花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 御成諏訪屋敷跡から

2007-04-20 | 鎌倉の四季
                      【鎌倉御成町 諏訪氏館跡一帯】

鎌倉を知る程にその広さを感じています。
今回は鎌倉駅西口から西方に向けてスタートしました。

【諏訪屋敷跡】
鎌倉市役所の地は、かって「諏訪地」と呼ばれ諏訪一族の屋敷跡と言われ、鎌倉幕府の重臣諏訪重盛や、射芸の名手諏訪盛澄が住んだと言われています。車道と歩道に挟まれて大木の並木が続いていますが、一帯には森や池 諏訪神社などがあったと「吾妻鏡」は伝えています。

源平合戦の際 諏訪氏は平家に味方し敗れて源氏の囚人となりますが、頼朝の命で流鏑馬の試練を乗り越えて、北条義時・泰時・時頼等に仕え幕府の有力な御家人になってゆきました。
そして信濃国 諏訪大社の祖となりました。

この通りにはトンネルが多く有りますが、当時は天然の要塞として~~ヶ谷(ゃっ)と呼ばれて有力者の別荘があり、寺や文庫・神社 神社跡が散在しています。

【諏訪神社】
【蓮華寺跡】
【松谷寺・佐助文庫跡】
【一向堂跡】
【北条政村屋敷跡】
【北条義政屋敷跡】
【円久寺】
【八雲神社】

【佐助トンネル】【長谷トンネル】
     
     

【大仏坂切通】
鎌倉の丘陵は角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)、一般に「鎌倉石」と呼ばれますが、柔らかな地質で出来ています。これは人為的に加工し易いので「切通の通路開削」や「やぐらの暮龕(ぼがん)造り」に適し、鎌倉の地を特徴化させる一因になっています。丘陵に囲まれた鎌倉の東に2口(朝比奈・名越切通)、西に5口(巨福呂坂・亀ヶ谷・化粧坂・極楽寺坂・大仏坂切通)を「鎌倉七口」といいます。

八雲神社前の標識を鋭角に左折すると、「火の見下」というバス停を左に路地を入ってゆくと「大仏坂切通」に通じています。当時は生活路 今では少し難解なハイキングコースとして。雨上がりの道は滑りやすくなっていました。