日本にもお馴染みになり始めた「ブルガリア」ですが、その社会主義時代からのことに詳しい人が、こう言っています。
社会主義時代の方が良かった?:2009/03/05
現地の人の述懐を「人間の健忘症ではないか」と言うのです。
特に保険・保健が発達した国で多くみられるようですが、対象外の治療で過大な料金を請求された経験のある人や、そもそも医療機関にしばしば出入りするような体の弱い人ならば、もっと医療費が安くてもいい、と思うものです。
ある社会主義国で「医療費が無料」というのですが、「いい加減な診察が無料」だけなのかも知れず、普通の治療を受けようとしたら別途相当な金がかかり、場合によっては莫大な金額の袖の下を要求されます。
ある社会主義国で「税金がない」というのですが、国家への協力という名目で決められた日数だけ労働力提供が義務となっているようで、これが「税金」そのものでした。
つまり社会主義国で医療費が無料・税金がない、というのは
奈良や京都でもお馴染みですが、敷地に入るのは無料だけれども、それぞれの施設(塔頭など)に入るには別途入場料(拝観料など)が必要なのと同じです。
既得権者が、引き続いて利益を得続けるための工作なんでしょう。
言葉でごまかそうとするのは、いけませんが、それにだまされる人もいいとは言えません。
どちらが、よりいいシステムなのかを考えることが大切ですね。
神社仏閣の関係者が「庭や建物外観を鑑賞するのではなく、中に入って(入場料を払って)ありがたいお話を聞いて欲しい」と言うのを聞いて私は、まず坊主丸儲けを反省しなければならないのではないかと思ったものです。
尤もそんな人間が「反省」などするはずがありませんが(大笑)。
社会主義国の人たちが
資本主義国の短所を自国の長所で置き換えたいとする気持ちは分るとしても、社会主義国が「自分の短所をひた隠しにする」のが致命的な欠陥で、いけません。だまされないようにしてくださいね。
みなさまは
中国やロシアという「元共産主義国・現全体主義弾圧国」で、「なぜワイロがないと社会が成り立たないのだろうか」と疑問に思ったことがありませんか。
似た例ですが
外国ではチップが煩わしすぎると感じたり、そもそもどこかの国へ入国する時に税関でワイロを要求された経験がある日本人も、かなりいるでしょうね。
そういった国の人たちのことを、日本人は「自分の主義主張を強硬に述べる」とみなしているようですが、そういった日本人から見ると理不尽な習慣に慣れた国の人たちが、それに抵抗するための生活の知恵が「自己主張」と受け止められているのでしょう。ワイロを社会システムの一環に組み込んでいるとも言え、これは悪いながらも一理あるといえます。
とにかく日本の常識が世界の常識であるとは限らないようです。
アメリカでも
オバマケア(2010年成立)を廃止しようとしているトランプが白人労働者層に支持されているとのことですが、本当に貧困で悩んでいる人のことなどまったく考えていないようです。
ところで、ブルガリア出身の力士と言えば・・・・・・
琴欧洲(十両以上の現役時代:2004-2014)を思い出す人も多いでしょう。引退してもう4年ですか・・・・・・。
身長は2mほどありましたが、最初ごはんが食べられずひょろひょろした力士でした。ごはんにヨーグルトをかけて食べたのが功を奏したか、最終的には大関にまで昇進し、10年ほどで引退。2017年に2人の内弟子を連れて佐渡ヶ嶽部屋から内諾を受けていた通り独立し、鳴門部屋を創設したようです。今では「鳴門親方」ですね。
現在ブルガリア出身の力士は3名(前頭の碧山・序二段の虎来欧・新弟子のカツァロフ)になるそうで、碧山(あおいやま)には日本語教本を送るなど期待しているようです。
ブルガリアの話に戻りますが、引用によれば、著者のブルガリア社会主義経験から言うと、等しく貧しかった社会主義時代
当時、金はあったけれども、買う商品がなかった
今は、金が少ないけれどもスーパーにものがあふれている
これを冷静に比較できないので、「昔のほうがよかった」と思うのでしょうか。
私の考えるところでは、確かに時代は変わるものですが
- よくなることもあり、悪くなることもある。
- 時代が変わったからといって、すべて良くなるわけではないし、すべて悪くなるわけでもないのです。
- 狭い視野で物事を真剣に見つめるのもいいのですが、広い視野で見つめると、またまた考えが変わってきます。
- 他の国がいつも良くて自分の国が悪い、というわけでもないし、他の国がいつも悪くて自分の国が一番いい、わけでもありません。もののとらえ方の違いは、こういったところにあるのかも知れず、「自分に都合のいいことを言うなら海外の誰でも利用しよう」とする人たちは「海外の誰でもすべて間違っている」とするうぬぼれ型の人と同じで、共に間違いを起こしやすく、きわめてアヤシイ人たちだと思います。左翼や右翼などとする分類が疑問になりつつある昨今ですね。
- 1つの価値観にとらわれることなく、広い視点でものごとを考えることが大切なんでしょうが、狭く間違った了見であっても大きい声で迫られたり、自分に利益があると判断すれば、人はいとも簡単にだまされてしまうのでしょうか。人をだますには、「声が大きい」こと、「誰かの手下になっても言うとおりになる能力」があること、などが資格なんでしょうか。
社会主義時代に、集団主義が強制された
戦後の日本では、没個性が叫ばれ、伝統・歴史への懐疑主義が主流だったようですが、著者の長いブルガリア社会主義国時代の経験から、社会主義時代には、自由な表現や真実を追い求める多様性などが皆無だったようです。
つまりここでも、小さな集団でしかものごとを考えられない人間の弱さを感じるのです。それでさえ、よりよい環境を求めるのは立派な事ですが、些細な違いを大きく扱う風潮に呑み込まれてはまずく、針小棒大とは言い得て妙ですね。
社会主義国建設時代と、国を制定してからの変化
革命時には「権威の否定者が必要だった」・・・・・・異論者が必要
革命後には「権威の否定は許されない」・・・・・・異論者は邪魔に
つまり、革命前には権威の否定が必要で、革命後には権威の否定は許されなくなるのです。「権威」についてのこの極端な豹変は、ウソも方便だったのです。
「権威を否定する」という情熱に取り憑かれた社会主義革命の犠牲者は、革命前には珍重され、革命後には邪魔者扱いされるという筋書きを理解していなかったようで、これが単に「若気の至り」とされます。
全体主義的な社会主義国では、「革命」という権威を否定するとはけしからんことになり、政治犯収容所送りが正当化されてしまい、無数の収容所送りが生まれることになります。
この種の豹変は、どこでもみられることですので、留意しておかれるといいかと思います。
社会主義時代には、大きくサービスと品質が低下した
悪しき平等を謳う社会では、努力してもしなくても、同じでなければなりません。必然的にサービスがは悪くなるし、品質は低下するのです。
私企業を廃止し、擬似私企業も姿を消し、組合という名の組織でも経営権がなくなり、すべてが共産党に支配された国営企業になると、この傾向はいっそう促進され、ますますサービスが低下し品質が劣化するでしょう。
差別があってはならず、負の循環があるため、こうなるのですね。
いま世界中から日本を訪れる人がいることに、何かヒントが見えませんか。
社会主義時代には、ワイロがはびこった
日常的なあらゆる対応で、ワイロが常態化したようです。すべてで差別化をなくそうとしているのに、袖の下がはびこることで社会主義の限界が訪れます。
フィリピンのドゥテルテ大統領が
国連が「超法規的な麻薬関連者射殺」を人権問題として調査し始めようとしたのに反発して「国際刑事裁離脱の意向(時事 2018/03/14)」らしいことも、考えさせられます。
フィリピンで、麻薬で生計を立てなければならなくなった人たちにまともな職業を与えずに放置し、麻薬に関係したら殺人もいとわないというのも法治主義にはなじまないやり方です。これはイスラム過激派がからんでいるのでしょうが、全体主義的な手法が、道を誤らせることでしょう。
中国でも
「汚職を使って汚職を撲滅する」なんて無謀なことを言い始めたようですが、社会を成り立たせてきたわいろ・汚職を短期間でなくすことなど、まず絶対にむりでしょう。
中国・ロシアを見ているとよく分かりますが
社会主義国・共産主義国で成功した国がなく、いまでもかろうじて存在する国も、領土の野望も許されず、もう限界に達しているようです。中国が「ハワイ領有権も主張できる」と法律を無視したような時代遅れなことを平気で言っておりますが、気にはせずともこの異様集団を注視しなければならないでしょう。中国は典型的な非法治国家でした。こんな国が国連に加盟しており拒否権を持つ常任理事国とは、ああ無常・・・・・・。
ロシアのプーチンや中国の習近平が、よりいっそう中央集権的な弾圧を加え始め、韓国が北朝鮮へ接近して全体主義国家を目指しており、空爆で発生したイスラム難民を受け入れてきたヨーロッパ諸国が反発し始め同時に極右勢力が躍進しているようで、世界中に閉鎖的な中央集権を目指している国々があふれているような気がします。
同時に、保守派を追究する革新派の薄汚いところも、見えてきましたね。
社会主義国の生産では外貨を獲得できなかった
製造業で効率化と平等の両方を実現することは困難なようで、一律の方針が空回りしたようです。農業の効率化をはかるための改善が、農業人口を減らせやる気を失わせ、飢餓の心配が増えました。
そもそも
効率の悪い社会主義国で「生産の効率化をはからねばならない」ほど衰退した自国産業ですが、資本主義国でもグローバル化を推進することで自国産業が衰退しており、両者が奇妙に一致しています。深いところで同じ危機に直面しているのでしょう。
農業は工業とは違い、天候による不安定さを伴っており、多民族では生活様式も異なるため、うまくいかないことがあるので、これを念頭においた政策でなければなりません。
ソ連やロシアでは、原油の生産があり、これを輸出することで国家財政を運営することができました。しかしご存じの通りロシアがろくでもないことを繰り返すため制裁され、さらに原油価格の暴落もあり、今やますます国家財政が緊迫しているようですが、それでもプーチンの独裁は止まりません。
愛国精神を「極端に」利用して衰退した自国を盛り上げようとする
ロシア・中国・韓国・北朝鮮
を見ていて、他山の石とできる日本人がいたとしたら、まるで藤井聡太のようですが、僥倖(ぎょうこう)と言えるでしょうね。
日本では、衆参両院を制覇する自公与党
アメリカでは、上下院を制覇するアメリカの共和党
いずれも歪(いびつ)なんでしょう。
たとえねじれがあり対立があっても、2院では異なった考えがあるべきで、それでこそ健全な国家運営ができる、というのが私の考えです。
あまり大勝させすぎると、ろくでもないことがおこる、というのは今の日米を見ていると分るのですね。
さてさて、皆様はどう思われますか。