ロシアの話題は2つに絞られます。
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- ウクライナへの武力侵攻
- ワリエワに代表されるドーピング
私はこれらを「プーチンの長期支配」のせいとみています。
「長期」という点で中国の習近平も似てますね。
ロシア大使館員、ベルリンで不審死…外交官に偽装した情報機関の要員か:読売新聞 2021/11/06 10:42
国の内外での露「偽装暗殺」疑惑は恥部であり、プーチン長期政権の弊害でしょう。
中国共産党にとって都合が悪ければ「内緒で拉致、有名人なら、公開謝罪」させますが、露中とも『お上のいうことを聞かなければこんなことになる』という日本江戸時代の「市中引き回し」に近い仕打ちをしています。
私が「露中にいるとすれば、すでに犠牲者」かも。
古くなるのを許していただくなら、まだまだあります。
ロシアの連邦保安庁本部で銃撃事件、職員1人死亡:bloomberg 2019年12月20日
さすがにbloomberg も「プーチンを狙ったもの」とは言えなかったのですが、ロシア連邦保安庁本部(FSB:KGBの後身)で起こったこと、銃撃犯がカラシニコフを使ったこと、などは疑惑のもとです。
フィギュアのワリエワ問題が示したロシア・ドーピングの闇:WEDGE 2022年2月17日
この「やみ」は相当深そうです。
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- まず言わねばならないのは、ロシアの口実として「欧米主導の陰謀で、ロシアをおとしめようとしている」「西側のメディアの憶測はまったく不正確」
- これらは、ウクライナ侵攻や、ドーピングでささやかれてきましたが「非独裁型の国で用いられる論理」を巧みにパクったロシアの空論でした。
- 露中という独裁国家は、自分の非を顧みることなく、民主国家で用いられる論理だけを「逆用」しています。
- 「批判慣れしていない独裁国の典型」とも言え「上部を批判すると暗殺(拉致)される」という恐怖感をもたせています。
- もちろん家族を引き合いに出して黙らせることも狙っていることは、想像に難くありません。
- これは「家族」を大切にするか「引きずられている」かは別として、アジアの特徴を生かしたもので、中国~北朝鮮では暗に使われており、「家族に引きずられない」地域、たとえば西欧では考えも及ばないでしょう。
2010年バンクーバー五輪でロシアは
ソ連時代を通じて、過去最低のメダル数になりましたが、ソ連崩壊の混乱期があり、充分に「国家ぐるみの薬物使用隠蔽工作」に手が回らなかったことも、遠因の一つでしょう。
職員が選手にワイロを要求していたことも
ロシア女子陸上のステパノワらによって暴露されたようです。プーチン大統領報道官はステパノワを「ユダ(裏切り者)」と呼んだらしい。
反ドーピング検査所元所長ロドチェンコフの証言です。
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- 今では妻子を露に残して米国に亡命していて(でないと命の危険がある)、保守派からは「ユダ(裏切者)」と呼ばれているとのこと。
- 2020年の英フィナンシャル・タイム紙のインタビュー「プーチンとその一味は完全な犯罪者集団」「(動機は)義務であり他に選択肢はなかった」
- またロドチェンコフの側近で、RUSADA元最高責任者カマエフと元会長シニョフの2人が2016年2月に相次いで不審死(もちろんろくな調査はない)し、おびえていたことも暴露。
- 「義務であり選択肢はなかった」は2022/02/24 ロシアがウクライナへ軍事侵攻したときのプーチンのセリフとそっくりです。
- ワリエワは、もしかしたら誤って禁止薬物を服用したかもしれないのを、関係した大人が誘導して「祖父のグラスから接種した」と言わされたに違いありません。ワリエワにとって「義務であり選択肢はなかった」と思わせたかったのでしょうか。
- ワリエワが国内で個人攻撃されるようなことがあれば、本格的に米亡命が加速されるかもしれません。
- ウクライナへのロシアの侵攻は、ワリエワのドーピングを隠す話題移動作戦に違いないと直感し、冒頭で私は、ロシアの話題をウクライナ侵攻・ドーピングの2つとしました。
政治とスポーツですが
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- 政治にはルールがあるようでない(平気で国際条約を破る)
- スポーツにはルールがある(いつもルール改正があります)
露中の共産圏では「政治もスポーツもルールがない」とし、都合のいい時に「ある」ですね。
なるほど、それならば香港・埋めたて・チベットウイグル・尖閣諸島やら台湾侵攻予定も、ブタペスト覚書・ミンスク議定書破りもわかりますが、そういう国が「拒否権」をもつ安保理事国になっていることに、不可解を覚える次第です。「この拒否権」の場合のみルールが「ある」のでしょう。「拒否権」の場合もルールが「ない」にすると第三次世界大戦ですか・・・・
中国もロシアも、「立派な独裁国」でした。
しかし露中は、西側に対して恥じることなく「スポーツを政治に持ち込むな」と言います。「スポーツを政治に利用している本人」が言うことではありません。
「スポーツと政治」、これは昔からある古い話題です。
スポーツで名をあげた人は
「スポーツを政治に持ち込むな」と言いますが、名をあげられなかった人は、「スポーツが、政治の格好の材料」だったことを知っており、複雑な思いです。
わたしたち観客は
「スポーツを政治に持ち込むな」とも言いますが、別の人なら「スポーツが、政治の格好の材料」であることを知っており、複雑な思いです。
これから「スポーツを政治に持ち込むな」と言う時には、以上の事をわきまえて言いたいものです。
これだけ、スポーツと政治が密接な関係だからこそ
私たちは惚れこんでいるのかも知れません。
いや更に突っ込んで言うならば
「商業主義」に走り過ぎていることが、「経済に名を借りた政治の汚点」なのかも知れません。
五輪立候補は今後、もう決まっているところは別として、国威発揚のための「共産主義国」に限られることでしょう。
だからこそ、経済的にどうしても劣る共産国が「スポーツと経済と政治」をごちゃまぜにしているのかも・・・・
もし共産圏を排除すると「中止」に追い込まれるでしょうし、少し休んだ方がいいのかも知れません。
さてさて、皆様はどう思われますか。