貿易赤字に陥ったり黒字が急減した際に、通貨危機を起してきた(デイリー新潮「韓国、輸出急減で通貨危機の足音 日米に見放されたらジ・エンド」参照)。

■財政赤字が新たな懸念に

 市場は財政赤字拡大も懸念材料として注目し始めた。5月16日に開かれた国家戦略会議で文在寅(ムン・ジェイン)大統領が洪楠基副首相に「(政府債務比率の上限)を40%とする根拠は何か」と聞き、その撤廃を命じたからだ。

 韓国の財政当局は伝統的に政府債務の比率を40%以下に抑えてきた。しかし今回の大統領の指示により、上限が破られることが確実になった。

 2020年4月の総選挙を控え、文在寅政権は全国で公共工事を大々的に実施する方針だ。予算が足りなければ国債を増発して補うことになる。

 財政赤字の拡大には警鐘が鳴らされていた。朝鮮日報のキム・ヨンジン経済部長は4月25日の「洪楠基副首相がせねばならぬこと」(韓国語版)で「格付け会社のムーディーズが韓国の財政赤字に注目している」と指摘した。

 韓国経済の原動力である輸出が急減したうえ、不動産価格も下がった。2019年2月の税収が前年同月比1兆3000億ウォン(1995億円)も減るなど、今後は歳入の減少が予想される。

「というのに、財源対策もなしにバラマキ予算を編成しようとしているからだ」とキム・ヨンジン部長は書いた。

 

■中南米型も併発

 韓国経済は四重苦だ。2017年以降、生産年齢人口の割合が下がるなど少子高齢化の弊害が現れた。総人口も2019年がピークと見られる。経済の規模自体が縮み始めたのだ(デイリー新潮「文在寅の“ピンボケ政策”で苦しむ韓国経済、米韓関係も破綻で着々と近づく破滅の日」参照)。

 そのうえ半導体価格の低迷と米中経済戦争の影響をもろに受け、輸出が大きく落ち込んで、貿易黒字も急減した(デイリー新潮「ウォン安が止まらない韓国、日米との関係悪化で“助け舟”も絶望的の自業自得」参照)。

 韓国経済の先行きに疑問を持った投資家はウォンと韓国株を売り始めた。大規模の資本逃避につながれば、外貨不足によるデフォルト(債務不履行)が発生しかねない。

 それを防ぐのが通貨スワップだが、韓国は米ドルを得られる2国間スワップ協定を結んでいない(図表「韓国のスワップ参照」)。

 2008年と2011年の危機時には日本や米国からドルを借りてしのいだ。しかし今、韓国は北朝鮮の核武装を露骨に幇助している。米国や日本が果たしてスワップを結びドルや円を貸すのか、市場は疑う(デイリー新潮「韓国『ウォン急落』で防衛ライン突破間近 文在寅が払わされる反米・反日のツケ」参照)。

 そんな三重苦に「財政赤字」という新たな病気が加わった。これまで韓国の通貨危機は民間部門のドル不足から起きた。それに加え、政府が借金を返せないとの懸念から発生する中南米型の危機にも韓国は直面したのである。

 ムーディーズの協議団は4月に訪韓、要人とのインタビューを通じ詳細に韓国経済を審査した。6月には審査を反映した新たな格付けを発表する見通しだ。

 

■ムーディーズの恐怖

 中央日報のコラムニスト、イ・チョルホ記者の「危機の韓国経済、韓日通貨スワップ復元など最後の安全弁を用意する時」(5月15日、日本語版)によると、協議団と会ったある韓国のエコノミストはこう語った。日本語を手直しし引用する。

● ムーディーズが格付けを下げする可能性は50%以下だろう。しかし今後の見通しを「安定的」から「弱含み」に変える可能性が高い。6カ月以内にマイナス要因が改善されなければ、格下げするという予告だ。

●世界の流れと正反対の政策は危険だ。先進国は「小さな政府」に向かうが、韓国だけが「大きな政府」だ。世界は「減税」に動くが、韓国だけが「増税」に固執している。

 イ・チョルホ記者は地の文で、こうも書いた。

●ムーディーズは現代自動車、サムスン電子、SKハイニックスの格付け見通しを「安定的」から「弱含み」に引き下げた。3月には投資不振と輸出悪化、最低賃金引き上げによる雇用委縮を理由に成長率予測値を2・1%に下方修正している。

 要は、韓国はムーディーズにこめかみに拳銃を突きつけられた、ということである。韓国の経済専門家がムーディーズの動きを不気味に感じるのは当然だ。

■IMF危機のデジャヴ

 1997年の通貨危機――韓国ではIMF(国際通貨基金)危機と呼ぶ――の際、ムーディーズは2カ月弱で6等級も韓国の格付けを引き下げた。格付けが下がるたびに資本逃避が起き、それが次の格下げを呼んだのだ。

 IMF通貨危機の背景には、米韓関係の悪化があった。金泳三(キム・ヨンサム)政権の反米に手を焼いた米国が、危機に瀕した韓国にドルを融通せず、日本に対しても「貸すな」と指示したのである(拙著『米韓同盟消滅』(新潮新書)第2章第4節「『韓国の裏切り』に警告し続けた米国」参照)。

 米・日に見捨てられた韓国は、IMFからドルを借りる代わりにその指導下に入る、という屈辱を味わった。そしてこの経験が韓国人の反米感情に油を注ぐことになった。

 ちなみに、米国のアジア専門家、グリーンCSIS上級副所長は2017年5月5日、中央日報に寄せた記事で、大統領選挙を戦う文在寅氏に対し、反米・反日政策をとるな、と警告した。

「盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏も大統領選挙の最中に米国を批判したら、当選後にムーディーズが格下げしたことを思い出せ」と、通貨危機を脅し材料に使ったのである(拙著『米韓同盟消滅』(新潮新書)第2章第4節「『韓国の裏切り』に警告し続けた米国」参照)。

 厳密に言えば、格下げではなく「安定的」から「弱含み」に変えただけなのだが、それでもIMF危機から6年しかたっていない当時の韓国にとって、大きな脅威となったのである。

■日本とのスワップが頼みの綱

 イ・チョルホ記者も今、IMF危機を思い出しているのだろう。「危機の韓国経済、韓日通貨スワップ復元など最後の安全弁を用意する時」で、日本と通貨スワップを結べ、と主張した。以下である。

《 まともな政府なら今ごろ、韓米通貨スワップは難しいとしても、韓日通貨スワップ程度は復元して最後の安全弁を用意しなければいけない。しかし危機意識がないというのがさらに大きな危機だ。》

 蟻地獄に堕ちた韓国経済。ずぶずぶと砂の底に沈んでいくのを食い止めるには、通貨スワップという綱を日本に結ばせるしかない、との判断だ。しかし、これだけ日韓関係が悪化しているのだ。日本はスワップに応じるのだろうか。

■食い逃げした李明博

 図表「通貨スワップを仇で返した韓国」を見れば一目瞭然だ。2008年2月に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権はリーマン・ショックや欧州金融市場の動揺による通貨危機が発生するたびに、日本にスワップ枠を拡大してもらい、あるいは期限を延長してもらって乗り切った。

 だが、2011年10月19日に自分の任期末までほぼカバーできる700億ドル の大型スワップに拡大してもらった後は、手のひらを返した。

 竹島に上陸したうえ、「日王は謝りに来い」と要求。問題を解決しようと野田佳彦首相が送った親書の受け取りまで拒否した。通貨スワップを「食い逃げ」したのである。

 次の朴槿恵(パク・クネ)大統領も「食い逃げ」作戦を敢行した。2016年8月27日、日韓財務対話で通貨スワップ再開に向け協議再開で合意。

 すると、12月30日に釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されても、朴槿恵政権は何の措置もとらなかった。ソウルの日本大使館前の慰安婦像も撤去されないままだった。

 明白な慰安婦合意の違反として日本政府が抗議したが、韓国政府は完全に無視。結局、日本政府は2017年1月6日にスワップ再開協議の中止などの対抗措置を宣言した。

■おだてに弱い日本の政治家と役人

 2度も騙された日本が今回も騙されるとは考えにくい。しかも文在寅政権は、慰安婦合意の事実上の破棄、日韓国交正常化協定を踏みにじる「徴用工」判決、日本の哨戒機に対する射撃管制レーダーの照射など、過去の政権に輪をかけた「卑日」を繰り返している。

 それなのに韓国では「日本にドルを持ってこさせればよい」との意見がいまだに語られる。イ・チョルホ記者だけではない。「日本の政治家や役人はおだてに弱い。最後はスワップに応じるはずだ」と語る日本通の韓国人がけっこういる。

 そういえば、スワップ協議再開を中断した直後の2017年1月11日、中央日報・日本語版に興味深い記事が載った。中央日報系のテレビ局JTBCのチョ・ミンクン経済産業部次長が書いた「韓国が厄介な隣国と生きていく姿勢」だ。要旨は以下だ。

●慰安婦像を口実に日本がスワップ再開協議を中断したのは偏狭な行為だ。「そんな日本と手を組むな」との批判も多い。だが、国際金融市場に暴風が予告されている今、すべての手段を動員し最大の防壁を築くべきである。

●韓国と日本の財務官僚は毎年、サッカーの親善試合を開く。両国関係が悪い時も、それは開かれた。親善試合とはいえ、激しい自尊心競争は他の韓日国家対抗戦に劣らない。

●昨年の最大の功労者は試合前日の酒宴で「論介(ロンゲ)戦術」を駆使し、日本のエース級選手に大酒を飲ませた幹部だった。

●初日の試合では「1-0」で韓国が勝った。翌日の試合で韓国は補欠級の選手を出し「0-1」で日本に勝ちを譲った。厄介な隣国と生きて行くとはこういうことだ。

■キーセン作戦が奏功

 サッカーで1勝を譲って日本の財務官僚をおだててやれば、通貨スワップだって引き出せる、と韓国の財務官僚は記者に誇ったのだ。なお、この記事には韓国人にしか分からないであろう暗喩もある。「論介戦術」である。

「論介」とは妓生(キーセン)の名前だ。文禄・慶長の役の際、宴席でかしづくフリをしながら日本の武将に抱きつき、ともに川に落ちたとされる。

 この記事を読んだ韓国人読者の多くが「キーセン・パーティをしてやれば、日本の役人など言うことを聞く」と思ったことであろう。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ) 韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95~96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年5月21日 掲載


ウォン安進行、韓国経済の体力を過信するな

2019-05-22 16:39:55 | 日記
ウォンの対ドル相場が短期間に下落し、1ドル=1200ウォンが目前に迫った。
 
2年4カ月ぶりのウォン安水準だ。20日には経済副首相が「金融市場に行き過ぎた偏りがあれば、適切な措置を通じ、市場の安定を維持していく」
と口先介入し、ウォン相場は前日比1.5ウォンのウォン高となる
 
1194.20ウォンで取引を終えた。
 
しかし、米中対立が続き、輸出と企業業績が低迷する中、
為替相場が早期に安定するのは難しいとみられている。
 

 ウォンの価値は1カ月で2.9%も下落した。

主要新興国10通貨で韓国よりも通貨価値が下落したのは

トルコとアルゼンチンぐらいだ。

ウォン安による為替差損を懸念した外国人投資家が8営業日連続で韓国株を売り、

1兆7258億ウォン(約1600億円、約14億USドル)を売り越した結果、

韓国総合株価指数(KOSPI)は7%近く下落した。

 

 為替相場はさまざまな要素で変動するので、過敏な反応を示す必要はない。

問題は為替相場そのものではなく、為替相場に反映される国の経済体力だ。

韓国は米中貿易戦争の影響で大きな影響を受けることが避けられない。

また、生産、投資、輸出、雇用など主な経済指標に赤信号がともっている。

1-3月期がマイナス成長となり、輸出が6カ月連続減少し、

韓国の上場企業の1-3月の営業利益は前年同期を37%も下回った。

 

 
米国の成長率統計方式である年率で換算するとマイナス1.2%だ。

 

それが株価と為替相場に反映されているのだ。

韓国が世界的な金融危機の際、一時的なウォン安から

すぐに安定を取り戻したのは経済体力と財政の健全性のおかげだった。

韓国のような中規模開放経済の司令塔は常に緊張感を持ち、

世界経済と金融市場を観察し、マクロ経済と財政を安定的に運営しなければならない。

今それができているだろうか。

 

 

韓国の法人税、世界の流れに反し負担増検討

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/21/2019052180004.html

金智燮(キム・ジソプ)記者

 

 米国をはじめとする主要国は景気てこ入れのために法人税を引き下げているが、

韓国与党は法人税の最高税率の適用範囲拡大を検討している。

与党は2017年に法人税の最高税率を22%から25%に引き上げたが、

さらに法人税収を増やす方策を探っている格好だ。

最低賃金引き上げと労働時間の上限を週52時間とする制度の導入で

人件費負担が大幅に増えた企業は法人税の負担増も強いられることになる。

それによって、企業投資の落ち込みや雇用低迷が加速することに

懸念の声が上がっている。

 

 韓国経済研究院の推定によると、今年の法人税収は約73兆5000億ウォン

(約6兆7700億円、約615億USドル)と推定される。

法人税収が初めて付加価値税を上回った昨

年(70兆9000億ウォン,約6兆5,326億円,約593億USドル)よりも

3.7%増える見通しだ。

 

2017年の法人税収が国内総生産(GDP)に占める割合は3.8%で、

経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国で7番目に高い水準となっている。

昨年現在でも韓国の法人税の最高税率(25%)はOECD加盟国で

フランス(33.3%)、オーストラリア、メキシコ(30%)などに次ぎ、7番目に高い。

 

 最近5年間(2014-18年)にOECD加盟国のうち

米国、英国、日本など14カ国は景気浮揚のために法人税を引き下げた。

同じ期間にOECD加盟国で法人税を引き上げたのは

韓国、ギリシャ、トルコなど6カ国にとどまった。

 

韓国租税財政研究院によると、韓国を除くOECD加盟国では

最近10年間(2007-17年)に平均法人税率が24.85%から22.34%に低下した。

 韓国経済研究院が昨年、

韓国株式市場の有価証券市場(メーンボードに相当)に上場する

670社を分析した結果、税引き前利益は2%増にとどまったが、

法人税負担は20.6%も増えた。

増益率よりも税負担の伸びは10倍に達した格好だ。

 

一方、法人税の最高税率を35%から21%へと大幅に引き下げた

米国は企業投資と雇用が増え、今年1-3月期の成長率が前期比0.8%

(年率換算で3.2%)を記録した。

韓国のマイナス0.3%とは対照的だ。

ソウル市立大の崔元碩(チェ・ウォンソク)教授は

「主要国が法人税を引き下げ、自国企業の競争力を高めようとする中、

法人税の引き上げは景気低迷の悪循環を起こしかねない」

と指摘した。