(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)
現時点では、まだトランプ大統領が米大統領選での敗北を認めていないが、バイデン氏が次の大統領になる可能性が高くなった。
大統領が替われば、米国の東アジア戦略も大きく転換するだろう。
「バイデン大統領」は日韓関係改善を求める可能性大
バイデン氏が米大統領となれば、北朝鮮の核・ミサイル開発や人権蹂躙、中国の海洋進出・技術覇権主義・人権問題などへの対応にあたり、日米韓の連携および日米豪印のクアッドに韓国も加えた協力を強化するため、その前提として史上最悪と言われる日韓関係の打開を求め、仲介に乗り出すことが予想される。
トランプ大統領は、国際政治でのリーダーシップを放棄したため、世界には「力の空白」ができた。
そこに入り込んできたのが中国だった。また、トランプ氏は金正恩氏の意図を読み切らずに首脳会談を行い、北朝鮮への非核化圧力を弱めてしまった。
バイデン氏はこのような状況が決して米国の利益にならないと考えている。
他の民主主義国とともに、中国・ロシア・北朝鮮などに対抗して国際政治秩序を回復しなければならず、そのためにも日米韓の協力は中核的な役割を担うべきと考えているはずである。
韓国は現在、「バイデン時代」の東アジア戦略を必死に探ろうとしている。
韓国主要メディアは、副大統領時代のバイデン氏の日韓への対応、大統領選挙運動中の言動、バイデン氏に近い外交アドバイザーと言われる人々の考え方について分析を進めているが、
そこで明らかになってきたのは、米国が日韓関係の改善を求めてくるということだ。
その場合には、韓国の対応ばかりでなく日本の対応にも少なからぬ影響を及ぼしかねない。
バイデン氏の出方、今後の展望、日本としてこれにいかに対応すべきか考えてみたい。
歴史問題でバイデンは韓国を支持するのか
野党「国民の力」の趙太庸(チョ・テヨン)議員は、バイデン氏が副大統領だった当時、現在バイデン陣営の外交・安保参謀で、次期国務長官との声が出ているトニー・ブリンケン氏のカウンターパートだった。
もともと外交部で米国通と言われ、外交部第一次官や国家安保室の第一次長を歴任した趙氏は、野党とはいえ今後の韓米外交での影響力を高める可能性がある。
その趙氏が、韓国メディアのインタビューに応じ、バイデン氏の外交路線についての分析を披露している。
それによれば、「米国の利益を最優先にするトランプ大統領とは違い、
バイデン氏の基本的な外交路線は『同盟の価値』と『多者外交』」であり、「それによって対中牽制を行うことであり、北東アジア安保では韓日米軍事同盟に重心を置く可能性が非常に高い」という。
さらに趙氏は、「米国は韓国と日本の葛藤が韓日米軍事協力を弱体化させると見ている」、
「特にGSOMIA問題を対日交渉のカードとするのは対米外交で悪手を打つものだ」、
「バイデン政権が韓日の葛藤の仲介者として本格的に出てくる可能性も排除できない」と指摘。
その際の米国の立ち位置については、
「バイデン氏と民主党は少なくとも、過去の問題と慰安婦問題では心情的に明確に韓国寄り」とし、
「日本よりも先に米国に我々(韓国)の立場を説明し、韓日関係の悪化を自制する必要がある」として、米国が韓国に味方するとの希望的観測を述べている。
バイデン氏の外交路線についての分析には頷ける部分が多いが、バイデン氏と民主党が「韓国寄り」という観測はどうだろう。
日韓外交に携わってきた筆者のこれまでの経験を踏まえて言わせてもらえば、
確かに米国は歴史問題において韓国の立場に理解を示したことが多かったが、
それは総理の靖国神社参拝の問題と慰安婦問題であり、前者については日本に「自制してほしい」との気持ちがあり、
慰安婦の問題についてはその境遇に同情があったためであろう。
しかし、現在の歴史問題における主要な争点となっているのは徴用工問題である。
この問題で国際法違反を放置している韓国にバイデン氏が理解を示すかどうかは別問題であろう。
米韓同盟「軽視」してきた韓国
しかも文在寅政権は北朝鮮や中国に過度に肩入れし、米韓同盟にも日米韓協力にも積極的でない。
7年前に副大統領として訪韓したバイデン氏は、
「安保は米国、経済は中国」とばかりに米中対立のはざまで中立的な姿勢をとる“同盟国”の朴槿恵(パク・クネ)大統領に対し、
「米国に対抗する側に賭けるな」と述べて、米韓同盟により忠実になるよう韓国に促している。
バイデン政権が誕生した後には、その圧力はより強まると見るべきだろう。
トランプ政権下の米国と韓国との関係は、トランプ氏の「米国優先主義」と文政権の「北朝鮮への執着」、「米中対立の中での中立姿勢」とが折り重なり、不協和音が絶えなかった。
先日行われた米韓安保協議会でも、両国は米韓同盟の根幹である戦時作戦統制権や北朝鮮への核廃棄問題への認識で対立し、共同声明から「在韓米軍の現在の水準を維持する」という文言が外された。
そればかりか、米韓合同軍事演習もまともにできない状況が3年続いている。
そのような中で、北朝鮮の脅威を極小化し、
米中対立について中立的な姿勢を貫きながら、
それでも米国に支持してもらえると文在寅政権が考えているとしたら、あまりにも楽観的と言わざるを得ないだろう。
しかも日韓関係が最悪の状況になった背景には、日米との協力関係を軽視する文在寅政権の姿勢がある。
「バイデン政権誕生で日本より韓国が有利」は間違い
「バイデン氏と民主党は日本よりも韓国寄り」と分析した前出の趙太庸議員と同じ外交部出身で、朝鮮半島平和交渉本部長などを歴任した魏聖洛(ウィ・ソンラク)元駐ロシア大使は、バイデン氏の過去の発言から趙氏とは違う見方を韓国「中央日報」の識者座談会で披露している。
「韓国のほうが有利なように一部メディアが報道しているが、これは大きな間違いだ。今回の大統領選挙でバイデン氏がトランプ氏を攻撃するときも『韓日関係を放置した』と言って攻撃した。バイデン氏は今後は放置せずに介入すると考えられるが、おそらくわれわれ韓国を圧迫するだろう。われわれが先に徴用問題に対して解決法を出して先制的に解決していくことが技術的・戦略的によい」
日米間の外交を見つめて来た人間にとっては、こちらのほうがしっくりくる見方ではないだろうか。
さらに非常に興味深いのは、文在寅大統領に近い「ハンギョレ新聞」までが、こうした見方を示し始めていることだ。
「バイデン次期大統領が韓日の歴史問題や慰安婦問題などの人権をめぐる懸案について深く理解しているのは事実だが、現在進行中の“徴用工”(原文では「強制動員被害者」)に対する賠償問題について、韓国を支持するかどうかは明らかではない。
バイデン次期大統領にとって重要なのは、韓国と日本のどちらが正しいかではなく、結局は『米国の国益』だからだ」
韓国内でも、バイデン政権誕生により歴史問題でも外交・安保問題でも厳しい局面に立たされるという認識が広がりつつあるのかもしれない。
もちろん米国は、日韓を仲介するにあたって、日本や韓国との関係から総合的に判断するだろう。
しかし日本としても、米国が日韓の歴史問題について、必ずしも日本に好意的な見方ばかりしているわけではないと自覚してかかることが重要であろう。
安倍総理に「靖国参拝すべきでない」と言ったバイデン氏、それでも参拝した安倍総理
バイデン氏が歴史問題にいかに向き合ったかは、安倍総理と靖国参拝をめぐる2013年12月12日のやり取りがある。ハンギョレ新聞の報道から、その動きを追ってみたい。
当時の日韓関係は慰安婦を巡る対立で首脳会談も開かれない状態が続いていた。
当時、副大統領だったバイデン氏に「安倍総理が靖国に参拝する」との情報が伝わると、バイデン氏は即座に安倍総理に電話し、「靖国を参拝してはならない」と求めた。
これに安倍総理は「行くかどうかはわたくしが判断する」と答えた。
この電話の数日前、日中韓のアジア3カ国を歴訪したバイデン氏は、安倍総理との会談で、日韓の歴史問題に対する日本の前向きな立場を確認し、その後に会った朴槿恵大統領にも、「だから韓国も譲歩するように」と求めていた。だからこそ、この良い雰囲気を壊しかねない総理の靖国参拝を懸念したのだ。
しかし、バイデン氏との電話会談で安倍総理は「参拝しない」とは約束せず、「自分が判断する」と述べただけだった。
そしてバイデン氏が心配した通り、2週間後に安倍総理は靖国を参拝した。
すると在日米国大使館は30分後に「米国政府は失望している」との強い談話を発表した。
こうした流れがあったため、韓国側は「バイデン氏が韓国の肩を持った」と受け止めていた。
ところが2015年になると、中国の急激な勢力向上に直面し、米国の態度も変化する。
中国に対抗するには日米同盟を強化すべきとの戦略的決断を下したのだろう。
同年4月29日、訪米した安倍総理が米国の上下両院で行った演説では、過去の侵略や植民地支配に対して謝罪ととれるような言葉は使わなかったにも拘わらず、バイデン氏は「安倍総理の演説は非常に巧みで有意義なものであった。(過去の歴史に対する)責任が日本側にあるということを非常に明確にした」と評価してみせたのだった。
朴槿恵大統領との間で、この年の末、慰安婦合意が成し遂げられたのは、朴大統領が慰安婦問題を解決するには自分が安倍総理と話を付けなければならないと決断したためだが、こうした米国の姿勢の変化も影響を及ぼしたのかもしれない。
こうして見てみると、バイデン政権が成立すれば、米国は「日米韓連携強化のために日韓関係改善が不可欠」と考えるだろう。
そしてそれは、日本か韓国、どちらに味方するかという視点ではなく、米国にとってどのような日韓との関係が望ましいかとの視点から判断することになるだろう。
その視点は副大統領時代から一貫していると言える。
もちろん、韓国の現在のような姿勢は米国にとって決して好ましいものではない。
また徴用工問題では、韓国の国際法違反の状態は日本として受け入れられないことは十分根拠のあることであり、
そのことはバイデン氏も理解を示してくれる可能性は高い。
しかし、「中国の台頭に対処するためには韓国の存在も必要」と米国が考えるならば、韓国にも顔の立つ解決策を求めてくる可能性を排除することもできまい。
日本としては、文在寅政権には毅然と対応するというのが大原則である。
他方、中国の台頭、北朝鮮の暴走の危険性に対応するためには米国の協力が不可欠なのは間違いない。
米国を仲介役として、韓国が一方的に釣り上げたハードルをどこまで降ろせば、日本として受け入れられるのか米国と入念な意思の疎通が必要となってくるだろう。
徴用工問題に関わる日韓請求権協定には、
協定の解釈について疑義がある場合には第三国を交えた仲裁委員会に付託されることになっているが、韓国はこれに応じていない。
韓国をどのようにしたら正規の軌道に戻せるか検討すべきである。
その際一つのカギとなるのが、戦略物資に関する輸出規制の強化だろう。
韓国はこれを強く望んでいる。
今の韓国の現状からすると、戦略物資が北朝鮮に流れている可能性は否定できず、規制を緩和することには慎重にならざるを得ないのだが、米国と協力し監視網を強化することで何かできないか考えることが必要かもしれない。
朴智元国家情報委員長の電撃訪日、関係改善の最初の一歩となるか
日韓関係では、もう一つ注目すべき出来事があった。
朴智元(パク・チウォン)国家情報委員長が、11月8日に緊急来日したのだ。
来日した翌日、朴委員長がまず面会したのは、かねてから親交があり、日本政界のキーマンとなっている二階俊博自民党幹事長だった。
韓国側の報道によれば、朴氏は二階幹事長との会談で、小渕総理と金大中大統領(いずれも当時)が発表した「日韓共同宣言――21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に続く新たな首脳間宣言で日韓関係を解決していこうとの考えを提案した由である。
いうなれば「菅・文在寅宣言」で一気に日韓関係を改善したいということのようだ。これについて日本側はコメントしていない。
二階幹事長と面会した翌10日には、官邸で菅総理とも面会した。
朴氏の今回の訪日は、行き詰っている日韓関係の突破口を作ることが任務で、事実上の文在寅大統領の特使という扱いだ。
ただ菅総理とも面会した際に朴氏は、一部で言われていた親書ではなく、口頭で文大統領の意見を伝達したようだ。
菅総理は、「日本企業の資産を売却しないと約束しなければ訪韓できない」との考えを韓国側に伝えていた。
時事通信によれば、菅総理は朴氏との会談の中で、徴用工問題について、「非常に厳しい状況にある日韓関係を健全に戻していくきっかけを韓国側が作ってほしい」との立場を繰り返し伝えたようである。
韓国側によれば、このほかに朴氏が来日中に日本側と協議した事項は、今年韓国が議長国を務める日中韓首脳会談の年内開催、来年開催予定の東京オリンピックへ北朝鮮参加への協力、徴用工問題の打開策、という。
こうした韓国側のアプローチが徴用工問題を抜本的に解決する道筋につながるものになるのか、
日本企業の資産売却の流れを止めるには十分な効果は期待できるのか、今後の韓国側の出方を見守っていく必要がある。
ただここから言えることは、韓国側が自分たちで徴用工問題に火をつけてはみたものの、打開策が見えず、困惑しているということだ。
日本としては、当面バイデン氏側に「日韓関係の改善は韓国の出方次第だ、韓国の反日姿勢が改まれば日本として日米韓連携を再度強化することに異存はない、北朝鮮や中国に対する姿勢を3国で確認することに異存はない」との姿勢を明確に伝えていくことだろう。
この機会に、文政権の歴史問題への姿勢ばかりでなく、日韓関係全般や中国、北朝鮮への取り組みについても改善を求めていくことが賢明であろう。