大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

ハウスのビニール掛け

2024年04月01日 08時37分16秒 | 日記

金曜日は朝から雨降り。雪解け進む進む。。。もう四月!!

白鳥たちが田んぼや運河で群れている。そろそろ北へ帰る。

3/26日 ハウスのビニール掛けを終えた。一年が始まる。

 

朝小滝君が来て「去年は昨日ビニール掛けてますね」と言い、

「あら、そうだった?」

天気も良いし、今からやろう!となる。

幸い運良く風が無い。地面に雪が少しあるからビニールも汚れない。

各々自分の今日のやりたい事を『ビニール掛け』に即変更。

3人の心を一つにして一気にやればあっという間だ。と上の畑に向かう。

年に一度の仕事だから10年やってもたったの10回。

一応手順を確認し流れをイメージ。それと同時に自動的に各々の持ち場を理解し行動。

去年の秋に剥がした時、春に速やかに作業が出来るように段取りしてシートで覆ってハウスの横に置いてあったビニールを

ハウスの骨組みにそって長く伸ばし端を引っ張りあげて初めの一歩を夫が決めた。

自分は反対側の端からハウスのてっぺんに陣取りビニールのもう片方の端を持ち引っ張りあげる態勢を取る。

小滝君がビニールの置いてある反対側にスタンバイする。

3人でそれっ!と引っ張ればさらさらっと上がるはずだったが、、あれ?重たいね。

雪解けの水が入っていてかなり重たい。

やっと引っ張りあげて中心を決め、左右に開いて留め始めたとき ひゅ~っと強い風が吹いて一瞬でビニールは剥がされ下に落ちた。

結局同じことが三回起きて、ようやく掛かる。ふう~~~~

水に濡れてあんなに重たかったビニールは三回風に煽られて乾いた。

「なんだ風も一緒に仕事したかったのか」と三人顔見合わせる。

思ったより手間取ったが、その日は少しも疲れを感じなかったので、(たいしたことないね)と余裕綽々。

が、翌日全身筋肉痛。ガシガシとガンダム歩き。

結局すっかり筋肉の疲労物質が中和するのに6日もかかった。

      ♡          ♡          ♡          ♡

「波平さんに双子の兄弟居る?〇かXか?」

付けっぱなしのラジオが元気な声で聞いてきた。

「まるーーーーーー!!」とこちらも元気に答える。

「にゃー!」

ストーブの横に寝そべっていた猫のマルがこちらを振り向いた。

ちがうちがう、マルを呼んだんじゃ無いんだってば。

でも、自分の名前がマルってしってたんだ・・・・

呼んでもいつも知らんぷりなのに、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


100円玉

2024年03月10日 10時10分20秒 | 日記

長沼温泉の脱衣所ロッカーに100円玉を入れようとして

カキーーン!といい音がして落ちて転がる。

あっ、転がったかなと思う方を目が追う。無い。

足もとに転がってきた100円玉と落とし主に気づき「ありましたよ」と

拾ってくれる人も無く。

結構混み合っている人の間を縫ってまで探すのもはばかられ、

小銭入れから100円を出してロッカーを閉めた。

湯船に浸かっていても100円玉のことを思い、

あの”カキーーン!”はどこにぶつかったんだろう、、

自分の足もとにポトンと落とすことは何度もあったが、あの音なら遠くにまで行ったか、、、、

早く出て反対側の床も見てみるか、、、

と いつまでも100円玉に執着している自分を笑う。

ほとんど毎日通うこの脱衣室で前の人が取り忘れた100円玉に何度巡り会ったか、、、、

「お!ありがとう!」その100円玉でゆっくりとマッサージチェアーに身を委ねたり、

ソフトクリームやコーヒーになって神様がくれた贈り物に顔も心もしばしニマニマ。

そのまま置いて次の人がびっくりして喜んでいる様を想像し、神様気分になったりもする。

帰りに「忘れ物です」と受付のお姉さんに渡すのもよいが、子供なら様になろうけれど

いい年のバアサンがあえて正直者ぶるのも照れくさい、感謝で受け取り還元する方が性に合う。

普段マッサージチェアーは使わないし、飲み食いもしないからこんなことが小さなメリハリ。

そんなこんなを思い出していたら落とした100円玉に執着する気持ちが消え、探すことはせず。

後から上がってきた夫に「ねえねえ、100円玉がさ、これこれしかじか、、」と報告するが

反応も鈍くピント外れ、そそくさと玄関に向かう途中「あ、落ちましたよ!」と若者に声かけられる。

床に帽子を落としていた。再び「落ちましたよ!」手袋も落としていた。

「あ、ありがとう!」

夫が拾わぬ話を若者に拾われたような気がして、ふふふとひとり満足笑い


おひなさま

2024年03月04日 09時09分39秒 | 日記

        

 

3/3朝 「きょうはおひなさまだな」 と夫が言う。

「あ、そだね。」出すの忘れてた。

「出さないのか、、、」 はあ?もういいんでしょ、、と思う。

しかし、残念そうにしているので ”はいはい” としまい込んである棚から引っ張り出して飾る。

おひなさまの御顔を見て思い出した辰巳芳子さんの言葉。

この言葉に支えられて生きた時間があったことを。。

 

行事(雛祭り)に寄せて 辰巳芳子著 ”味覚日乗”より抜粋

日本の年中行事は、人々の心の願いから生れ、質素に意味深く形を整えました。

私の内裏雛も、みづらの髪に冠はなく、静かなきめこみです。

ただ 「これは菅原道真よ、貴女が賢い人になるようにと思って」 の母の一言が

何ものにもまさる価値を添えました。

五色の座布団も、絹でなくモスリンで、若い親の心尽くしそのものでした。

自分によきことを願う大人達の心を 子供が感じとらぬはずがあるでしょうか。

「雛祭り」それはこころの深みにぼんぼりで照らし出されるように、

私を慈しんでくださった人々の顔がよみがえる旬日です。

語りつがれた女の子の幸せを願って、昔の人はなんとまめやかに立ち働いたことでしょう。

片付けは飾る手間の三倍程かかりますのに、言葉にも動きにも

「だから止めておきましょう」はありませんでした。

かたちから入って、こころをとりもどす方法もあるのです。

少しの気力で想いを手足に通わせる呼吸も こんな時、ふと身につくものです。

 

♡我が家の10分もあれば出し入れの出来るものを面倒がっていた自分の頭をぽりぽり。。。


2/4 立春

2024年02月17日 14時24分37秒 | 日記

 

 

 

 

 

日中温かい日が続く。空気の匂いも春だ。
からだも心も何かしらウキウキする。 
夜、鼻歌まで出てニヤニヤしているじぶんに(どした?)
あ、今日は立春だ!節分さえ忘れていたのに、、 
身体は知っていた。 
「とーちゃん、今日ウキウキしてる?」
思わず夫に確認してみたくなる。 
「べつに」と、何言ってんだとばかりのそっけない反応。 
なんだ、鈍感な奴め、やっぱ女の身体は精密だな。ひひひ、と有頂天になった。
次の瞬間
あれ?そういえば今日夫は何やら新しいことを思いついて行動を起していたぞ、、、
(まったく、見切り発車もいいところだ・・)と内心鼻先で笑っていたが、あれは立春反応?
昔、飼っていたニワトリが冬場は全く卵を産まなくなり
「あした喰うか」と皆で脅しをかけたら翌日突然産んだ。それが立春だった。

脅しに反応したと笑っていたが、たぶん立春のお知らせだったという方が自然かも知れない。
この星に存在している限り自然界のリズムから外れることは出来ない。
脳は目先の現象を処理することに忙しくてもカラダの細胞は自然の理にそって仕事をしている。
意識しようとするまいと心臓が動き続け、呼吸が繰り返される。

 

以下↓ 官有謀(カンユウボウ)著「足の汚れ(沈殿物)が万病の原因だった」文化創作出版 より抜粋

 

《しかしなぜ心臓が動くのか。それはすべてのものが渾然一体の無極、

やさしくいえば宇宙ですが、


それが生み出す波浪(ハロウ)によって動いているのです。


波浪とは、一種の宇宙エネルギーと言えましょう。


これは1分間に18回のエネルギーの波を持っています。


海の波は風がなくてもおこり、1分間に18回、岸に打ち寄せます。


人間の身体がこの波浪を受けると、

やはり1分間に18回の反応を起こします。


これが肺が一分間に行う運動である呼吸です。


宇宙エネルギーである波浪は「陽」、人間の肺の運動は「陰」。陽と陰が結びつくと熱が起ります。


陽の波浪18回を受けて陰のからだの肺が18回動く。この二つを足してごらんなさい。


体温の36度が生じます。


体温もエネルギーです。この体温が心臓に届くと拍動が始まるのです。


エネルギーが完全に使われる状態だと、そのエネルギーは臓器によって2倍に活用されます。


心臓の鼓動はいくつか。

36の2倍、1分間に72回でしょう。


そして、血液循環が始まるのです。この世に存在するものすべては宇宙の一部。。。。。。。。。。。》

 


『塩』は大事

2024年02月05日 11時10分15秒 | 日記

 

2/4 早立春!

晴天が続く。空気が澄んで空が青い。

木の枝々に雪の花が咲き、ため息が出るほど美しい。

すべてを拒絶するほどの吹雪きを起したかと思えば、何喰わぬ顔をでこんな表情をする冬に心を鷲掴みにされる。

 

大分赤峰農場の親方赤峰勝人氏が昨年11月亡くなられて、早三ヶ月が過ぎた。

30年も前に著書「人参から宇宙へ」に出会い、「塩」がどれだけ大事な物かを教えられた。

その後北海道なずなの会を仲間と立ち上げ、毎年札幌講演会を10年くらい続けただろうか、、、、

その度に繰返し繰返しさまざまな実例を通して「塩」の大切さを伝えてもらった。

2010年の講演を空知生命塾・塾長の東出隆さんが文字に起して講演録にしてくれたものから抜粋してみる。

 

『塩の大切さを知ったのは昭和37年農業高校を卒業し豚を飼い始めた時。

子豚が白っぽくなり咳をして痩せて次々に死に、原因が分からず必死にあちこち訪ね歩いた、

「それは塩切れじゃ」と長年豚を飼っていたお爺さんが教えてくれた。

すぐに塩を与えるようにすると1週間で真っ白だった子豚がピンク色になって元気に走り出した。

人間も同じ、例えば夏バテは汗で身体の塩分が失われ体内のミネラル分が不足しだるくなる。

このとき水をがぶ飲みするほど体内の塩分ミネラル濃度は薄まりますますバテてしまう。

『塩』という字は土偏で出来ている。

植物は光合成によってミネラルを作り出し、その植物が枯れてミミズや微生物が食べて分解した物が土。

ミネラル溢れる土が雨水により川から海に流れ込み、海水となり、それを煮詰めた物が『塩』

動物も人も植物も塩(ミネラル)が無ければ生きる事が出来ない。

※昭和46年(1971)塩田法(塩化ナトリウム99%の化学塩のみを食用と認めるというもの)施行。

じぶんが食べるために海水を一杯汲んできて塩をつくっても法にふれるという厳しいもの。

近代化促進という名の下に日本中の海岸から塩田が消え、臨海工業地帯に生まれ変わる。

ミネラル分の含まれていない化学塩を食べるようになると、さまざまな体調不良が起こり

難病奇病が発生し、それに対応するべく病院が増え新薬が開発されるも根本解決を見ることは出来ないまま病人が増え続ける現状、、。

平成9年(1997)ようやく塩の専売制度は廃止され、海水から自由に自然海塩を作れるようになる。

 

1999年5月赤峰さんの循環理念に共鳴した団塊世代の三名が名乗りを上げ、大分県佐伯市の間越ハザコ海岸で塩作りが始まりました。

なずなの塩の誕生です。

70年近い百姓人生を信念で生き通した赤峰親方の愛のミネラルは

弟子達に引継がれて全国に広がり

毎月開催されてきた百姓塾で学んだ人々の心の礎となり、

赤峰農場の野菜を食べる私たちの身体にも日々組み込まれていくのでしょう。