退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#565: 日本、徒然 No.2、ハロウイーン

2015-11-03 17:10:41 | アメリカ便り
先日、友達との飲み会の前に、運動不足を解消しようと思いススキノから札幌駅まで歩きました。
地下街の店を眺めながら歩いていると、気づくのは仮装をして歩いている若者たち。
日本でハロウイーンっていつ始まったのでしょうね。
いったいこの仮装をした人たちの何割がハロウイーンの意味を知っているんでしょうか。
パーティーができれば、楽しければよいという現代若者たちの姿を反映しているのでしょう。
コスプレなんていったものもはやっているし。
それと同じ感覚なんでしょうか。

テレビで渋谷での馬鹿騒ぎも移されていました。
口々に“ハッピーハロウイーン”だって。
アメリカでは言って欲しくない、日本英語です。
こういう時に年配の人たちがよく使う言葉、“自衛隊に送れ”を私も言いたいですが、今の緊張した世の中、そんなことをしたら、自衛隊に迷惑だろうし、私たちとしても国家の安全、ゾンビーやらドラキュラ、ピカチュウなんかにまかしてはおけないです。

私が1977年に留学したイリノイ州の片田舎にある大学はパーティースクールとして一時期名声を誇っていました。
というのも、1970年代に雑誌プレイボーイで全米パーティースクール#1として選ばれたからです。
別にそれを狙ってこの大学にいったわけではありませんが。
アメリカ中西部の片田舎に、日本人なんて来ないだろうと単純に思ったからこの大学を選んだだけです。
実際行ってみると、30人ほどの日本人留学生、ほとんどが短期の英語留学生がいました。
私みたいに“一旗上げてみよう”なんていう人は、ほとんどいませんでした。

最初は学生寮に入りましたが、23歳の私が18歳の1年生(フレッシュマン)達と一緒というのは即、ジェネレーションギャップというものを感じ3ヶ月で出てしまいました。
これから自分のため、子供のためにアメリカの大学への留学を考えている方はよく考えてくださいよ。
大学の寮はいろいろな誘惑が多いから。

話をパーティーに戻しますが、さすが、#1に選ばれただけの学校、ハーロウイーンパーティーはすごかった。
道路を閉鎖して、パーティーというより、怪物やら、大統領やら人気キャラクターの暴動が始まるのです。
もちろんほとんどの人が酔っ払ったりハイになったりしています。
道路は行列を作って歩くなんてかわいいことはしません。
ビール片手に固まって騒ぐだけ。
そのうち、車の上、屋根の上に上ったり、10月下旬の寒い日というのに裸になったり。
数少ないポリスはあきらめ状態というか、手を出したら身の危険を感じるのか、姿を見せません。
ハロウイーンパーティーはいつも10月の最後の土曜日に行われるので、当時、サマータイムからレギュラータイムに移るので、1時間よけいに騒げることができました。

こんなパーティー長く続くはずがないですよね。
しばらくして禁止されました。

最近ではどうなっているかわかりません。

“責任を欠いた若者”にアルコールと群集、最悪のコンビネーションでしょう。

でも懐かしいな~。

ハブグレジュンタのマミー