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地方自治の危機(0)… 「分かり合えないこと」

2015-04-21 15:20:12 | 地方自治
本テーマ「地方自治の危機(0)~(13)」は、次ページが下に続く形の記載です。(文責:諏訪市豊田 宮阪清人)

 平田オリザ著『わかりあえないことから』のp.19「いま、日本社会は、社会全体が、『異文化理解能力(グローバル・コミュニケーション・スキル)』と、日本型の『同調圧力』のダブルバインド(二重拘束)にあっている」。あるいはp.100「(ヨーロッパ型の)『説明しあう文化』と、日本社会独特の『わかりあう文化、察しあう文化』の独立した文化体系」のダブルバインドである。
  この本の紹介をした斎藤環 氏は朝日新聞2013.4.21で、「明治以降に急ごしらえで整備された国語教育は、タテマエとしては欧米型のコミュニケーションを教えようとしつつも、ホンネの部分では「和を乱さず」「空気を読」み、互いに察しあうような“コミュ力”を求めている」と述べている。
 民主主義の学校であると言われる地方自治は、私にとって「気になること」の一つである。地方分権の推進が図られている今日、住民の市政への参加がますます要請されているが、住民からの提案は諏訪市の場合、旧態然として受け入れられずらくなっている。不満足の場合、地方自治法は、住民による監査請求や住民訴訟の道を開いている。しかし現実には以下に述べるように、これらの門戸も形骸化して閉ざされていた。監査や訴訟で住民側の敗訴が多いことは種々の文献にある(注1参照)が、関係各位は内向せずに、住民にも分かるようなコミュニケーション、なかんずく、「対話」(平田オリザ氏の定義で、あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換、あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその刷りあわせなど)をして頂きたいものである。
 私の経験からどうしても気になって仕方がないのは、『住民訴訟に対する長野地裁の判断が、タテマエとしての「法に基づいて」を曲げ、ホンネとして自他・周囲の「和を乱さず」「空気を読んだ」判決を出した』ことにある。(注2にはその類例が示されており、長野地裁が特別ではないことが分かった。)
 (注1)矢野輝雄著『あきれる裁判と裁判員制度』:p.29「行政機関を被告とする地方自治法に規定する住民訴訟では、原告住民が、ほぼ100%負けることが分かっているので、訴訟代理人を引き受けてくれる弁護士はほとんどいない。」
 (注2)瀬木比呂志著『ニッポンの裁判』:p.161「裁判官は、異常なまでに国、地方公共団体、行政庁等の被告の肩をもち、……」

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