韓国を蝕む「反日民族主義」という病 日本が真の友好国になるのは100年後……
6/8(月) 5:58配信
デイリー新潮
《韓国は「反日民族主義」の国家である。
「反日民族主義」を批判する李栄薫(イヨンフン)元ソウル大教授の『反日種族主義』が出版され、日韓でベストセラーになった。
日本では「韓国民も反日の間違いに気づいた」と期待が高まった。現実は、やや違うようだ。
韓国社会で「反日民族主義」が批判されているわけではない。
韓国で本を買った読者の多くは「反日はやり過ぎ」だと思うだろうが、残りの人々は李教授の主張に反対するために買ったのだ》
***
引用したのは、5月下旬に刊行された『日韓朝「虚言と幻想の帝国」の解放――戦後75年の朝鮮半島』(秀和システム)の一節。
著者は元毎日新聞の論説委員で、東京通信大学の重村智計教授(74)だ。
重村教授が文中で指摘した通り、昨年11月に『反日種族主義――日韓危機の根源』(李栄薫・編著:文藝春秋)が出版。日韓両国で大きな反響を呼んだ。
一方、「反日民族主義」は、重村教授の概念だ。日韓の戦後史を凝縮させた言葉といっても過言ではない。ご本人に話を訊いた。
「太平洋戦争は1945年に終戦を迎えました。
日本は敗戦国となり、韓国は“植民地支配”を脱しました。
こうして両国の戦後史が始まりますが、どちらの国民も相手の歴史に対して無関心で、これは今でも続いています。
日本国憲法に9条が制定された経緯や背景、日本人が過去の植民地支配を反省していることを、韓国人は知りません。
日本人も、どのような歴史的推移で韓国に反日思想が広まっていったか、同じように知りません」
互いの実情を何も知らず、互いの悪口を一方的に言いあう――これは悲劇だが、同時に喜劇であることも論を俟たない。
韓国人が日本社会について無関心である理由の1つが、「反日民族主義」だという。かの国の宿痾と言っていいだろう。
「反日民族主義が韓国ではびこった背景として、学者や識者の発言や行動が制限された社会だったことが挙げられるでしょう。
日韓の現代史を研究するためには、日本で学ぶ必要があるのは言うまでもありません。
ところが韓国では、日本で学んだ学者は親日派のレッテルを貼られ、下手をすると弾圧の対象となります。
そのため日本滞在時は親日的な発言を行い、帰国すると途端に反日的な発言に切り替える学者もいます」(同・重村教授)
重村氏の著作には、ソウル大学が日本史の専門家を育成しようとしたエピソードが紹介されている。
研究者の卵を日本の大学ではなく、アメリカのハーバード大学に留学させたのだ。
確かにハーバード大は、世界トップクラスの高等教育機関だろう。
とはいえ、日本史の研究が世界で一番盛んであり、研究成果のレベルが高いのは、日本の大学であるのは言うまでもない。
そんなことはソウル大学も知っている。彼らがひたすら恐れたのは、自分たちが育てた専門家が、「親日派」と韓国社会から非難されることだった。
「韓国に滞在していると、
『朝鮮半島が南北に分断されたままとなっているのは、日本の植民地支配が原因だ』と批判する人がいます。
普通の日本人なら黙るしかありません。私たちが沈黙することが、韓国人にはある種の快感なのです」(同)
「反日」
『日韓朝「虚言と幻想の帝国」の解放――戦後75年の朝鮮半島』(秀和システム)
重村教授は今回の著作で興味深い事実を指摘している。韓国社会で国民統合の象徴となっている「反日民族主義」は、北朝鮮には全く存在しないというのだ。
「実情はともあれ、北朝鮮は第二次大戦中に抗日パルチザン運動を展開し、日本帝国主義に勝利したことになっています。
日本の左翼知識人が北朝鮮を訪問し、面会した幹部に戦争責任を謝罪すると、『我々は日本帝国主義と戦ったのであって、日本人と戦ったわけではない』と言われることは、珍しいことではありませんでした」(同)
田中角栄(1918~1993)と日中共同声明に調印したことでも知られる周恩来(1898~1976)も似たような発言を残しているのは興味深い。
「ところが韓国の場合、彼らにとっての“解放”は突然、日本の敗戦でもたらされました。
中国の毛沢東(1893~1976)や、インドのマハトマ・ガンジー(1869~1948)、ジャワハルラール・ネルー(1889~1964)といった、独立を勝ち取った英雄もいません。
そのため韓国は、自分たちに国家のアイデンティティーが存在しないことに悩みました。
それを一気に解決してくれるのが『反日』だったのです」(同)
独立間もない韓国では、植民地教育のため、平仮名や漢字は書けても、ハングルは書けない大人もいたという。
ところが戦後世代が成長するにつれ、「ハングルが書けない戦前世代」は若者から攻撃の対象となってしまう。
慌てた戦前世代は、ことさらに「日本が悪い」と弁解することで、戦後世代と融和を果たそうとした――万事がこんな調子だったのだ。
「朝鮮戦争は1953年に休戦協定が結ばれ、その後の韓国社会は『反日』と『反共』が2つの大きな柱となります。
70年代から80年代にかけて大統領を務めた朴正熙(1917~1979)や全斗煥(89)といった“軍事政権”は、反日より反共を優先し、日韓の対立は、さほど目立たない時期が続きました」(同)
だが、次第に韓国でも“民主化”が進む。1997年には左派の金大中(1925~2009)が大統領選で当選。北朝鮮に対して融和政策を採り、2000年には金正日(1941~2011)との南北首脳会談が実現した。
「この時、半島統一が現実のものとなりつつある、と多くの韓国人が思いました。
そうなると統一国家のアイデンティティーが必要になります。
北朝鮮と韓国が同じ国になるのであれば、『反共』を掲げるわけにはいきません。
そこで『反日がいいだろう。反日なら北朝鮮も賛成してくれるはずだ』と韓国社会は考えたのです」(同)
だが北朝鮮は「反日民族主義」を必要としていなかった。
これは前に見た通りだ。彼らは自分たちを戦勝国と見なしており、金日成(1912~1994)は“抗日の英雄”とされた。
何より北朝鮮にとって重要なのは「反日民族主義」ではなく、「金日成民族主義」なのだ。
韓国における「反日民族主義」の誕生と現状を追ってきたが、「それほどまでに民族主義が必要なのか」と首を傾げた方もおられるだろう。
重村教授はここで、アメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1936~2015)が83年に上梓した『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(白石隆、白石さや・訳:書籍工房早山)を紹介する。
「アンダーソンは東南アジアの専門家でした。彼は、西欧を中心とする従来のナショナリズム研究では、東南アジアの政治史を読み解けないことに気づきます。
そして独自の研究を重ねるうちに、アジア各国は旧来の王朝から近代の国民国家に発展する際、国民が一体化する民族主義を“想像”する必要に迫られたことを明らかにしました」
李氏朝鮮は1392年に成立したが、日本では室町時代にあたる。
そして1894年の日清戦争で下関条約が結ばれ、韓国の王朝は1897年に、一応、終焉を迎える。
その後、1904年には第一次日韓協約が結ばれ、1910年に日韓併合が行われる。韓国は王朝の“滅亡”を経験すると、間髪を入れず、植民地として支配されてしまう。
あと何年、反日民族主義は続くのか?
つまり韓国におけるナショナリズムの涵養(かんよう)は、日本から“独立”した1945年から始まったのだ。明治維新以来の歴史を持つ日本とは、あまりに異なる。
「加えて韓国には、国民の分断を招く対立軸が無数にあります。“ヘル朝鮮”という流行語が象徴する貧富の差。
世代間格差も根強く、右派と左派の対立は深刻です。
国自体も北朝鮮と対峙し、半島は分断されています。
ところが、少なくとも韓国社会では、『反日』という概念を掲げれば国民が団結することができるのです」(同)
重村教授は、韓国社会が反日を錦の御旗、水戸黄門の印籠としてしまったのは、日本人の責任も大きいと指摘する。
韓国側が反日という概念で日本を批判すると、沈黙してきたことは先に触れた通りだ。
「居酒屋で庶民が議論しているのなら、沈黙せざるを得ないこともあるでしょう。
しかし、日本の政治家や学者も反論に及び腰で、韓国の過ちをただしませんでした。
その結果、韓国の反日感情は歴史的な事実関係を無視するようになり、歪(いびつ)に膨張していったと思います。
今や韓国では『日本は憲法9条を改正し、再び韓国に戦争を仕掛ける』という言説が信じられています。
韓国の行きすぎた反日概念に日本人が怒るのは当然ですが、嫌韓や侮韓というレイシズムに賛同してしまう人々もいます。日韓共に極端な思想が大手を振る問題点に直面しているのです」(同)
重村教授によると、誕生した国民国家が狭隘(きょうあい)なナショナリズムを脱却するのに必要な時間は100年単位だという。
王政復古の大号令は1868年。これに100年を足すと1968年。元号では昭和43年となる。
首相は佐藤栄作(1901~1975)。日本は高度成長の真っ只中で、川端康成(1899~1972)がノーベル文学賞を受賞した年でもあった。
週刊新潮WEB取材班
2020年6月8日 掲載
6/8(月) 5:58配信
デイリー新潮
《韓国は「反日民族主義」の国家である。
「反日民族主義」を批判する李栄薫(イヨンフン)元ソウル大教授の『反日種族主義』が出版され、日韓でベストセラーになった。
日本では「韓国民も反日の間違いに気づいた」と期待が高まった。現実は、やや違うようだ。
韓国社会で「反日民族主義」が批判されているわけではない。
韓国で本を買った読者の多くは「反日はやり過ぎ」だと思うだろうが、残りの人々は李教授の主張に反対するために買ったのだ》
***
引用したのは、5月下旬に刊行された『日韓朝「虚言と幻想の帝国」の解放――戦後75年の朝鮮半島』(秀和システム)の一節。
著者は元毎日新聞の論説委員で、東京通信大学の重村智計教授(74)だ。
重村教授が文中で指摘した通り、昨年11月に『反日種族主義――日韓危機の根源』(李栄薫・編著:文藝春秋)が出版。日韓両国で大きな反響を呼んだ。
一方、「反日民族主義」は、重村教授の概念だ。日韓の戦後史を凝縮させた言葉といっても過言ではない。ご本人に話を訊いた。
「太平洋戦争は1945年に終戦を迎えました。
日本は敗戦国となり、韓国は“植民地支配”を脱しました。
こうして両国の戦後史が始まりますが、どちらの国民も相手の歴史に対して無関心で、これは今でも続いています。
日本国憲法に9条が制定された経緯や背景、日本人が過去の植民地支配を反省していることを、韓国人は知りません。
日本人も、どのような歴史的推移で韓国に反日思想が広まっていったか、同じように知りません」
互いの実情を何も知らず、互いの悪口を一方的に言いあう――これは悲劇だが、同時に喜劇であることも論を俟たない。
韓国人が日本社会について無関心である理由の1つが、「反日民族主義」だという。かの国の宿痾と言っていいだろう。
「反日民族主義が韓国ではびこった背景として、学者や識者の発言や行動が制限された社会だったことが挙げられるでしょう。
日韓の現代史を研究するためには、日本で学ぶ必要があるのは言うまでもありません。
ところが韓国では、日本で学んだ学者は親日派のレッテルを貼られ、下手をすると弾圧の対象となります。
そのため日本滞在時は親日的な発言を行い、帰国すると途端に反日的な発言に切り替える学者もいます」(同・重村教授)
重村氏の著作には、ソウル大学が日本史の専門家を育成しようとしたエピソードが紹介されている。
研究者の卵を日本の大学ではなく、アメリカのハーバード大学に留学させたのだ。
確かにハーバード大は、世界トップクラスの高等教育機関だろう。
とはいえ、日本史の研究が世界で一番盛んであり、研究成果のレベルが高いのは、日本の大学であるのは言うまでもない。
そんなことはソウル大学も知っている。彼らがひたすら恐れたのは、自分たちが育てた専門家が、「親日派」と韓国社会から非難されることだった。
「韓国に滞在していると、
『朝鮮半島が南北に分断されたままとなっているのは、日本の植民地支配が原因だ』と批判する人がいます。
普通の日本人なら黙るしかありません。私たちが沈黙することが、韓国人にはある種の快感なのです」(同)
「反日」
『日韓朝「虚言と幻想の帝国」の解放――戦後75年の朝鮮半島』(秀和システム)
重村教授は今回の著作で興味深い事実を指摘している。韓国社会で国民統合の象徴となっている「反日民族主義」は、北朝鮮には全く存在しないというのだ。
「実情はともあれ、北朝鮮は第二次大戦中に抗日パルチザン運動を展開し、日本帝国主義に勝利したことになっています。
日本の左翼知識人が北朝鮮を訪問し、面会した幹部に戦争責任を謝罪すると、『我々は日本帝国主義と戦ったのであって、日本人と戦ったわけではない』と言われることは、珍しいことではありませんでした」(同)
田中角栄(1918~1993)と日中共同声明に調印したことでも知られる周恩来(1898~1976)も似たような発言を残しているのは興味深い。
「ところが韓国の場合、彼らにとっての“解放”は突然、日本の敗戦でもたらされました。
中国の毛沢東(1893~1976)や、インドのマハトマ・ガンジー(1869~1948)、ジャワハルラール・ネルー(1889~1964)といった、独立を勝ち取った英雄もいません。
そのため韓国は、自分たちに国家のアイデンティティーが存在しないことに悩みました。
それを一気に解決してくれるのが『反日』だったのです」(同)
独立間もない韓国では、植民地教育のため、平仮名や漢字は書けても、ハングルは書けない大人もいたという。
ところが戦後世代が成長するにつれ、「ハングルが書けない戦前世代」は若者から攻撃の対象となってしまう。
慌てた戦前世代は、ことさらに「日本が悪い」と弁解することで、戦後世代と融和を果たそうとした――万事がこんな調子だったのだ。
「朝鮮戦争は1953年に休戦協定が結ばれ、その後の韓国社会は『反日』と『反共』が2つの大きな柱となります。
70年代から80年代にかけて大統領を務めた朴正熙(1917~1979)や全斗煥(89)といった“軍事政権”は、反日より反共を優先し、日韓の対立は、さほど目立たない時期が続きました」(同)
だが、次第に韓国でも“民主化”が進む。1997年には左派の金大中(1925~2009)が大統領選で当選。北朝鮮に対して融和政策を採り、2000年には金正日(1941~2011)との南北首脳会談が実現した。
「この時、半島統一が現実のものとなりつつある、と多くの韓国人が思いました。
そうなると統一国家のアイデンティティーが必要になります。
北朝鮮と韓国が同じ国になるのであれば、『反共』を掲げるわけにはいきません。
そこで『反日がいいだろう。反日なら北朝鮮も賛成してくれるはずだ』と韓国社会は考えたのです」(同)
だが北朝鮮は「反日民族主義」を必要としていなかった。
これは前に見た通りだ。彼らは自分たちを戦勝国と見なしており、金日成(1912~1994)は“抗日の英雄”とされた。
何より北朝鮮にとって重要なのは「反日民族主義」ではなく、「金日成民族主義」なのだ。
韓国における「反日民族主義」の誕生と現状を追ってきたが、「それほどまでに民族主義が必要なのか」と首を傾げた方もおられるだろう。
重村教授はここで、アメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1936~2015)が83年に上梓した『定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(白石隆、白石さや・訳:書籍工房早山)を紹介する。
「アンダーソンは東南アジアの専門家でした。彼は、西欧を中心とする従来のナショナリズム研究では、東南アジアの政治史を読み解けないことに気づきます。
そして独自の研究を重ねるうちに、アジア各国は旧来の王朝から近代の国民国家に発展する際、国民が一体化する民族主義を“想像”する必要に迫られたことを明らかにしました」
李氏朝鮮は1392年に成立したが、日本では室町時代にあたる。
そして1894年の日清戦争で下関条約が結ばれ、韓国の王朝は1897年に、一応、終焉を迎える。
その後、1904年には第一次日韓協約が結ばれ、1910年に日韓併合が行われる。韓国は王朝の“滅亡”を経験すると、間髪を入れず、植民地として支配されてしまう。
あと何年、反日民族主義は続くのか?
つまり韓国におけるナショナリズムの涵養(かんよう)は、日本から“独立”した1945年から始まったのだ。明治維新以来の歴史を持つ日本とは、あまりに異なる。
「加えて韓国には、国民の分断を招く対立軸が無数にあります。“ヘル朝鮮”という流行語が象徴する貧富の差。
世代間格差も根強く、右派と左派の対立は深刻です。
国自体も北朝鮮と対峙し、半島は分断されています。
ところが、少なくとも韓国社会では、『反日』という概念を掲げれば国民が団結することができるのです」(同)
重村教授は、韓国社会が反日を錦の御旗、水戸黄門の印籠としてしまったのは、日本人の責任も大きいと指摘する。
韓国側が反日という概念で日本を批判すると、沈黙してきたことは先に触れた通りだ。
「居酒屋で庶民が議論しているのなら、沈黙せざるを得ないこともあるでしょう。
しかし、日本の政治家や学者も反論に及び腰で、韓国の過ちをただしませんでした。
その結果、韓国の反日感情は歴史的な事実関係を無視するようになり、歪(いびつ)に膨張していったと思います。
今や韓国では『日本は憲法9条を改正し、再び韓国に戦争を仕掛ける』という言説が信じられています。
韓国の行きすぎた反日概念に日本人が怒るのは当然ですが、嫌韓や侮韓というレイシズムに賛同してしまう人々もいます。日韓共に極端な思想が大手を振る問題点に直面しているのです」(同)
重村教授によると、誕生した国民国家が狭隘(きょうあい)なナショナリズムを脱却するのに必要な時間は100年単位だという。
王政復古の大号令は1868年。これに100年を足すと1968年。元号では昭和43年となる。
首相は佐藤栄作(1901~1975)。日本は高度成長の真っ只中で、川端康成(1899~1972)がノーベル文学賞を受賞した年でもあった。
週刊新潮WEB取材班
2020年6月8日 掲載