花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 愛称を持った『御仏』たち

2008-09-14 | 鎌倉の四季
                             【鎌倉宮本殿】

鎌倉のお寺にはその御仏にまつわる話から、愛称で呼ばれている神仏像が多くあります。今回は二階堂地区を中心にお像を拝し、謂われを紐解いて頂きました。

【荏柄天神社】
荏柄山天満宮とも称され鎌倉でも古い神社で創建は1104年。
俄にかき曇った天空から天神絵が降ってきて人々は恐れ、その場所に社殿を造営して、絵を納めたと伝えられています。天神とは学問の神様として知られる菅原道真であり、非常に厳しい怒った顔で人々から《怒り天神》と言われて慕われ、敬われてきました。

菅原道真は時の宇多天皇に重用され右大臣にまで昇りましたが、左大臣藤原時平に讒訴され福岡太宰府に左遷されて没します。頻繁に天変が起こるようになり道真の崇りと言われて「天神として」祀られました。後年解体修理した際81㎝の束帯姿の線描の玉眼、彩色の図が出現し重要文化財に指定されました。
(下記図は額縁入りの写真)
     

【正殿】
大宰府・北野天満宮と共に日本三大天神に数えられています。


【覚園寺】
1218年北条義時は私財を投じて大蔵薬師堂を建立しました。 元寇が再び起こらないことを祈って1296年北条貞時は寺に改めました。 奥深い境内は静寂として古都鎌倉の面影を良く残しています。鎌倉最大の茅葺の薬師堂には、本尊の木造薬師三尊坐像や十二神将立像 天井一杯の龍の絵の中ほどに足利尊氏が改修した際に書いた棟札があります。

《鞘阿弥陀》
右手の板戸を僅かに滑らすと 淡い光の中に御仏の坐像が見えてきます。
「理智光寺」のご本尊でしたが廃寺になって此処に安置されました。 
鞘阿弥陀とは胎内にもう一体あることから、この様に呼ばれるようになったそうです。目を仰ぐ位置まで進むと左の目がキラリと光ります。私の大好きな大好きな御仏なのです。
この広大な奥域は写真は禁止です。

10メートルはあろうかと思われる榧の木の実が沢山落ちています。拾ってせめてもの写真にして見ました。そして枝折り戸を出たところの山紫陽花(玉紫陽花)が未だ蕾なのも不思議でした。         
     
               
                         

【鎌倉宮】
後醍醐天皇の皇子 大塔宮護良親王を祭神として、1869年に明治天皇が創建されました。
元弘の変で天皇方と足利尊氏の対立から、大塔宮は捕らえられ鎌倉に下されて幽閉殺害されました。村上義光は親王の腹心であり、良く守り戦い親王の身代わりとなって戦死します。村上義光の像を祀り参拝者自らの病と同じ箇所を撫でることで
好くなると言われ《撫で身代わり村上公》の愛称で親しまれています。
     

本殿でお祓いを御受けし、その後方に大きな獅子頭と紅白の鳥居が見えたので撮って見ました。 
     

【大巧寺】
1532年第五世日棟上人が、難産で死んだ秋山勘解由の妻が霊となり人々を苦しめていたのを鎮め、産女(うぶめ、うぶすめ)霊神として奉りました。以後産女霊神が《おんめさま》の愛称で呼ばれるようになり、今も安産を願う人達から信仰されています。
檀家を持たず安産祈願の寺として”戌の日”には、腹帯を求め、安産祈願に詣でる人が多いい全国でも珍しいお寺です。境内には四季の花が咲き乱れ「花の寺」としても有名です。 天井は立体彫刻画が施されていました。