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Broken Flowers …はうはう河馬の脂肪遊戯

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。

20160320-01…京都駅…そうだ京都行こう

2016年03月20日 | 2016


旅立ち…って大袈裟。
新幹線の始発なら、指定を取ることもなく座れるだろうと見込み
早朝、自宅を出る。
思った通り、始発の新幹線、乗車駅に到着した時、先客は誰もいなかった。
見込みどーり。




朝飯は、コンビニで買っておいた菓子パンと紅茶。
新幹線の中で、文庫本に読んでみたけど、あっと言う間に眠りに落ちた。
眠りに落ちたり、眠りから覚めたりを繰り返しているうちに京都に到着。







早速、JR東海に立ち寄り、帰りの新幹線のキャンセル席をゲット。
うし。これで帰りも確保。





京都駅の2階?のミスドで行程を考える。
どこを見に行きたいってないんだよなあ。
どうしよう…。
うーむ。
京都国立博物館で何かやってるかもしれん。
そういや、三十三間堂の近くに寄ったことのないお寺があるみたいだから、そこへ行ってみようかな。





ミスドのカウンター席から見える、駅を忙しく歩き回る人たち。
この風景、好きなんだよね。



 これやこの 行くも帰るも 別れては
     知るも知らぬも 逢坂の関

           蝉丸 『後撰集』



ここは京都であって、逢坂の関ではないけれど。。

決めた。
とりあえず、三十三間堂に向かおう。





歩いて行こうかと思ったけれど
駅前で、バスと地下鉄乗り放題の切符を売ってたんで、それを購入。
2日でバス、地下鉄乗り放題で2,000円。
使い切れないかもしれないけれど、ま、そんときはそんとき。

バスで三十三間堂までレッツラゴン。

(20160320-02に続く。)



20160320-02…蓮華王院(三十三間堂)

2016年03月20日 | 2016

京都駅からバスに乗り、京都国立博物館で下車。






博物館はまだ開館前だったので、先に三十三間堂を訪れた。
薄曇り。天気が怪しい。晴れてくれ~。 

三十三間堂は、後白河法皇の御所、法住寺殿の西側に1164年に建てられたとのこと。
ちなみに同じ1164年に、延暦寺の僧徒が座主を追放し、その房舎を破壊しているし
3年後の1167年に平清盛が太政大臣に就任しているらしいので、平家の「この世の春」の頃。
んでもって、後白河上皇っていう方は、
1158年から院政を行い、平家や源氏の対立等々をうまく泳ぎ切って
1192年に没するまで頑張った方。 ただものではない…。

GOOGLEで「後白河法皇」で画像検索すると、こんな感じ。
見た印象で恐縮だが、あまり良い人には描かれていないようだ。
狡猾で策略家と言ったイメージかもしれない。 

 

建物は三十三間もあるんだから、横に長い。
1間は1.818mくらいらしいんで、33間では60m。
デジカメで撮ろうと思っても、俺のカメラじゃ無理。
どこまで引いても、全容が納まりません。







何度来ても、圧倒される。
1001体の十一面千手千眼観世音様。
これもGOOGLEからの画像検索。
火災に見舞われ、1001体のうち124躯が当初からのものらしく、
その後、湛慶ほか多くの仏師により15年をかけて作られたとのこと。



勿論、堂内の撮影は厳禁。
下の写真は「新版 古都巡礼 京都 第18巻 妙法院・三十三間堂」から。
なんとも、ふくよかなお顔。
迷える衆生のひとりである俺を、どうか御救いください。 



そうそう。
パンフレットで知ったんだけど
1001体全てがご本尊で、真ん中にお座りになってるでかい観音様を「中尊」と言うらしい。
こちらも運慶の長男である湛慶という人の作品なんだって。


極楽上等
極楽浄土
極楽はどんなところか知らないけれど、そして、知り得もしないけれど
平安貴族は、篤い信仰心から、その権力と財力に任せて、こんな大層なもんを築いたんでしょうね。
どれだけ、末法を恐ろしがったのか、どれだけ極楽浄土に行きたがったのか
なんとなく理解できるような気がします。


風神・雷神像も、二十八部衆も、みーんな存在感ありすぎ。
どれもこれも近寄りがたい…って近寄って見たいけど。

こんなに作ったんだもの、これで救われなきゃ、世の中どうかしてしてるよと言った感じです。
どれもこれも、国宝(又は重文)で
こんなに国宝(又は重文)がごろごろしていると、有難みも薄らぐような…。(罰当たり)

後白河上皇、って、波乱に富んだ人生の人だったんだろうなあ。



桜はちらほら咲いていました。
あと2週間も経てば、満開。 美しいでしょうね。

人並みの信仰心しか持たない俺だけど
こういう空間に来ると、やっぱり、その凛とした空気に圧倒されて、シャンとします。
背筋が伸びるような気がします。






1164年に平清盛により創建されてから、今日に至るまで、ずっと信仰の対象であったことってすごいよね。
いったいどれくらいの人たちの祈りを聴き、願いをかなえてくれたんだろうとも思います。





梅は盛りが過ぎてしまって、木蓮と椿が印象的でした。
春はやっぱり花が咲かなくちゃ、ですね。










不思議なことに、南大門って、ふつうの道路上にあるんだよね。
ね。下の写真の右下に「南大門」ってありますもんね。 

三十三間堂は、後白河法皇の御所、法住寺殿の西側に建てられたってことでしたから
南大門って奴は、法住殿の門だったってことでしょう。(当てずっぽう)

 



さ。
自宅の仏壇に供えるお線香を買って、京都国立博物館へ向かいましょう。

 

 


20160320-03…養源院

2016年03月20日 | 2016






京都国立博物館へ立ち寄ろうと思い三十三間堂を後にして、
すぐに、豊臣秀吉の側室・淀殿が父を供養するために創建したというお寺が三十三間堂のすぐ隣にあるのに気がついた。
ハイアットリージェンシー京都のすぐ南側にあるお寺だ。

俵屋宗達の襖絵も有名らしい。









1594年創建と言うから、三十三間堂より400年ほど新しい。
ちなみに、その3年前の1591年、千利休が自殺させられています。汗。








本堂の天井に、伏見城落城の際に将士たちが自刃した廊下の板を使用し、
霊を弔っているとのことでした。
住職さんの説明を聞きながら、一所懸命天井を見上げて、
血の跡を探しましたが、なかなか見つけづらいものでした。


        (ウィキペディアから)
        1600年、関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守っていたが、
        石田三成派の西軍に攻められて落城し建物の大半が焼失した。なお、
        立てこもっていた徳川家の家臣らが自刃した建物の床板は、供養も兼ねて
        京都市の養源院、正伝寺などで天井板として再利用されたとの言い伝えがあり、
        血天井として現在も生々しい痕を見ることができる。

        焼失した伏見城は1602年(慶長7年)ごろ家康によって再建され、
        1619年(元和5年)に廃城とされた。
        このとき建物や部材は二条城、淀城、福山城などに移築された。
        伏見城の跡には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、
        現代に至り伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城とも呼ばれるようになった。









三十三間堂のような華やかさは一切ありませんでしたが、なぜか心落ち着くお寺でした。
小型のカセットテープレコーダを持ち歩いて流れ作業で
寺内の説明をしてくださるのに妙にはまりました。







俵屋宗達「波に麒麟図」。(画像はネットから)
お寺の方の説明ですと、2頭(雄雌)いて、はじめて「麒麟」だとのことでした。
1頭だけですと、「き」又は「りん」だそうです。
するってーと、某麦酒会社は、本当は、「き・びーる」若しくは「りん・びーる」。
まじかよ。







記念にいただいたポストカードには、俵屋宗達の象の襖絵。
こちらもとても印象的な絵です。
なんでも教科書にも掲載されているとか。







寺内に桜の木。
花を咲かせていたんで、ちょぃと撮影。
他のお客さんたちも、めいめい桜に近寄り、撮影していました。


さ、今度こそ、京都国立博物館へGO。








20160320-04…京都国立博物館

2016年03月20日 | 2016



道路を渡って、京都国立博物館へ。
入口の券売機で入場券を買って敷地内に入る。
本館?は修繕中だとかで入場不可。








平成知新館を訪れる。
実は、俺、博物館や美術館を訪れるとめちゃくちゃ疲れてしまう。
欲張って「見なくちゃ!」と思ってしまうからだと思うんだけど。

展示されている物ひとつひとつから
迫力と言うか、何か圧倒的なパワーを感じてしまい、疲労困憊してしまう。
絵しかり仏像しかり。
見終わる頃には座り込みたくなっている。







仏像や仏画を見てると、落ち着ける。
そんなふうになってきたのは、30代くらいからだろうか。
祈ることは、やっぱり、ワールドピース。
世界が平和でなくっちゃね。













見てびっくり。
異形だ。
顔が割れて、その下からも顔が。。
なんでも、下から出てきている顔は「仏」のお顔なんだそうで。。

このインパクトは、「永観遅し」の振向き地蔵以来。いや、それ以上かも。







常設展と言うのかどうか、博物館が所有しているものを今回拝見することができた。
絵巻物も優しく解説してくれてあったので楽しめた。
ずいぶんと(糞)下卑た話だったのだが、あの絵巻を読んで楽しんでいたのは、やっぱり貴族の方々なんだろうな。















特別展は、雛人形。
豪勢な寝殿造りの造作も付いた雛人形もあって、欲しくなっちゃいました。
日本版、ドールハウスだよね、あれって。
関西地方では、飾り道具に、かまどのセットがあるってことも初めて知りました。














感慨に更けながら館外に出る。
目の前にロダンの考える人の背中。
だいぶ温かくなってきた。
天気は雲が多いけど、それでも晴れ。








ちょっとベンチに座り小休止。
カメラをいぢっていたら、自分の影を写してしまった。
それも連射で10枚。










で、自分の姿も10枚、連写してみた。
地鶏棒も持っていたんだけれど、あれも表情や構図が同じになっちゃうし、面白くなくて飽きちゃって。
地鶏は構えちゃうからね、苦手です。


椿が咲いてるね。
三十三間堂でも咲いていたけど、椿も綺麗だね。

さ、清水寺に行こうか。






20160320-05…妙法院

2016年03月20日 | 2016

清水寺に向かって歩いていると
バスから降りてきた家族連れに
「あのー、三十三間堂にはどうやって行ったらいいんでしょうか?」と尋ねられた。
俺、地元の人じゃないんだけど…
でも、さっき三十三間堂に寄ったから道は教えることができる!(嬉々)

「その角を右に曲がって、300mほどで左手にあります。」(自慢げ)






最近の京都は、アジア人の観光客が多いんで
歩いている人が、観光客だってことはわかっても
日本人なのか外国人なのかわからない。
で、そんな中、日本語で道を尋ねられたってことは、日本人に見えるってことになるのかも。笑。



京都市が行った「京都観光総合調査」によると
京都を訪れた観光客は5,564万人(驚!)
1,341万人の人が宿泊して、そのうち183万人が外国の方。







京都は、世界に誇る、歴史ある都市なんですね。すげぇや(しみじみ…)


閑話休題。





歩いていると、ふと目についた「妙法院」という表札(と言うのか?)。
これに魅かれて寺内を訪れてみました。











門は大きく開かれていたんですが、
拝見できるのは、門からの寺内だけ。
普賢菩薩様がいらっしゃるお堂をお参りしました。


でも、本によると色々と寺宝があるようです。
基本的に通常一般公開はしていないうようで残念。
(ウィキペディアによると、11月頃と春に特別公開をしているとか)


でね。
びっくりしたのは、この妙法院と三十三間堂、ひとつのお寺らしいんです。
徳川幕府の裁定以来、ひとつのお寺らしいです。
京都府文教課発行の宗教法人名簿に天台宗妙法院はあるが三十三間堂の名前はないらしいです。
(詳しくは、淡交社 新版古都巡礼京都18 妙法院・三十三間堂の91ページあたりをご覧ください。) 


20160320-06…清水寺

2016年03月20日 | 2016

写真1



妙法寺をあとにして、清水寺に歩きました。
東大路通を北進し、五条通を交わったとこらで、五条坂へ。
そしてさらにちゃわん坂に進みました。
ちゃわん坂は清水坂とほぼ平行して走っているのですが、
清水坂に比べて人通りは少なく周りの街並みなどを眺めながらゆったり歩いていけます。

写真2
急こう配の階段を上って目的地清水寺に到着。
とってもにぎやかです。
雑踏の中、お坊さんが一所懸命お経を唱えていました。




写真3
清水坂は人であふれています。
日本人の声よりもアジアの方の声のほうがよく聞こえてきました。
日本語って声量的に弱いんでしょうか。




写真4
着物のレンタルが流行ってるんでしょうね。
ちゃわん坂でも着物のレンタルのお店を数軒見つけたんですが、
着物に着替えてお寺の散策を楽しんでいる方がたくさんいらっしゃいました。


写真5
この門をくぐって、しばらく歩くと拝観券売り場です。
やはり人でいっぱい。


写真6
三重塔は目に鮮やかな朱色。
それほど古いものではないように思われましたが、どおりで昭和62年に解体修理、彩色を行っているとのこと。 
その昔、人々はこんな色鮮やかな三重塔を仰ぎ見たんですね。 




写真7
この塔の中にも大日如来様が安置されているそうなんです。
あまり古びて見えないせいか、多くの人は塔の前を素通り。
立ち止まって見上げてる人はそれほどいませんでした。


写真8
847年に創建。小野篁が隠岐に流されたのが838年。
1632年、2代将軍だった徳川秀忠が死去。家光の頃に再建されたってことですね。
んでもって、坂上田村麻呂が作っただなんて知りませんでした。 
清水寺のウィキペディアはここをクリック
 


写真9
拝観券売り場で拝観券を購入。
拝観券のデザインは春夏秋冬あるようで、今日はもちろん「春」。
桜が背景になっています。







下の画像は2003年7月に清水寺に来た時の拝観券。
13年前(^_^;)。
当時はデジカメの画素数も低く、
ウェブにアップするのにも、なるべくファイルサイズを落としたので
こんなんしか残っていません。

写真10





写真11
待てよ。
アルバムに残してあったかな…と思い本棚をごそごそ。
保管と言うには語弊がありすぎ、散逸してるんですが、
なんとか、「夏」と「冬」が見つかりました。
「秋」がない…うーむ…「秋」は京都に行った記憶がない…ほら、だって、観光のハイシーズンでお高いし。
京都は、秋無い…あきない…飽きない…なんちゃって。。





写真12
普段の行いが悪いのか、(←心当たりもありませんが)、なんとあちこち要所要所が工事中。
舞台から見える遠景もなんか虚しくて。
なーに、これ。




写真13

お決まりのポイントからの遠景です。
清水の舞台からは飛び降りたくはないですね。
痛そう。




写真14

遥か遠くには、京都タワーが見えました。
写真中央の大きな屋根は、東本願寺か西本願寺かも。
え?方向、違う? 





写真15

名前は思い出せない、白い花が満開。
お母さんと子どもが、一所懸命記念撮影をしていました。




写真16
水彩画を描いてる方もいらっしゃいました。
こういう楽しみ方もしてみたいんですが、
絵が下手だとね、他の人から見られるのが苦痛になりそうだし。




写真17
三重塔に椿。
この時期、京都は椿でいっぱいのようです。




写真18

清水の舞台を下から見上げてみたら
あれ?
誰かが身を乗り出してる…。




写真19

「黄昏の黄昏の菫色の空にぽっかり灯を点す白い木蓮
         末明なる花の香りは清らなる乙女にも似て」
中学生の時に合唱で歌った歌詞を思い出しました。
桜も見事ですが、木蓮も美しいですよね。



写真20
はい。お決まりの観光地での昼飯難民。
どこに行っても、友達同士、家族連れでいっぱいなんで
ひとりだと気後れしちゃって、お店に入れないんですよ。俺は。
勇気を振り絞って、清水寺の境内?にある茶店で、甘酒ときつねそば(でいい?)。
たしかこれで1,200円。さすが観光地価格!




写真21
これは梅だったかな。桜だったかな。




写真22
来るときに上ってきたちゃわん坂。
清水寺への最後の最後に急こう配のこの階段。




写真23
清水寺を後にして、しばらく清水坂(だっけ?)歩き
途中から三年坂に入ります。
坂の初っ口(方言?)のしだれ桜が綺麗でした。



写真24



写真25
ここで阿闍梨餅を2つ購入。
お店の中でいただきました。
これ、うまいよね。
京都駅の土産物売り場でも、いつだって長蛇の列です。


写真26
お店がいっぱいで見てるだけでも楽しいです。




写真27



写真28
三年坂から二年坂に入りました。
写真右下に、二年坂の立て看板。
さあ、ここから高台寺に向かいます。





ああ。やっとgoogleのmapの貼り付け方が理解できました。
うまくできたかな。
でも歩いたコースがちがうんだけど。。 


20160320-07…高台寺

2016年03月20日 | 2016

 

 写真1

二年坂を歩き、まず、高台寺の塔頭圓徳院に立ち寄りました。
園徳院は高台院(北政所ねね)の守護を勤めた兄の木下家定の居館だったそうです。
門に「圓徳」とありました。 

 

写真2
ここにも椿が咲いていましたが、よくわかんない写真です。
なんでこんな写真を撮ったんだろう…。 

 

 写真3
確か高台寺の入口だったかと思います。

 

写真4
茶室の写真をgoogleで画像検索してみたら、まあ、随分と洋風な建物だってことなんでしょうか。
画像検索の結果はここをクリック。 
ホビットが出てきそうな可愛い茶室でした。
こういうところで、落ち着いてお茶を一服できたら楽しいでしょうね。
でも、やるなら、季節は春か秋でなくっちゃですね。
エアコンがないから、夏と冬は想像するだに恐ろしいもんがあります。
夏は狭いは暑いはで熱射病で倒れるかもしれませんねぇ
(こういう俺みたいな無粋な輩はお茶なんぞたしなめないって)
高台寺・茶室・遺芳庵 

 

写真5
建物は開山堂だと思います。 

 

写真6
方丈の前庭。
写真右側の枝垂桜、あと2週間遅かったら、満開だったろうになあ。
どこのお寺でも疑問に思うんですけど、勅使門から勅使が入ってくることなんてあったんでしょうか?
見事に白砂で、しかも模様までつけてあるんだから、踏むに踏めないんでは。
この模様って毎日、直すんですかね…つまんない疑問なんですが。汗 

 

写真7
高台寺は、平成になってから本格的に拝観事業に着手したらしいです。
(新版古都巡礼京都37巻高台寺P9あたり) 
お庭も平成元年に大規模に修復されたと書かれていますから
もしかしたら、昭和に発行された京都の観光案内本には高台寺って掲載されてないのかもしれませんね。 

 

写真8 

 

写真9
この花はなんて言う花なのかな。
googleの写真検索でもHITしません。←精度が低いという印象
園芸種なんでしょう。
低木なのかな。
ドウダンツツジじゃないよなあ。
ドウダンツツジと比べると葉っぱが立派すぎるしなあ。 

で、これ、馬酔木(あしび)って言う植物らしいです。
GOOの花のサイトでお見かけしました。
むふ、これでひとつ知識が増えた。
馬酔木って漢字があるってことは、昔からある植物だってことだいね。 

 

写真10
霊屋と開山堂を結ぶ廊下「臥龍廊」。
名前を聞いて「銀の龍の背に乗って」をみゆきファンなら思い出すはず。 

 

 ↑写真上の霊屋のは秀吉と北政所をお祀りしてるところ。
特に北政所は、霊屋地下に葬られているとのことだった。
秀吉と寄り添うようにしてあげられたらなあ…と思うんだ。 

 

 

ちなみに北政所を画像検索してみるとこんなんでました。
豊臣さんは徳川さんに滅ぼされてしまいましたが
北政所であった高徳院ねねさんは、徳川家康さんに大層大切にされたそうです。

 

 
太閤秀吉さんは、お馴染みの画像が検索できました。




高台寺から秀吉の祀られている豊国神社まで車で8分。1㎞ちょっと。
ねねさんは、秀吉さんのところに弔いのために足しげく通ったんでしょうね。
でも、この豊国神社も家康さんに随分と小さくされてしまったみたいで
それを為す術もなく見守るしかなかったねねさんは、つらかったんだろうなあと勝手に思ってみたりして。

さっき訪れた京都国立博物館に隣接してるみたい。
寄ってくればよかった。 

 

 

 

写真11
随分と安普請なお茶室。
このたたずまいで重要文化財。
時雨亭と傘亭。 
わび、さびって奴なんでしょう。 

 

写真12
傘亭の前では、案内の方が色々と説明してくださりました。
説明してもらえると、いろいろと知ることができるんで楽しいです。 

 

写真13

 時雨亭と傘亭は渡り廊下でつながっています。

 

写真14
その昔、このお茶室があるところから、遥か大阪城あたりまで見えたそうです。
大阪城落城の際、
ねねは、炎に赤く染まった西の空をどんな思いで見つめたんでしょうか。

北政所の辞世の句は残っていないようです。
秀吉の辞世の句とされるのが
「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪花の事は夢のまた夢」

大意は、結局、人生は露のようなはかないものだったってことなんでしょうね。

ちなみに、上杉謙信の辞世の句が
「四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒」

栄華は、一杯の酒の酔いだなんて…切ないなあ。
どちらにしてもこの世は果かない…。

そう言えば、信長が舞った「敦盛」も

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ


高台寺蒔絵
徳川の庇護が篤かったおかげもあるんでしょうか。
華やかな調度品。 
これは拝見できなかったんですが、高台寺のリーフレットの表紙が、蒔絵の表紙。
画像検索で見ることができます。 

 

写真15
今を盛りと咲く桜より、
今日を最後と散る桜に、
「美」と言うか、
「切なさ」と言うか
言葉にならない、 心が押しつぶされるような何かを感じてしまいます。
 

 

写真16

竹林を抜けると、高台寺の隣にある霊山観音さんが見えてきました。 

 

さ、知恩院に歩きましょう。


20160320-08…知恩院

2016年03月20日 | 2016

 


円山公園はいつもにぎやかですね。
桜の時期にくれば、ここも大きな枝垂桜があるようなんで、それは見事な風景でしょう。
その円山公園を突っ切って知恩院に到着です。
とても大きな門。
すごい重量感。
容赦ない威圧感。
ここまで大きくなくても…と思ってしまうくらいドでかい。
江戸時代(2代将軍徳川秀忠寄進)に建てられた国宝だそうです。

 

 

京都国立博物館(改修中)、清水寺(改修中)に引き続き、
知恩院も御影堂が改修中でございました。
二度あることは三度あるってことわざ通り。
Oh! My God!!
って感じです。
仏教徒の俺ですが。  

 

 

 

御影堂が公開されていなかったので
どこへ行けばいいのかわからず
しばし呆然とする俺。
ほら、何も下調べもしてこなかったし
知識も持ち合わせてないんで。
境内は敷地が広すぎて、それに歩き疲れも増してきてる。
なんとか看板が目に入り
看板通りに集会堂とかいうところに。

わけもわからず
方丈庭園の拝観券を購入してお庭を拝見。
正直、庭の有難みって奴は理解できない無粋な輩なので
「ほう、綺麗だな」って大味な感じで終わってしまいました。

 


念仏を唱えれば、臨終の際、阿弥陀如来様がお迎えにきてくださる…ということを表したお庭。
「南無阿弥陀仏」 

 

 

 

お庭だけでなく、拝観券を購入したおかげで
「三方正面真向の猫」とか「抜け雀」の襖絵も拝見できました。
画像はGoogleの画像検索からの抜粋です。
「抜け雀」は襖に描いてあった雀が何処かへ飛んでいったという伝説がある襖絵。
「三方正面真向の猫」は何処から見ても猫がこちらを見ているように見える襖絵。
それぞれ知恩院の七不思議のひとつだそうです。

他の七不思議は
「忘れ傘」
「大杓子」
「白木の棺」
「瓜生石」
「鶯張りの廊下」…だそうです。
 

 

 

集会堂を出て来た道を戻ります。
ちらほら桜が。
阿弥陀堂から御影堂に歩いていくことができたみたいだったんですけど
疲れてしまっていて、阿弥陀堂に行く気が失せてしまって いました。

 


 

 

阿弥陀堂の横に会った霊塔。
どなたをお祀りしてあったのか。
 

 


上ってきた山門の階段を上から見るとこんなふう。
昔のお坊さんは足腰が丈夫じゃないと務まらなかったでしょうね。
 

 

購入した拝観券で、お庭「友禅苑」も見ることができたんですけど
あまり興味がわかなかったんで、素通り。
庭って、綺麗だなって思うだけなんですよ。 

さ、青蓮院に向かいます。
閉門時間が迫ってきました。やばい。 
おっと。女坂にも椿。 


20160320-09…青蓮院

2016年03月20日 | 2016

 

知恩院のすぐ近く、歩いて3分。
ウルトラマンだって変身したまんまで
知恩院から青蓮院まで来れちゃうくらいの近い距離。
ただし、着いたとたんに、シュワッチって言って
宇宙へ飛んで帰らなきゃならないけど。(変身してから4分目に突入だからね。)

目につくのは、太い太い楠。
神々しい。

 

 

 

ほら。通り沿いのどでかい楠が青蓮院の入口の目印。
「青蓮院門跡」と書かれた薬医門をくぐって境内に入ります。

 

 

 

 

絶対、この楠には神さまがいるって。
それくらい、立派な木なんです。
 

 




青蓮院で有名なのは、「青不動」。 
日本三不動画…青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動
(曼殊院には国宝「模写黄不動」)



でも、青不動は、ここから遥か彼方(大げさ)の
山の上の青龍殿にお移りになったとかで
青蓮院には引っ越した後のお堂があるばかり。
残念。

1000年ぶりの御開帳が5年前、その後の5年後に再び御開帳。
しかし、その両方の御開帳とも、なんとなく行く気になれず見送った俺。
次の御開帳は未定とのこと。
惜しいことをしました。 

でも、仏像やら、お部屋やら、お庭やらで、見ごたえあります。
仏像とお部屋は写真が禁止なんで、写真は庭の写真のみ。


一文字手水鉢。
豊臣秀吉が奉納したと伝えられています。

 

 
梅なんだろうか。
桜なんだろうか。
わかりませんが、歩き疲れて、疲れもピーク。
 

 

 

庭って、やっぱり、よくわからん。
美しいとは思うんですけど。。
けど、癒されますねぇ…。 

 

 

 

好文亭は、後桜町上皇が御学問所としてお使いになった由緒正しき建築物。
明日の3/21から5/5まで、特別公開だったらしいです。

 

 

 

 

長屋門。
明正天皇の御代に、中和門御殿の門をここに移してきたそうです。 

【明正天皇】(ウィキペディアから抜粋)
寛永6年(1629年)の紫衣事件や将軍・徳川家光の乳母春日局が無官のまま参内した事件に関して、江戸幕府への憤りを覚えた父・後水尾天皇から突然の内親王宣下と譲位を受け、興子内親王として7歳で践祚した。これにより称徳天皇以来859年ぶりに女帝(女性天皇)が誕生した。治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷における実権を持つことは何一つなかった。寛永20年(1643年)21歳で異母弟・紹仁親王(後光明天皇)に譲位して太上天皇となった。のちに出家して、太上法皇となる。元禄9年(1696年)に崩御した。享年74。

 



さあ、陽も影ってきました。
宿に向かおう。
次回は、青不動のお建前を拝見に、青蓮院の飛び地へ行ってみたいと思います。
そこには、総ガラス張りの茶室とかがあるらしいです。

 


20160320-10…今日のお宿

2016年03月20日 | 2016


さ、青蓮院から帰ります。
さっき、訪れた知恩院前まで戻って、河原町筋に出てバスで京都駅前まで戻ります。 
 

 




渋滞が激しく、京都駅まで戻るのに、思っていたより時間がかかりました。
知らなかったんですけど、バスって満員のときには
バス停に人が待っていても、停車することなく、通り過ぎていくんですね。
停車しても乗れないんで、考えてみれば当たり前のことなんですが。。
そんなところにも、都会ってすげーって思ってしまいます。
 

 

京都駅前の地下街で夕飯。
なるべく一人でも入りやすい店を選択して、ラーメン屋。
都会のお店は隣席の人との席間が狭いんで
左利きの俺は気にしちゃうんですよね。
箸を持つ手のひじとひじがぶつかりそうで。

キムチとしなちくが食べ放題でした。
ビールがうまい。

 

 

流行りの鶏白湯スープ?


餃子とチャーハンもいただいちゃいます。

 

 

腹も朽ちたし、ホテルまで歩きます。


ホテルのすぐ横にお堂がありました。

<!-- アパホテル -->

今日のホテルは、アパホテル京都長堀通店。
公式サイトで部屋を予約したのだけれど
どういうわけか、宿泊日が近くなるごとに
宿泊料が安くなっていき、

予約(26,000円)→キャンセル→予約(23,000円)→キャンセル→予約(21,000円) 

ってなふうに予約とキャンセルと繰り返し、結局一泊2万円ちょっと。
でも、いい値段だなあ…汗。

お部屋は、最上階の大風呂のある階で、お風呂に行くのには便利でした。
でも、この階には、アルコールの自販機がないみたいで
下の階に階に行くのが面倒くさかったです。
 

 

さあ、来しなにコンビニで仕込んだビールでも飲みながら、寝るかっってことで
おやすみなさい。 

 

ふぅ、やっと、3/20の日記が完了。
今日の日付は4/16(土)。
3/21も忘れないうちに記録しとこう。