mix_berry

テレビっ子のひとり突っ込み

『三千鴉の恋歌』感想・概要紹介 ②

2022-02-09 23:58:39 | 中国ドラマ

2020年 中国

◆おススメ度
★★★☆☆


◆キャスト
傅九雲(ふきゅううん):ジェン・イェチョン
覃川(たんせん):チャオ・ルースー
左紫辰(さししん):リウ・イートン
玄珠(げんしゅ):ワン・モンリー
眉山(びざん):リー・ルーチー
亭渊(ていえん):マオ・ファンユエン
燕燕(えんえん):ジアン・イーイー


◆感想・概要(ネタバレ注意!)

(の続き)

ざっくりした話の概要です。

まず、ヒロイン目線。

驪国の皇女である燕燕は、驪国皇室に伝わる白紙仙術(式神の使役術のようなやつ?)の修行をしていますが、難しくてなかなか鶴を飛ばせず、(これ「擇天記」で
グーリー・ナーザーがやってるのと似たようなもの?)それよりも公子斉の描いた絵に夢中。音楽にも秀でた公子斉は高難度の曲を作るも、その曲を踊れる踊り手が
いないとの理由で後半が未完成という。プライドを刺激された燕燕は、自分の想い人である左紫辰に相談し、曲をアレンジしてそれを自分のものにし、皇后の生誕宴で
その舞を披露したり、楽しく人生を謳歌しています。

そんな中、妖魔に取り憑かれた左紫辰の父である左相国が驪国と敵対する天原国と手を結び、驪国に妖魔兵を引き入れて奇襲をかけ、燕燕の両親である国王や皇后、
皇太子の兄などを皆殺しにし、驪国を滅ぼしてしまいます。

公子斉の絵を手に入れ、愛する左紫辰に贈ろうと左府を訪れようとしていた燕燕は異変を察知し、急いで皇宮に戻りますが、そこは驪国の兵士や両親たちが妖魔兵に
皆殺しにされ地獄絵図と化しているのでした。

父の暴挙を知らない左紫辰も異変に気付き、燕燕の元に駆けつけますが、燕燕は愛する左紫辰が驪国を裏切ったと思い、左紫辰に向かってまっすぐ剣を一振り。
左紫辰は目を傷つけられ盲目に。

そこに燕燕の仙術の師匠が駆け付け、大きな紙鶴で燕燕を連れ去ります。

家族に守られこれまで何の不自由なく暮らしてきた燕燕でしたが、国の惨状を目にして唯一生き残った驪国皇女としての使命感に囚われ、何をしてでもこの世から
妖魔を滅ぼし、復国を固く心に誓います。

そこから師匠である仙人との厳しい修行が始まり、2年の月日が流れます。(3年だっけ?)
亡くなった両親や兄、そして驪国の人々の仇を打ち、世界に平和を取り戻したいと強く願う燕燕に、師匠はこの世界から一切の妖魔を失くす唯一の方法として、
霊灯という法具を使う手段があることを教えます。ただし、それには霊灯と血の契りを交わすことが必然であること、最終的に妖魔を封じたら霊灯を灯し、自分の
命も亡くなるというのが条件。
それでも、皇女の使命としてやり遂げると固く心に誓う燕燕。

修行の過程で師匠も亡くした燕燕は、一切の過去を捨て、自分の使命にまっすぐ突き進むため亡くなった侍女阿満の顔にそして名前を覃川に変え、妖魔殲滅に必要
な霊灯を探しに香取山へと向かうのですが・・・。


次に、タイトルに心情を表している仙人、傅九雲目線。

傅九雲は仙人として登場します。「運命の桃花」によると、神仙と仙人は全然格が違うものとして描かれていますが、この作品では特に違いがない感じ。(訳の
問題?)

オープニングは、雪が舞う寒そうな平原でたくさんの兵士が戦っているシーン。おびただしい人数の兵士が傷を負い倒れて亡くなっていく中、一人真っ赤な衣を
身にまとい、自らを鼓舞するように大太鼓を叩いて兵士たちの士気を高める女性。



で、実はそれは傅九雲の師匠だったか傅九雲たちよりかなり高位の仙人だったかが描いた人間界の未来を予知した絵だっていうことが引きの映像になって分かり
ます。(仙人の絵には開くとそこに描かれた花の花びらが舞ったり、絵の中の物語に入っていけたりするっていう、ARやXRのような不思議便利機能が備わって
たりします。)

傅九雲は、この時雪の中一人哀しくそれでいて強い瞳で一心に太鼓をならすその女性に心を奪われます。そっから千年経って(「霜花の姫」や「永遠の桃花」から
考えると、千年と言っても仙界での千年と人間界での千年はだいぶ違うみたいですが、多分傅九雲にとっての千年であって、人間界だとさらに長い月日なんだと
思います。だったらもっと文明が進化してる気もしますが・・・。)

傅九雲は昨日ようやく人間界にこの絵の娘を見つけたと一緒に絵を見る眉山に話します。それが驪国の皇女燕燕。傅九雲は、その絵の娘が現れるのをずーっと
待っていたみたいです。人間界に降りて公子斉として遊んでいた彼は、自分が作った曲を彼女が舞ったことで、燕燕からさらに目が離せなくなっちゃいます。

そうして、彼女の運命を分ける時が。妖魔の襲来です。本来、ここで亡くなる運命だった彼女を不憫に思い、傅九雲は彼女をつい助けてしまいますが、結局は
彼女を試練の道にいざなっただけでした。

しかし、それから2年後。
傅九雲は顔を変えて覃川(たんせん)として香取山へとやってきた彼女に再会。
傅九雲は嬉しくて、何かと覃川にちょっかいをかけますが、霊灯を手に入れるという目的のある覃川は、やたらと自分に言いがかりをつけたり思わせぶりな発言
をしたりする傅九雲が煩わしくて仕方ありません。

けれども実は彼女が探す霊灯は傅九雲のものであり、その昔、傅九雲の師匠は妖王との戦いで自分の命と引き換えに妖王の7つの力のうちの2つの要素を傅九雲
の体内に封じ込めたっていう過去があり、傅九雲はともすると体の中で暴走しようとするその力を香取山の山主や友人眉山の力を借りてなんとか抑えていたの
でした。
(ただ、ここで師匠が妖王の力を封じ込めたのは霊灯っぽいのになんで傅九雲の体内に?っていうかすかな疑問が沸き上がりますが、そこは別途明らかになり
ます。)

傅九雲のことを、ただただ面倒で邪魔な存在としか思っていなかった覃川ですが、危ないところを救われたり、最愛の侍女と呼ばれたり、何でもできて力もある
彼に覃川だけに弱気な姿を見せられたりしているうちに、だんだんとその情にほだされて、いつしか二人は愛し合うようになります。



しかし、若い女子が一人で背負うにはあまりにも過酷な皇女の使命とうものを一切忘れて、フツウの女子としてフツウに幸せに日々を送って欲しいと願う九雲と
やはり皇女としての使命を背負って平和のために自分の命を犠牲にしてでも妖魔と戦う覚悟の覃川。

霊灯と血の契りを交わしてしまった彼女が命を落とさず妖王を倒す方法をどうにか模索する九雲。

さらに同じ頃、九雲を愛してしまった覃川は、九雲の正体と自分が霊灯を灯すことによる九雲の運命を知ってしまうのですが・・・。



◇◇

つまるところ、前半の感想に挙げたタイトルの元になった句

"三千世界の 鴉を殺し 主と朝寝(添寝)が してみたい"

は、ただ朝仕事に行かずに君と寝ていたい、っていう歌ではなく、「この世の中の君の幸せを妨害する全てを取り去って、ずっと一緒にいたい」っていう意味
だったんですねー。幕末志士の高杉晋作に取ってそれはいつ死んでもおかしくないような社会情勢だったり、自分に課せられた使命だったり、自分の体を蝕む
病気だったりってことだったのでしょう。

このドラマの中国人作者は、そういったこの句を詠んだ作者の状況や状態をちゃんと理解した上で、それを傅九雲と重ね合わせ描いた作品だったんだなってことに、
ドラマ観終わって、タイトルの意味を調べてからやっと気づきました。



先にちゃんとそこ知ってから観たかったなー。

コレ、ひょっとして幕末好きな人には一般常識的な句だったりするのかな?

いかんせん、地元の雪国では冬の寒さが厳しかったせいか、実家にいた頃は毎年冬になると風邪はもちろん、インフルエンザや気管支炎、悪化して肺炎で入院に
なったりって、3学期は休むことが多かったのと、日本史の授業って毎回江戸時代くらいまではすごく丁寧にやっといて江戸末期以降時間がなくなって3学期に
急に巻きで近代まで終わらせたりしてたから、その辺あんまり授業受けたことなかったんだよねー。
第二次世界大戦当たりのとこは多少、受験対策で自学したりはしたんだけども・・・。めっちゃ弱い部分です。幕末。


ちなみに、左紫辰(さししん)役のリウ・イートンですが、ついついユー・カイニンって役者さんとごっちゃになります。ユー・カイニンは、ちょうどこのドラマと
同時並行で見ていたドラマ「一夜の花嫁」に出ていて、で、それぞれ1年ほど前にそれもまた同時期に観た「絶世令嬢」と「春花秋月」に主演俳優の友人役って
いう似たような役どころで出ていたので。(「春花秋月」は厳密にいうと主演俳優がリー・ホンイーになるので違うかもですが。)

玄珠(げんしゅ)役のワン・モンリー、前半けっこう悪女な役まわりなんですが、彼女がめっちゃ美人なせいか、どうしても憎めない。そして、なんか既視感
があるように感じるんだけど何に出てたか思い出せないなーとか思ってたら、韓国女優のパク・ミニョンに似てるんだ!ってとこに行きついてスッキリ。

ストーリー紹介が長くなってしまうので盛り込めませんでしたが、左紫辰と玄珠もお話のなかで重要な役割をしていて、覃川の人生に欠かせない存在として
出てきます。特に玄珠。冒頭からずーっと燕燕を羨んで嫉妬心を手放せない人生を歩んじゃうんですが、ラストで衝撃の行動に出ちゃいます。(まぁ、フリは
あったので、見てるこっちは、だろうね、って感じではありましたが、覃川にはたまったもんじゃなかったでしょう、っていう・・・。)



最初の妖魔兵が出てくるあたりにちょっと頭をかすめた思いが、後半妖王と戦うために火山に行くあたりで濃くなっていくんですが、このドラマの監督なのか
総意なのか分かりませんが、ひょっとして中国版ロードオブザリング作りたかった?って感じる部分がちょいちょい出てきました。けど、予算の都合なのか
学芸会ステージ感出ちゃってる部分もあったり。

あと、演技力には定評があって重宝されているんでしょうが、どうしてもチャオ・ルースーが素直に美人女優と思えなくて、なんかイケメンたちが彼女に夢中に
なっている構図にちょいちょい違和感を感じてしまいます・・・。まー、見てるうちに愛着は湧いてきますが。

ただ、チャオ・ルースー作品、どれも当たりばっかでめっちゃ夢中になって観ちゃうんですけどねー。


感想・概要紹介①へ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バイ・ユー(白宇) | トップ | ホワン・ジュンジエ(黄俊捷) »

コメントを投稿

中国ドラマ」カテゴリの最新記事