大きなかぶ農園の日々

じじとばばのゆるい暮らし

縁とは

2021年11月01日 16時34分31秒 | 日記

週末は夜中にザンザン雨が降る。 
「豆畑、グチャグチャだな、、、」乾くまで待つか、、、、、 
せっかく早朝から手弁当で豆刈りに来てくれた東出さん、 
お茶飲みながら久しぶりにお互いの近況報告となる。 
毎年春から農家の手伝いに忙しい東出さん。 
ようやく作業も一段落、が、ゆっくり休む暇も無く、この時期どたばたの大きなかぶに助っ人に来てくれる。
考えてみれば本屋さんだった東出さんとは、今は無いが長沼の丘の上の「絵本やぽこぺん」で出会った。
2005年、そのころあまりにも忙しすぎてヘトヘトになり、、或日突然家を出た。それっきり3ヶ月家には戻らず。。。
開放感に浮かれながら、このまま何処までもこの流れのままに生きていくのだろうか。。。とぼんやり思ったり、
実家、妹宅等々どこにいてもそれなりに楽しいが、、なにか落ち着かず、、自分の居場所は見つからず、
そんな時に  「毎週読んでいた農園便りのブログを読めなくなったのが淋しい。早く帰って書いてほしい」
夫に聞いたのだろうか、実家の住所に分厚い封書が届いた。
中に【永野ひわ詩集・おばあさんになりたい・編集東出隆】と表紙の付いたちいさな冊子が手紙と共に入っていた。
え?・・・ 夫にさえ言われていない「帰れコール」がまさかの東出さんから来た。
過去の農園便りから抜粋した横書きの数遍を縦書きにしてある。詩集だ、、縦にすると詩になる、、、、
じぶんの書いたものをじぶんが読んで、笑って泣いた。
それは東出さんが笑って泣いたものでもあるのだ。。。と気付くと又いっそう泣けてきた。
毎週1回書き続けている大きなかぶ農園便りは野菜を買ってくれる人たちに出来るだけありのままの実態を
さらけ出して「こういう私達ですがよろしければお付き合い下さい」という思いを込めて発信していた。今もだ。
実は、その裏には、自分の生きたいままに生き、親らしいことをなにもしてやれ無かった息子と娘に対して
「ごめんね、ありがとう、母はいつも精一杯生きているよ。あなたたちも本気で生きて」という発信でもあった。
読んでもらっているのかどうかも分らずに、しかしそれでも一方的に書いてきた。
それを本心から待っていてくれる人がいる。。自分がじぶんのままでいいのだとはじめて気づいた。
(帰ろかな、、、)   帰った。そして又何食わぬ顔して書き始めた。
ひわ還暦のとき、農園だより2006-2008年分を詩集「おばあさんになりたい」として東出さんが編集してくれた。
読んでくれた人が このささやかな日常のあれこれにぷっと吹き出し、ゲラゲラ笑った。と言ってくれると嬉しくなる。
豆畑が乾くのを待ちながら、そろそろいつ迎え来るか分らない、2009年からの分をまた編集しようか、となる。
過去の記事の原稿を二人で手分けして抜粋していく。
この時こうだった、ああだったといちいちその時を思い出しゲラゲラ笑ったり苦笑したり目頭熱くしたり、、、、
しかし、よくまあこれだけ色々有るものだ。毎日が物語だ。
 人生は各々が想像しながら創造する。各々のぶんだけ物語がある。

あの時、ヘトヘトになるまで自分を追い込んで、、3ヶ月家を空けていなければ、東出さんとの縁はどうなっていたのだろう?縁とは不思議なものだ。

 

「昼飯は畑でカレーライスだ」と夫が迎えに来た。「そうだった!!」今日は華麗なるカレーライスの日だ。

写真は畑隊の名カメラマンの皆さん


最新の画像もっと見る

コメントを投稿