お茶の大和 ティータイム

大地からの贈り物“お茶”で素敵なティータイム

少子化は自然の流れ

2005年06月25日 | 本に学ぶ

もし私たち一人一人が、自立して公に頼らなくて済むなら、人口が減った分広い土地に住むことが出来るかもしれません。富の分配が増えれば子育ても楽になる。安心して子育てが出来るかも。たとえが悪いかもしれませんが象も増えすぎると子供を生まなくなるそうです。

『古者、蒼頡の書を作るや、自ら環する者、これを私と謂い、私に背くこれを公と謂う。公私のあい背するや、すなわち蒼頡もとより以にこれを知れり。今、もって同利となすは、察せざるの患なり。』(韓非子)

文字の創造者といわれる蒼頡(そうけつ)でさえ、公私が相反することを知っているのに、今になってまだ公私の利益が一致すると思っている連中は、無知もはなはだしい。

環は輪の意味で私の「ム」は輪を表し、公の「ハ」は反するという意味を表すそうです。

国語力が無いので間違っているかもしれませんが、「私」を自立、「公」は自立を否定と、勝手に解釈しました。

「公」が「私」に口出ししすぎると「私」は自立できない。自立できない「私」は「公」に頼る。頼られた「公」は、資金が必要だから増税する。増税された「私」は、自立出来ないからさらに「公」に頼る。結果は子育てが難しくなって、少子化が進む。

少子化は自然の流れではないでしょうか?間違っていますか?

「公」は本当に自立出来ない人々にこそ手を差し伸べていくべきだと考えます。今の日本の政策は、公私の利を混同していませんか。

「公」の立場に立っている人にとっては、税収が減るし、政策上の責任は問われるし、取り分も減るでしょうけど。
韓非子も《公私の利害は一致しない》と指摘してますから。

ある禅寺の方丈様が「お金は間接的に使うと目減りする」と言われた記憶があります。税金で吸い上げてそれを分配すると目減りする。

また、ある友人が「たらいの水をかき寄せても跳ね返って手元には残らない。その逆のことをすれば跳ね返ってくる」と。

近未来、食糧問題やエネルギー問題が深刻化してくるでしょうから、「私」の自立を目指さないと、いずれ行き詰まりませんか。

少子化は「私」の自己防衛であり、自然の流れのような気がします。

韓非子の、法による二柄の使い分けは、愚民政策だと言われていますが。私はあえて反対の立場でとらえました。現代は韓非子の時代とは違いますから。(待ちぼうけ《守株》)